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おでんと神子

作者: もっぷす

原作と異なる部分が含まれている可能性があります。閲覧される際は、ご注意ください。

 いつぞやの春に千年越しの復活を果たした豊聡耳神子は、今、屋台を開いていた。

 彼女は深めの皿に注文通り、ちくわと大根、そしてこんにゃくを入れると、おまけとして卵も乗せてやった。

 受け取った妹紅は「ん、ありがとう」と一言だけ礼を言うと、眠たそうに一度まぶたを閉じる。

 おおよそ飲み過ぎなのである。

 神子はクスリと口元を綻ばせると、妹紅の肩に手を乗せる。

「お客さん、それ食べたらもう帰んなさい」

「いやぁ、もうちょっとしゃべってくわ」

「まったくもう」

 まだ居座る気の妹紅に、神子も苦笑いである。


「きいてよ。不死身ってのもたいへんなんだから」

「ええ、まあ、それはだいたい知ってますよ」

「いいや、あんたにはわからないね」

「……ええと、そうですかね」

 尸解仙の神子は、笑いながら肩をすくめた。それを気にも留めずに妹紅は話し続ける。

「だいたいさ、長生きするって、それだけでたいへんなのよ」

「はい」

 長くなりそうだ、と神子は思った。


「生きてるうちにね、自分の知っているものがどんどん変わっていく。ふだんはさ、『あ、ここが変わったな』とかで終わりだけどさ、ときどき、昔、ずっと昔を思い出すのよ」

「はあ」

「十年前とか百年前とかじゃなくて、もっと、自分が小さかったときのこと。住んでた家も、好きだった場所も、親しかった人も、案外はっきり覚えてるものね。そしてそれが、恋しくてしかたないときがある」

 神子は彼女の話に、かつて住まいとしていた広大な屋敷を思い出していた。とある企てのために、必要最低限の人間しか出入りをさせなかったそこは、どこまでもがらんとしていたのを覚えている。

「まあ、恋しいって言っても、しょせん美化された思い出だってのは自分でもわかってるんだけどね」

「そうですか」

「それでもどうしようもなく懐かしくて、涙が出るほどあの頃に戻りたくなる。小さい頃は幸せだったな、って。お母さんはやさしかったな、って。それでさ、お父さんは……」

 不意に妹紅の言葉が止まったので、神子はちらりと彼女の方を見た。うつむいた彼女の顔から一滴の雫が落ちた。


「お父さんのことは……じつは……あんまり覚えてないんだ……」

 神子はしずかに相槌を打つと、具材の火の通り具合を確認する作業を始める。

「何でだろう……わたし、よく覚えてなくてさ、遊んでもらったりしたはずなんだけど、それもぜんぜん……覚えてなくてさ……ひどいよね、わたし……」

 夜の涼しい風がびゅうと吹いて、薄いのれんをはたはたと揺らした。ふと気付くと、どこかで虫が鳴き始めていた。

「覚えてないくせに……父の仇とか言って輝夜に文句言って……へんなの……へんなの……」




   * * *




 酔いつぶれて寝始めた妹紅に毛布をかけてやる。

 なぜだか、早く帰って布都と屠自古の顔が見たくなった。

 神子はもう、昔のことを覚えてはいない。母の声も、父の姿も、自分のことすら覚えていない。ただ記憶にあるのは、むやみに広い屋敷にはいつも屠自古がいて、当たり前なのに彼女がいるというだけで安心したことだけ。

 思えば私は、誰かのことを想って生きたことはあったろうか。誰かに感謝して恩を返した試しはあったろうか。

 思い出すことさえも忘れてしまった神子には、彼女の悩みは少しうらやましく思えた。

 きっと、己が不孝を嘆ける人間は、それだけで孝行者であるのだから。

 神子はそっと彼女の隣に腰を下ろすと、頬杖をついてゆっくりと目を閉じた。


「ふう」


 彼女がおでん屋を始めたのは、最近読んだ本の影響によるところが大きい。

 現代に甦った彼女は、真っ先に書物から情報を集めることにした。

 時代がどれほど変わったのか、文明がどれほど進んだのか、そして何より、自分がどれほど忘れ去られているかが気になったのだ。

 手に取った歴史書には、並ぶ太子の虚構説。思惑通りの経緯に、思わず頬が緩みかけるも、心の片隅にわずかな淋しさが残った。

 彼女はそんな雑念を振り払った。

 いや、振り払ったつもりでいた。


 神子の想像以上に、いや、想像もしなかったことだが、世間は変わっていた。

 生きるという概念が生まれていたのだ。

 もはやそれは、この世に生を受けてから死ぬまでのただの期間ではなくなっていた。

 よく考え、よく泣き、よく笑い、よく苦しみ、よく楽しむ。それが生きることとされているらしい。

 生命を維持する「状態」ではない、生きるという「行為」になっていた。


 神子はふと考えた。

 私は今、生きているのだろうか。

 生きることに執着し、永遠の生命を渇望した私は、何も愛さず、何も生まなかった。

 唯一残してきた伝説は、今や事実か否かを疑問視されている。

 彼女は胸のどこかに小さな穴が開いてしまったような気がした。


「ねえ、おやっさん」


 不意に声を掛けられ、神子ははっと我に返る。少し寝てしまっていたのかもしれない。

 目の前の少女は、白銀の髪を夜風になびかせていた。

 髪を下ろした布都に似ているかもしれない、と神子は思った。

 ただ、この子のほうが、ずっと目がぱっちりしていて女の子らしいとも思った。

 彼女は静かに、お代を置いていった。


「おやっさん、私もう帰るね。ありがとう」


 おやっさんじゃないんですが、と言いかけたが、神子は苦笑しながら彼女に手を振った。

 この日最初で最後の客のふらりふらりと揺れる背が、次第に次第に遠くなってゆく。

 ここまで晩い時間になれば、もう次のお客さんも来ないだろう。

 結局今日も、歴代最多と同数の一人しかこのおでん屋を訪ねてくるものはなかった。

 それでもどこか、彼女は愉快な気分になれた。


 神子は生きたいと思った。

 そしていつの間にか、屋台を始めていた。

 焼き鳥屋でも、蕎麦屋でも、なんでもよかった。

 ただ屋台なら人の悩みを聞けるかと思っただけだった。

 相談に乗ることに、自分の生きる道があるやもしれないと考えたのだ。


 しかし、想像以上に、おでんは神子に合っていた。

 じっくりと煮込んで味の染みた具材たちは、どうも我が子のように愛おしかった。

 客足は遠く、ひどくがらんとした屋台ではあるが、神子は自分のおでん屋をいたく気に入っていた。

 神子は余らせた具材を、煮汁から取り出すと、容器へと移し替えてゆく。


 今日も布都の好きな巾着と、屠自古の好きな厚揚げを残しておきましたよ。

 そろそろ店を閉めて、私も帰ることにします。

 私には帰るところがありますから。

 ふわふわと飛んでいきそうな、冷たい夜の私の体には、腰に佩びた宝剣よりも余り物のおでんのほうが、今はずっしりとした重さを感じさせてくれるのでした。

豪族一家のお住まいに一日でいいからご厄介になりたいものです。

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