ZIPPER
自分で言うのもおかしな話かもしれないが、ぼくはちょいとばかりひとよりも好奇心が強い。
とりあえず気になったら自分で確かめなきゃ気が済まない質だ。
虫を見ればとりあえずバラして構造を見るし、花を見ればバラして構造を見る。
世界というのは芸術で溢れていることは言うまでもないが、ぼく自身、芸術家ではない。
思想家、とでも言いたいところだが今はとりあえずちょいとばかり宗教や民俗学が好きな服飾学生だ。
こんなんでも一応専攻はフォーマル。普段は主にウエディングドレスなんかのデザインをしてる。
まぁ、ぼくのことなどどうでもいい。
僕が普段なにをしていようが目の前の現象にはなんら影響もない。
問題は目の前のこれだ。
被服室へ向かう一本廊下の壁に何故か突然現れたそれ。
一瞬建築科の連中の遊びか? だとか美術科の新しい作品か? なんて考えたけれど、そんなはずはない。
じゃあなんだ?
答えはぼくがよく知っている。
ぼくらの専門分野でよく目にするそれが壁にあった。
ジッパー。
もしくはチャック。正しくはファスナーとか言うんだったか?
ぼくは普段それをジッパーと呼んでいるが、それが突然壁に現れたんだ。
おかしいと思って通りかかった体育科の一年例に訊いてみれば「頭おかしいんじゃあないか? こいつ」とでも言うような目で見られ「そんなものはない」と答えられた。
つまり、このジッパーはぼくにしか見えないらしい。
となるとますます気になる。
ジッパーであるからには開くはずだ。
ぼくは常日頃から鳥居と窓とジッパーの共通点について考えている。・
共通点なんてあるのかって?
そりゃああるさ。
分け隔てるもの。
つまりあちらとこちらの境界になる。
つまりジッパーは神秘なんだ。
とにかくそのジッパーがぼくの目の前の壁にある。
当然ぼくが取る行動は一つだ。
ジッパーを下ろす。
ジーッと音を立ててスムーズに動いたそれは巨大で、ぼくの背丈と同じくらいの長さがあって斜めに取り付けられていた。
開いた瞬間、中から光が溢れた気がした。
中には入れそうだ。
けれども明るいくせに一寸先すら見えない。
これは少しばかり用心が必要だと思い、製図用の定規を突っ込んでみる。
しかし壁に当たる気配はない。
よし、これはもう入るしかない。少なくとも入ってすぐ隙間に挟まることなんてなさそうなのだから。
ぼくは覚悟を決めてジッパーの切れ目へ飛び込んだ。
まばゆい光に包まれて、辿り着いた先は空白だった。
白紙。
そう表現するのが一番しっくりするほどなにもない。
どこまでも果てがなく広がっているように真っ白だ。
不味い。
これは不味い。
戻ろう。
そう思って後ろを振り向くが、遅かった。
ジッパーがない。
そんな馬鹿な。
ぼくはついさっき潜ったばかりなんだぞ? ジッパーを上げた記憶もない。
いや、突然現れたジッパーだ。消えるときだって突然に決まってる。
突然現れて突然消える。それがあのジッパーなんじゃあないのか?
もしかすると別の場所にまた別のジッパーがあるのかもしれない。
そうだ。
そのジッパーでもとのあの廊下に戻れるかもしれない!
果てのなさそうなこの白紙の空間にだってどこかに終わりはあるはずだ。
そう考え、先に進むことを決意した。
けれど、道に迷うと行けない。
そう思ってポケットを探る。ぼくは幸運だ。黄色のチャコがある。
こういうとき、自分がコンピュータや演劇や音楽が専門じゃなくてよかったと心から思う。
奴らはポケットに絵具やチャコや製図ペンが入っているなんて幸運はないだろう。
演劇が専門の連中ならバミのテープなんかを持っているかもしれないが、音楽だったら最悪だ。楽器一つでこんな空間に入ってしまったら目印の付けようがないだろうに。
そんなことはどうでもいい。
足下にチャコで線を引く。
問題はこのチャコがいつまで持ってくれるかだ。
幸い、買ったばかりの真新しい物だが、もし途方もなく広い空間だったらとんでもないところで取り残される可能性だってある。
もう一度ポケットを確認する。
赤いチャコが入っていた。そうだ。さっき購買でミシン糸と一緒に買ったんだった。
ぼくはツイてる。
この世にぼくほど幸運な人間は居ないんじゃあないだろうか。
それほどにツイている。
ぼくは食事を済ませたばかりだし、ポケットには二つもチャコが入っていた。それに飴もあるし、ちょっと先を突ける定規だって持ってる。
好奇心というのは大事だ。
戻ったら早速作品作りに活かせる。
こんな体験が出来る人間なんて滅多にいるもんじゃあない。
ぼくはなんて幸運なんだろう。
ジッパーが別世界と繋がっているというぼくの考えは見事にあっていた!
もしかするとこれは世界的な大発見かもしれない。
そうだ。論文を書こう。
そうしてぼくの名前を売るんだ。そうすれば卒業してすぐにデザイナーとしてやっていけるかもしれない。有名人は金を集めやすい。
ようは最初にどれだけ名前が売れるかが大事なんだ。
地面にチャコで印を付けながら先へ進む。
白い。
ただ白いだけの空間。
足場は悪くない。
舗装された道と変わりない。それどころかタイルの継ぎ目のようなものさえなく、躓く心配もない。
ただ、いつまで歩いても壁に辿り着かない。
おかしい。
既にかなりの距離を歩いたはずだ。
携帯を見れば圏外になっている。
歩数計はと言うと、一日の目標を遙かに超えていた。
さらにそのまま歩き続ける。
一つ目のチャコがなくなった。
馬鹿な。
学校にこんなに広い空間はない。
いや、異空間だからいいのか?
だが、ジッパーが何故?
考えても仕方がない。
今はただ、前に進むことだけを考えなくては。
白。
白。
白。
それは純白。
白以外の色を許さないとでも言うようにどこまでも白い。
黄色の線が赤に変わってからだいぶ経つ。
けれどもぼくの惹いた線以外、この空間は白しかない。
この空間で、この線とぼくだけが異質。
果てがない。
どこまでも白が続く。
そう考えながら線を引き続けていると、やっと白以外の色が見えてきた。
「やった! 出口だ!」
自然と駆け足になる。
それでも線を引くのを止めないのは用心のためだ。
そして、赤と色がぶつかる。
嘘だろ。
白以外に出会った色。
それは、ぼくが最初に引いた黄色の線だった。




