小さいおっさんは、妖精ですか?
以前、短編として載せていましたが、短編集にまとめました。
妖精×女子高生です。
幼い頃見ていた海外アニメや子供向けの洋画では、色んなキャラクターが縦横無尽に飛び回り、私はそれをいつもワクワク心を躍らせながら見ていたんだ。
惹かれるのはいつも、日に透ける綺麗な羽を持つ妖精。時にエルフと呼ばれるそれは淡い色合いの髪色と瞳で、さらさらと風に揺らぐ、瞳と同じ淡い色の服を着ていた。
幼い頃は本当に傍に存在するんだと、信じていた。
毎年現れるサンタクロースのように、朝起きたら妖精がそこにいた痕跡が残ってる。そんな事を信じてた。
ま、それは中学一年のクリスマス、夜更かししてて部屋に忍び込んできた父さんと目が合っちゃって打ち砕かれたけど。
その時、アニメや映画で夢中になった金の粉を降らせて魔法をかける小さな妖精は、サンタと一緒に私の頭の中から消えた。夢は夢だった。憧れは憧れで、ファンタジーはファンタジーだったって訳だ。
そう考えると、なんだかストンと胸の中で納得できた。
* * *
「なんでおっさんなんだろ」
「……何がぁ?」
学校帰りに親友の詩織と立ち寄った書店で、何の気なしに手に取った雑誌を数頁捲ると華枝かえは眉間に皺を寄せた。
雑誌の見開きページには『あなたの傍にもきっと居る! これが小さなおっさんだ!』と煽り文句が躍っている。ご丁寧に三頭身のイラストまで……。
「あぁー。妖精だっけ?」
「欧州の妖精伝説はさ、キラキラ日が透ける薄い羽をつけた軽やかな妖精じゃん。映画でたまに等身大のエルフ族とか出てきたりするけど、皆色素が薄い見目麗しい姿なワケよ。なのに、どうして日本で最近話題の妖精は小さいおっさんなんだろ」
「しかもよく遭遇できる神社とかまで載ってるよ」
ほらほら。と見せられた写真には目撃談などと一緒に神社の写真も添えられていた。
その写真の横で緑色のジャージを見た“妖精”が、『ワシは空気の良い場所が好きなんじゃ』の吹き出しをつけて笑っている。
「ジャージ……なんで? 国が違えばこうも違うもの?」
がっくり項垂れる華枝の横で、詩織は時計を見ると慌て出した。
「ヤバーい。カテキョ来る時間だし! ごめん、あたしもう行くね!」
「はいはーい。ガンバッテねー」
既に出口に向かって歩いていた詩織にひらひらと手を振ると、華枝は手にしていた雑誌に視線を戻した。
小さなおっさんは緑のジャージ姿の目撃情報が多いが、中には駅のホームでよれよれの背広姿を見たとの情報もある。
(背広って言い方がまたおっさん臭さを感じるな……)
「にしても、よれよれの背広って言葉がしっくりくるおっさん妖精ってどうなの?」
すると、どこからか小さな声が聞こえてきた。
『先程から失礼な。私のどこが“おっさん”だというのだ』
「ん? え、何?」
(こわっ。独り言にツッコミ入れるとか、こわっ! 帰ろ!)
わたわたと雑誌を棚に戻した華枝をよそに、声の主は自分の声が届いた事に満足気に頷いた。
* * *
「ただいまっ!」
ガチャガチャと忙せわしなく鍵を開けると、華枝は誰の返事も待たずにそのまま二階へと駆け上がった。
サンタなんて居ない、と分かったあの年、両親が離婚し、華枝は父に引き取られた。
母が嫌いだったわけでも、母が華枝を拒否したわけでもない。一般的な家庭とは多少違うかもしれないが、母なりの愛し方はしてくれたと思うし、華枝もたまに母と会える日を楽しみにしている。
母は所謂キャリア志向で、華枝がまだ小さい内に仕事に復帰し、国内外問わずに飛び回る生活をしていた。
思い出の家庭の味というのも、華枝にとってはパッと思いつかない。小さな頃から好きだったハンバーグも、実は大手コンビニの味だった。
父を選んだ理由は、可笑しな話だがあの夢破れたクリスマスがきっかけだった。
毎年プレゼントを用意し、クリスマスホームパーティーの準備や深夜にサンタ役を演じるのは全て父が一人でやっていたと知ったからである。その話を聞いて、なんとなくだがこの父を一人にしてはいけないと思った。
そんな家庭を大事にしてくれる父だが、さすがに平日の午後五時過ぎは会社である。
華枝は手にしていた鞄をベッドに放り投げると、ブレザーを脱ぎブラウスのボタンに手をかけた。
おかしな声が聞こえたのは、ボタンを三つ外した時だった。
『ぐっ……。うぐ……。何という事だ……! このように私を放り出すなど……』
「……ん?」
先程ベッドに放り投げた鞄からくぐもった声が聞こえる。
それは書店で聞いた声にそっくりだった。
その声は、小さいのに華枝の耳に直接入り込んでくるように響いた。
「んんっ?」
おかしい。家には誰も居ないはずなのにこの声は一体?
華枝は恐る恐る鞄を持ち上げた。
勿論、何も居ない。
「おっかしいなー」
念の為鞄の中をチェックするが、入っているのはペンケースに眼鏡ケース、宿題が出た数学の教科書と数冊のノート。
(それに音楽プレーヤーに……あっ、詩織に小説返すの忘れちゃった。あとお弁当箱洗わなきゃな)
続いて今日使った体操着も階下に持っていこうと体操着が入ったトートバッグに手を突っ込んだ時だった。
ムニュ。
(むにゅ?)
指先が何か温かく柔らかい物に触れた。
得体の知れないその存在が怖くて中を覗きこむ事が出来ないが、滑らかな感触のそれが一体何なのかは気になる。
華枝は人差し指が触れたまま、親指を動かしふにふにと“ソレ”をつまんだ。
『おい。何をする。イ! イデデデ! は、放せ!』
華枝の指を何か小さい物が掴み、ていっと外された。続いてペチペチペチペチと叩かれる。
華枝は信じられない思いで、ガバッと勢いをつけてトートバッグを開けた。
そして高速で閉めた。
『オイ』
「な、なんだ。なんだ今の!」
ぎゅうっと握り締めたトートバッグのその奥何かが動いている。
『君はさっきから一体何なのだ! 私達の事をオッサンと言ったり乱暴に放り投げたり頬を摘まんだり! そろそろここから出せ!』
「ひいっ!」
その台詞の勢いに負けて、華枝がトートバッグを開けると、中では体操着に埋もれて小さな小さな淡いグレーの瞳がこちらを睨みつけていた。
「――どちら様ですか?」
人間とは、あまりに衝撃的な出来事に遭遇すると、意外と慌てないものなのかもしれない……。
華枝は今、トートバッグの中の人物(?)と見詰め合っていた。
「私は皐月さつきだ。君は?」
目が少し悪い華枝は、少し目を細めて皐月と名乗った小さなオッサンならぬ小さな“お兄さん”を見たが、こうも小さくては少し見え辛い。だが、顔の造作は整っているようだ。
アシンメトリーの淡い茶色の髪は右側が少し長くグレーの瞳にかかっている。そして白い肌に高い鼻という欧米人のような見た目だが、その口から出てくるのは流暢な日本語だ。
「皐月……? 私は華枝だけど?」
『呼び捨て――うむ。まぁ……良い。世話になる事だしな』
「は? 世話?」
『私は妖精だ。私は君の守護精になると決めた。カエとやら、末永く頼むぞ』
「――は!?」
妖精……小さいけど、おっさんじゃない。よく見えないけれど、イケメン……らしい? それがいつの間にか華枝の体操着と一緒にトートバッグに紛れ込んでいた。
これは夢だろうか? 幼い頃物語の中の妖精が大好きだった、その頃を思い出し懐かしんでいたから? そう思い、今度は思い切り自分の頬をつねるが、涙目になるほど痛かった。
『一人で何をしている。早くここから出さぬか。臭くてかなわん』
「くさっ!?」
“皐月”と名乗った妖精はその小さな手で華枝の体操着をつまむと、自分から遠ざけた。
だが、顔から遠ざけてもいかんせん身体は体操着に埋まったままだ。
「失礼な。って言いたいとこだけど、今日は体育で沢山汗をかいたの。悪かったわね。ホラ、おいで」
『たいいく?』
言葉遣いは偉そうなのに、聞き慣れない言葉なのか、子供のように聞き返すその姿は可愛らしくも感じる。
華枝は皐月に手を貸し、トートバッグの外に出した。
体長は十五センチ程だろうか。余程我慢していたのか、外に出てからもクンクンと自分の身体を嗅いでいる。
「そんなとこ入ってるからよ。一体いつ入ったの?」
『さっき、カエは妖精はおっさんなのかという話をしていただろう。あの時だ。私の声が聞こえたのだろう? だからカエに決めた』
「ええっ? そんな事で?」
すると、皐月は寂しそうに声を落とした。
『そんな事、が出来なくなった人間が多いのだ。私もずっと、ずーっと捜していた。そうして、今日やっと見つけたのだ』
「皐月……。じゃあ、あの本の情報は何? 日本では色んな所で、沢山の人に“小さなおっさん”が目撃されてるんだよ? それを皆は妖精だって言ってたんだけど、違うの?」
『彼らは……我々妖精の“成れの果て”だ――。守護すべき人間を見つける事が出来なかった妖精の、“成れの果て”なのだ』
「成れの……果て。どうしよう。侘しさが募るわ、それ。今度テレビで見たら私泣きそう……」
皐月の話を聞き、中学生までサンタクロースを信じていた夢見がちな華枝は彼ら妖精の境遇に心の底から同情した。
そうして、皐月が華枝の様子を窺いながら声色を変えて話していたのにも気付かずに、華枝は皐月の話にのめり込んでいった。
『だから……私はまだ幸運な方なのだ。カエに会うまで……長い、それはそれは長い道のりだったが……それでも私が見え、私の言葉を拾うカエに出会えたのだから』
「皐月、私何をしたらいいんだろう? 私、皐月のために何が出来るかな? 何でもするよ!」
物語の中の妖精は本当に居たのだ。一度破れた夢が、ほぼ完璧な姿で甦った。オマケに、皐月の姿を見れるのも、声を聞けるのも自分だけだと言うではないか。
こんなに小さくて綺麗な特別な存在が、私に出会えて幸運だと言った。これは私が守らなければ! そんな正義感が華枝の中に生じ、皐月の『なんでも?』の問いにも、華枝は力強く頷いた。
『さすがは私が見込んだ人間だけの事はある。礼を言うぞ。ではカエ……私は君の守護精だ。その名の通り、君を様々な災難から守護する存在となる。その代償として、君には衣食住を提供してもらいたい』
「衣食住? え? 一緒に住むって事?」
『当然であろう。でなければどうやって君を守護するというのだ』
考えてみれば確かにその通りだ。という事は、四六時中皐月と一緒という事になる。皆には見えない、妖精――しかもオッサンになる前のピチピチ(?)の状態の妖精を独り占めなのだ。
とはいえ、父親に皐月の存在を隠しとおせるのだろうか……そんな不安も胸をよぎったが、ベッドの上でじっと自分を見つめる皐月を見てその考えを打ち消した。
(こんなに小さいし……ま、何とかなるよね)
「うん。わかった! いいよ! 皐月、これからよろしくね」
すると皐月は胸に手を当て恭しく礼をすると、トコトコと華枝の傍に歩いてきた。
そして華枝の指を持ち上げると、ちゅっと口付ける。
「あ……」
『カエ、これからよろしく頼む』
生真面目な表情でそう言う皐月に、華枝は頬を赤らめコクコクと頷いた。
「う、うん!」
『手始めに湯浴みをさせてもらえぬか。たいいくとやらで濡れた着物の中に居たものだから、すっかり私の着物も濡れてしまった』
皐月は光沢のある淡いピンク色の着物に似た服を着ていた。だが着物に似ているのは衿の合わせ部分だけで、袖や身ごろは身体にピッタリフィットしており膝丈のワンピースのような形をしている。皐月はそれを腰に細かな花柄の幅広の布で巻いており、丈の長い上着の下には同じ生地のズボンをはいている。
今皐月は袖を鼻に近付け、大げさに顔を顰めていた。
「勝手に潜り込んでおいて言いたい放題ね……えっと、洗面器とかでいいかな? ボディソープは……どれ位居るんだろ。着替え……とりあえずタオル巻いててもらって……」
『何か男物の着物は無いのか』
「あるけど……え? もしかして服を小さく出来たりするの?」
『逆だ』
「ぎゃく?」
すると、甘い香りが漂い、瞬く間に皐月はしゅるるると煙を纏った。その次の瞬間、突然ベッドの中央が重みで沈み込んだ。
端で正座していた華枝がバランスを崩したが、すぐに逞しい手で支えられ、その持ち主を仰ぎ見ると濃く長い睫毛に縁取られたグレーの瞳が華枝をまっすぐに見ていた。
「は!? な、なんで?」
『私が大きくなった方がいいだろう。さて、案内くれ』
顔は整ってるみたい、等と判断していた自分の視力を呪いたい、と華枝は思っていた。
整ってるどころではない。その目力もさることながら、白く染みひとつない肌に高い鼻梁、ほんのり色づいた薄い唇。それなのに、華枝の肩を抱く手は大きく節々が骨ばっている。背中に回された腕も太く硬くてしっかりと華枝を支えていた。
熱が顔と、皐月が触れている場所に集まるのが分かる。華枝は恋愛経験が無い。許容量はとっくにオーバーしていた。
「規格外! 規格外ですが! おおおおお風呂下だから! 服適当に探して持ってくから!」
慌てて身体を離し床に下りると、華枝はどんどんほてっていく顔を片手で覆い右手でドアを指し示した。
その様子に皐月は喉の奥でくつくつと笑うと、ギシリと音をたてて立ち上がる。
華枝が指の間から覗き見たその姿は、天井の中央からぶら下がる照明に頭がつきそうだ。
悠然とした動きでドアに近づいた皐月だったが、ふと立ち止まり腰を抜かしたように座り込む華枝に近づくとゆっくりと片膝を付いた。
「カエ、その姿……他の男に見せるでないぞ」
そう言うと、呆ける華枝の顎に指を置き、そのままゆっくりと指を下ろすと、その動きにつられて下を向いた華枝の視線の先で、骨ばった皐月の男らしい指がブラジャーのフロント部分に引っ掛かって止まった。
「ああああああああ!!!」
(忘れてた! 忘れてたぁ! ブラウス脱いでる途中だったぁ!)
華枝が慌てて床に転がっているクッションに飛びつき胸を隠した時には、皐月はもうドアの向こうに消えていた。
* * *
始まりは嵐のようだったが、それ後の共同生活はうまくいっているように思えた。
父の服は意外にも皐月に合っていて、父の若作りファッションに感謝した位だ。
皐月もずっと人間の生活を見ていただけあり、人間の暮らしの基本的な事は分かっている。たまに『ところでたいいくとは何だ?』等、分からない単語が出てくると戸惑うようだが、華枝が教えるとすぐに覚えた。
学校という施設の存在は知っていても、中でどんな事が行われているかは実際足を踏み入れていないので知らなかったのだろう。つまり……「守護してくれるなら試験なんて楽勝じゃん!」と思っていた華枝の企みは早々に打ち砕かれた。
それでも、自分を見守ってくれる存在がいつもすぐ傍にあるというのはくすぐったくも、嬉しいし、安心するものだ。華枝は皐月のいる生活にすっかり慣れてしまった。
『カエ。お父上の服を着ていろという事は、今日は帰りが遅くなるのか』
朝、着替えの為に皐月に部屋から出て行ってもらう時、華枝は皐月にも着替えてくれるよう頼んでいた。
一度帰りが遅くなった時、コンビニの前でタバコ臭い男に絡まれ、あからさまに顔を顰めた華枝の腕を掴みかかってきた事があった。いつもならスルーする所だったのに、忘れ物をして学校に戻ったところを風紀委員の顧問に見つかり、説教された後で華枝は機嫌が悪かった。
マズイと思ってももう遅い。大げさな造りのシルバーのリングを三つもつけた男の手が伸びてきて、華枝は身を竦めた。
「イッテ! なんだてめぇ!」
「お前こそ何だ。女性に相手にされないからと言って手を出すとは」
「……ん?」
いつもは頭に直接飛び込んでくる皐月の声が、距離感をもって耳に“音”として入り込んでくる。
見るとあの着物を着た姿のまま大きくなっており、男の手を捻り上げていた。
「皐月!」
「カエに近づくとは……! お前をどうしてやろうか……」
そう言って皐月は更に男の腕を捻る。その動きに男は早々に音を上げた。
「ぐあぁぁ! ギブ! ギブギブギブ!」
「ぎぶ? カエ、ぎぶとは何だ」
そう聞きながらも捻り上げる手は緩めない。男はもう涙目だった。
「皐月! 降参するって言ってるんだよ! 放してあげて!」
すると皐月は面白くなさそうに男を解放した。
男は腕を擦りながら脱兎の如く逃げ出した。
「全く……男の風上にもおけぬ。己より力の弱い女性が相手でなければ尻尾を巻いて逃げ出すのか」
「ねぇ……どうして、あの男には皐月が見えてたの? 皐月の姿が見えるのは私だけだって言ってなかった?」
「今は誰の目にも見えるはずだ。周りを見てみるがよい」
皐月の言葉に周りを見渡してみると、人気の無かったコンビニ前にいつの間にか人だかりが出来ている。
遠巻きにしながらもこちらを見ている様子がなんだかおかしい。
そう、視線が華枝の頭上にあるのだ。
「誰? 撮影かな。あれ何のコスプレ?」
「日本人じゃなくない?」
「えー、でもかっこいいよー」
言われているのは勿論皐月である。だがそんな台詞も視線も、皐月は気にもならないようで、華枝が手にしていたコンビニ袋を取り上げると、手を引いて歩き出した。
後方からは羨ましそうな溜息とざわめきが聞こえていた。
それ以来、華枝の帰宅が遅い日などは皐月が姿を大きくするようになった。何も言わないが、姿が見えない状態では守るのが難しいと思ったのだろう。
そう聞きたい衝動に駆られたが、こんな時でもないと大きな皐月は見れない。華枝にとっても目の保養になるので、ここは黙って皐月のやりたいようにさせる事にした。
当の皐月は、人々に注目されるのが自分の美貌が原因であるとは気付いていない。妖精の正装でもある着物風の衣装の所為だと思っており、華枝の帰りが遅いと予め分かっている日は父親の服を借りて着ていた。
着用した状態で小さくなると服も共に小さくなるのだから便利なものだ。
グレーのショップロゴTシャツに淡いピンクのパーカ、それにダークグリーンのカーゴパンツに黒のエンジニアブーツを履いた姿は、小さい頃よく遊んだミカちゃん人形のボーイフレンドのようだ。
(ていうか……父さん、ピンクのパーカなんていつの間に買ったの……)
『今日はどこに行くのだ?』
「買い物よ。今月のお小遣い少し残ったし、皐月の物も少しずつ揃えていきたいなと思って」
『私の? そんな必要はないぞ』
「駄目だよー。いくらお洗濯してるとはいえ、パンツまで父さんのって嫌でしょう?」
『ぱんつ……そ、そうか』
遠慮がちな皐月を連れて学校帰りにショッピングセンターに向かう。
既に大きくなっている皐月は、人々の――特に女性の視線を惹きつけていた。
「は、派手ではないか? 下着は無地が良いと思うが……」
「えー、これ位のが可愛いって! 最低三枚は今日買っときたいわね……」
乗り気ではない皐月の様子に、華枝はさっさと自分で選ぶとレジに向かった。
流石に男性下着のコーナーで長居するつもりはない。
今日はあと靴下と靴を買うつもりだった。さすがにそれらをしょっちゅう借りていると、父親に怪しまれそうだ。
(皐月が小さい状態で着替えてもらえれば、靴も小さなままだし部屋に仕舞えるでしょ)
「ねぇ、皐月。ベッドは今度でいい?」
「べっど? あぁ、寝台の事だな。別にあのままで構わない」
そうは言うが、今はティッシュの空き箱を切って、タオルを敷き詰めた中に寝ている。ちなみに掛け布団は華枝のお気に入りのタオルハンカチだ。
長い付き合いになるのだし、いつまでも空き箱というのは申し訳ない。だが、靴を買ったらさすがに財布の中が寂しくなってしまった。
「じゃあ、それは次ね。そういえば皐月の歓迎会ちゃんとやってなかったね。今日はケーキでも買って帰ろうよ」
「けーき……」
「あ、わかんない? ふふ。いいよー。食べてからのお楽しみねー」
嬉しそうに手を引く華枝に、皐月は苦笑しつつもついて行く。
ショッピングモールは金曜の夕方というのもあってか、徐々に人通りが多くなってきた。
二人はその中をするすると上手に縫って歩く。
その様子を、物陰からじっと見詰める存在があった。
* * *
「――まさかアルコールにここまで弱いとはね」
華枝が皐月に買ったケーキは洋酒を多く使ったケーキだった。
見た目のカラフルなケーキよりもそちらの方が美味しそうだと皐月が言ったからだったが、もしかしたら皐月はお酒を飲んだ事が無いのかもしれない。
眠ってしまう直前、姿を小さくしてくれたのだけが救いだ。大きなままでは華枝一人では部屋まで運べず、父親に皐月の存在がバレてしまっただろう。
それを思うと、ソファの上で顔を赤くして眠る皐月の姿に、華枝はホッと胸を撫で下ろした。
これからはアルコールを使った食べ物は気をつけなくては。
華枝は自分の苺ロールを急いで食べると、手早く片づけて皐月を抱き上げた。
使った食器はすぐに洗っておかないと、自分以外に人が居たと父親にバレてしまう。皐月の存在は、図らずとも華枝に率先して家事をさせるようになってしまった。
部屋に戻ると、ティッシュの空き箱ベッドに皐月を眠らせる。本当なら着替えさせた方がいいのだろうけれど、小さいとはいえさすがにそこまでは出来ない。
ベッドの中で心地良い場所を探すようにもぞもぞと身体を動かす皐月を見て、華枝の頬が緩んだ。
「さてと、試験も近いしちょっくら勉強すっかー」
クラスメイトの多くが塾に通う中、華枝は塾に通った事も家庭教師に来てもらった事もない。
決して経済状態が悪いわけではないのだが、父親が塾で帰りが遅くなる事を良く思わなかったのと、帰りが遅くなりがちな自分の留守中にいくら家庭教師と言えども、他人を定期的に入れるのを心配したからだ。それが今では妖精が住み着いていると知ったらあの父親はどう思うだろう。
幸いな事に、華枝の成績は学年でも上位だ。勉強する事も苦ではないため、今日も教科書を開いて試験範囲を確認するとすぐに没頭した。
「うーん……喉渇いたなぁ。九時過ぎかー。今日はお父さん遅いな」
独り言を言いながら、飲物を取りに階下に下りる。
インスタントコーヒーを淹れたマグカップを手に戻ってくると、開いたままにしていたはずの教科書が閉じられている事に気付いた。
「ん?」
おかしく思いながらも、そのまま椅子に座って教科書を開くと視界の端で何かが動くのが見えた。
「皐月? 起きてたの? もうー教科書閉じたでしょ」
『きょかしょ?』
知らない単語を聞き返す言葉が聞こえた。
――だが、声が違う。それに、いつも鞄に忍ばせて学校に連れて行っている皐月は、もう“教科書”という言葉は知っているはずだった。
念のため、机の横にある皐月のベッドを見るが、皐月は気持ち良さそうに眠っており、上に掛けたタオルハンカチは呼吸に合わせて規則正しく上下していた。
(ま、まさか……ね)
見えない。見てない。見ちゃいけない。
さすがに二人目は無いだろう! 華枝はギギギとぎこちなく首を動かし、教科書に集中すべく手元に視線を戻した。
だが、いつの間に移動したのだろう。そこにはまだ幼さを残した頬に丸みのある明るいオレンジ色のふわふわした髪を持った妖精が居て、こちらを見ていた。
「ヒィッ!」
避けたはずなのに、バッチリ目が合い、思わず叫んだ華枝の反応に、オレンジ頭のふわふわ少年はにっこりと微笑んだ。
『良かった! やっぱり、君は僕が見えるんだね。良かった! 僕のお姫様、やっと見つけた! あのね、僕は桂花けいかっていうんだ。君は?』
丸い黒い瞳を輝かせてこちらを見上げてくる新たな妖精の登場に、華枝は乾いた笑いしか出なかった。