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限界点

文系教育実習生×体育会系男子高校生

 雨の日は嫌いだ。


多治見たじみキャプテン。次腹筋何セットっすか?」

「……あ? あぁ、十セット。館山、お前見といて」

「うぃーっす」

「あと俺、もうキャプテンじゃねーから」

「あー……っと、癖なんすよねー。サーセン!」

「ったく。今日は秋本休みだからいーけど。アイツいる時は間違えるなよ」

「はいっ」


 話し掛けてきた後輩に指示してまた窓に目をやる。


 雨の日は嫌いだ。


 なのに、ついつい目で追ってしまう。


 あの人が俺の前に姿を現したのは時期はずれの九月だった。



「教育実習? 普通一学期じゃね?」

「美術だってよ。ウチの美術教師、春先産休中だったじゃん」

「……そうだっけ」


 そんな事、覚えてない。

 正直美術なんてかったるいし、スポーツ特待生の俺には縁の無い教科だった。


「そうだよ。でさ、美術が代理の教師だったから、教育実習の受け入れ、美術だけ秋にしたんだと」

「ふーん……」

「ま、直哉には関係ねーか。今日も大学に練習に行くのか?」

「ん? ああ」

「ま、頑張れや」


 去り際軽く肩を叩かれてついビクンと反応してしまう。

 幸い気付かれずにその場を離れる事が出来たが、校門を出たところでふぅっと大きく息を吐いた。

 挨拶代わりに肩に触れられる位で違和感感じるとか、ほんっと無いだろ、マジで。




「……多治見直哉くん?」


 戸惑い気味に声をかけられる。聞き馴染みのない声に顔を向けると、そこには絵の具で汚れた青いスモックを着た化粧っ気のない女が立っていた。


「……何すか」

「初めまして。教育実習生の梁井やない詩織です」

「はあ……」

「ねえ、美術選択だよね? どうして授業来ないの?」

「……別に。課題は出してるからいいじゃないすか」


 美術は課題作品を学期末に提出する事になっている。

 今までだってそれでやって来たのだし、大会で授業に出れない事もある俺は大体の授業は多めに見てもらってきた。


「でもそれ、自分で描いてないでしょ?」

「何で……ちゃんと描いてますよ」

「嘘だよ。筆のタッチが違うもん。多治見くん、左利きでしょ?」


 肩に伸びてくる手を咄嗟に避ける。

 それは相手も驚いたようだった。


「……今までそれでやって来たんで、勘弁してもらえないっすかね」

「どうしようか……多治見くん、もう部活卒業してるんだよね」

「いや、普段は大学に練習に行かせてもらってます」

「うーん……でも、そう毎日とはいかないでしょ?」


 梁井という教育実習生はなかなか食い下がらない。垂れ目の、人の良さそうな顔をしてへらへら笑いながらも諦めようとはしなかった。


「雨の日は……大学の屋内プール外部生は使えないんで、行かないっすけど……」

「じゃあ、雨の日に美術室においでよ。待ってるから」

「行かないっす。雨の日は、後輩の屋内トレ見てやってるんで」

「来るよ。肩の怪我、知られたくないでしょ?」

「なっ……!」

「分かるよ。人の身体は嫌という程デッサンしてきたもの。多治見くん、肩を庇った動きしてる。ねえ、多治見くん。スポーツ特待生だよね。この世の中で、どれだけの人間がそのスポーツだけで食べていけてるか知ってる?」


 正直、そんな言葉は聞き飽きていた。

 親だって、水泳で生きていけると思ってるのかと進学校を勧めたくらいだ。その反対を押し切ってこの学院に入学したのだ。ここには大きな屋外プールと、隣接する大学には屋内温水プールも備わっている。


「美術だって同じだろ。どんだけの人間が生きてる内に作品評価してもらえんだよ」

「そうだよ。分かってるじゃない。私は弱いから、こうして他の道も探ってる。けど、悪い? 引き出し一個じゃ不安な世の中なのよ。自分の引き出しは増やしておかないと」

「かっこわり」

「それでもいいのよ私は。けど、それが嫌ならせめて怪我は治しなさい。たった一個の引き出し、壊れたら終わりよ」

「……うるさいな」

「じゃあ、雨の日美術室に来る? 今なら黙っておくけど」

「……わかったよ」


 それから雨の日は美術室に通い、帰りに整体に寄るという日が続いた。

 不思議と油絵の具の匂いは落ち着く。静物画なんて初めて描くけど、頭の中を空っぽに出来て梁井センセに終了を言われるまで没頭する日もあった。

 話し掛けられて、ふとセンセと一緒に居ると安心している自分に気付く。

 正直、他の異性と一緒に居てここまでリラックスできるなんて事は無かった。

 怪我の事を知ってるから? 弱い俺を知ってても幻滅したりせずありのままを受け入れてくれてるから?


 答えなんて出ない。どれも間違いで、でも、どれも正解のような気がする。

 でも他の異性との違いに気付いてしまってからは、自然とセンセを目で追ってしまうようになった。

 キャンバスに向かっている時、没頭しているのは俺だけではないようで。

 難しい顔をしていたり、集中しすぎて口が半開きになっていたり、ニンマリ微笑んだり。

 俺より大人のはずなのに、一枚の絵に対して子供のようにコロコロと表情を変える。

 目が、離せなくなった。


「最近、筆の進みが悪いね。何か思い通りに描けないとかあるの?」


 センセが背後からキャンバスを覗き込むとふわっと花の香りがする。

 花の種類なんて全然分からないけど、これは一体何の花なのかは気になって仕方が無い。

 同じ目線で見るためか、やけに顔の距離が近い。


「多治見くん?」

「あ……えーっと、このさ、光当たってるとこの描き方、わかんね……」

「ああ。なるほどね。一番光ってるとこに白を乗せるの。少し多めに……そうそう。で、外側に向かって円を描くように……そう。そしたら元々塗ってた緑と混ざり合ってグラデーションが出来るから。油絵の具って乾くの時間かかるのよ。あとから別の色を乗せたり、こうしてグラデーションつけたりできるの」

「あ、うん」


 自分で質問したくせに、顔の傍で話されると心臓に悪いからやめて欲しいとか、この時間が止まればいいのにとか、同時に逆の事を考えてしまう。センセの白い手と、俺の日に焼けた腕がふれる。柔らかさに頭がどうにかしてしまいそうだった。


「腕……焼けてるね……じゃあ、続けてやってみて」


 気持ちを落ち着かせるように絵に没頭した。

 見たまんまとはいかないけど、それでも納得できる出来栄えになったところで顔を上げると、センセはぼんやりと窓の外を眺めていた。

 それは絵を描く時のように真剣で、愛しいものを見るような目つきで。

 何をそんなに熱心に見詰めているのか、気になった俺が立ち上がって近づく。けど、それでも気付かない位センセは窓の外に気を取られていた。

 コの字型の校舎の向かい側では、雨の為に屋内練習せざるを得なくなった運動部がトレーニングをしている。美術室と同じ三階には水泳部が。だが、センセの視線はそれより下にあった。

 俺はそれを覗き込み、思わず舌打ちをした。

 視線の先に居たのは、学校でも人気のあるサッカー部の葛西裕太だった。垂れぎみのクッキリ二重、小柄で髪が長めの女みてーな顔。やたらガタイがよくてキャップ被りやすくするために短髪にしてる一重の俺とは共通点の無い男。

 センセはそれを嬉しそうにじっと見詰めている。

 なんか……面白くなかった。


「なあ、おい。……おいって!」

「えっ? な、何?」

「キリのいいとこまで出来たから、今日は帰る」

「そ、そう? 分かったわ。気をつけて帰ってね」


 何が気をつけて帰ってね、だ。完全ガキ扱い。

 水泳で鍛えた身体バカにすんじゃねーぞ。センセの方が全然弱っちいじゃん。

 俺が本気だしたら、センセなんて抵抗できない位――何考えてんだ、俺……。

 相手は教育実習生だ。数週間で目の前からいなくなる。

 そんな相手の話に乗って真面目に課題制作って、俺何してんの? ……あほらし。


 それ以来俺は、雨の日も美術室に行くのを止めた。

 だってそうだろう。センセは、雨の日に美術室に行く理由が欲しかっただけだ。別に俺の課題を心配したわけでも何でもない。堂々と雨の日にあの特等席で、葛西を見る権利が欲しかっただけなんだ。

 それ以来雨の日は後輩のトレーニングを見るという言い訳を自分にしていた。

 けど場所が悪い。窓の向こう側にはセンセが居る。でも、視線が合う事は無い。センセは一つ下の階を見ていたから。


「なあ、お前文化祭の絵どうした?」

「あ? 何だそれ」

「お前、聞いてねーの? ……あ、お前美術の授業大体サボってるもんなー……。今年になってさ、うちの学校文化面にも力を入れようって事になって、美術選択の生徒は文化祭に絵を出す事になったんだよ」

「は? 何それ」

「何? って……俺が聞きたいよ。お前、それで放課後課題やってたんじゃねーの? 梁井センセ、なんとか全員に課題出してもらいたいって、サボってる運動部メンバー説得に走ってたぞ?」

「……知らない」

「そーなの? まあ、そんなに頑張ったところで、センセ文化祭前にはいなくなっちゃうけどな」

「――え?」


 頭をガツリと殴られた気がした。

 分かっていたんだ。センセは教育実習の期間が終わったら大学に戻るって事くらい。なのに、頭の中でその時期を考えるのを拒否していた。

 改めて文化祭前とか期限を言われると、喉が苦しくなってくる。

 自分が関わらない文化祭にこれだけ一生懸命になるとか、あいつバカだろ。

 その日の天気予報は、雨のち曇りだったが、俺は美術室に向かった。


 静かに戸を開けると、センセは窓辺に頬杖をついて眠っていた。

 それを見てつい頬がゆるむ。

 センセのくせに学校で居眠りとか、何しちゃってんのさ。

 近づく俺に気付く事なく、スースーと寝息をたてている。

 声を掛けようか迷っていると、脇にあった机にセンセのスマホの明かりが突然ついた。

 サイレントモードにしてあるのか、音も鳴らなければ振動もしない。でも、俺はスマホから目が離せずにいた。

 画面には『裕太ゆうた』と言う名前と、センセと葛西のツーショット写真が出ていた。

 自撮りしているのは葛西で、センセは学校では見た事のないキレイな色の服を着て、葛西に肩を抱かれて顔を寄せて笑っていた。


 限界点を越えて、何かがぶわり、と溢れ出た。

 気がついたら、俺はセンセを脇の机の上に押し倒し、強く口付けていた。

 驚いたセンセが拳で叩いて抵抗する。それが痛めた肩に当たったけど、俺は力を緩める事が出来なかった。


「んー! んんぅっ!」


 首を振って逃れようとするセンセの顎を強く掴んで固定すると、顔をさらに傾けて深く口付ける。

 俺は手探りでセンセのスモックの襟元を探ると、ボタンを外した。

 露になった首元に吸い付くと、ピクンと身体が跳ねる。そのまま歯を立てると身を縮こまらせた。


「やめて……! や、だ……!」


 言葉のわりに、力は弱い。やすやすと封じる事ができた。

 が、下に着ていたカットソーのボタンに手をかけると、さすがに暴れ出し、センセと俺は一緒に床に落ちた。

 けたたましい音がして、イーゼルとキャンバス、押さえつけていた机が立て続けに倒れた。

 それでも俺は、センセを放さなかった。


「やめて! 人が、来るわ」


 センセの言葉通り、廊下からパタパタと足音が聞こえた。

 俺はすばやくセンセのスモックのボタンをかけ、机を元に戻した。

 イーゼルとキャンバスはそのままにしておいた。この時の俺は不思議と落ち着いていた。


「何の音? 大丈夫?」

「あ。すいませーん。俺、コレ倒しちゃったんす」


 それから徐にイーゼルを立て直してキャンバスを立てかけた。


「そう。課題?」

「そうっす」

「……ええ。美術選択生徒で」

「文化祭近いものね。頑張りなさい」


 様子を見に来た女教師はそう言うとすぐに出て行った。


「なぁ、センセ。葛西とどんな関係?」

「……えっ?」


 床に滑り落ちたスマホを拾い上げると、角に傷がついていた。

 無防備な事に、センセのスマホはロックがかかっていない。着信履歴を出すと、またもやあの仲良さげな写真が出てきた。


「うちの学校のアイドル葛西裕太。どんな関係?」

「裕太は……っ」

「ゆーた? ふーん……名前呼んでんだ?」


 タイミングよく葛西からメッセージが入る。


「愛しのゆーたクンからメッセージだよ。『しーちゃん。今日うち来る?』だってさ。アンタ、何してんの?」


 さっきまでの冷静さはどこに行ったのか、今は身体の中で嵐が起こっているかのように荒れ狂っていた。


「アンタさ、偉そうな事いってコーコーセーその気にさせて? でもその間別の生徒に手ぇ出してんだ? 最低だね」

「ち、違う……! 私は……!」

「何が違うんだよ。ハッキリ言えばイイだろ!」

「ゆ、裕太は甥っ子なの!!」

「……は?」

「裕太は、年の離れた姉の子供なの! 昔からすごく懐いてくれてて……自慢の甥っ子なんだもの!」


 そう言うなり泣き出してしまう。

 とんだ勘違いをした俺はどうしたらいいか分からず、おろおろするばかりだった。


「な、泣くなよ……。悪かったって! でも、俺アンタが好きだから……ホントだって! そんなジト目で見んなよ……」

「……信じられない……」

「悪かったって……頼むから、泣かないでくれよ」


 恐る恐る手を伸ばすと、今度は抵抗せずに触れる事が出来た。

 そっと頭に触れると、そのまま撫でる。


「怖かったよ。うとうとしてたらいきなりなんだもん」

「ごめん」

「ほんとに反省してる?」

「してます」

「本当に私の事好き?」

「……うん」

「私も」

「うん……って、えっ!?」


 でなきゃ、人が来た時に庇わないよ。そう呟くと、続きは教育実習が終わってからね、とセンセは微笑んだ。




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