第196話 帰る場所を作った
中央卓の上には、白い点が多すぎた。
レンは最初、それを故障の数だと思っていた。通信塔、E-03、保守棟下層、月面工廠、軌道アンカー、第一ロック、地上港帰還先、《アーク・セブン》、上層損傷座標A。どれも別々に直し、別々に止め、別々に怖がった場所だ。だが、ノアが表示を一枚に畳むと、白点は散らばった故障ではなく、帰ってくるための順番になった。
『復旧暫定記録、統合表示します』
「章って言うな。作業単位がでかく聞こえる」
『では、地上港暫定統合記録』
「それでいい」
『実態は同一です』
「言わなくていい」
ガタは中央卓の周りを一周していた。車輪が床の継ぎ目を越えるたび、小さな音がする。右輪、左輪、後輪。どれも重い。昨日まで上へ呼ばれた床は、いまは戻る床として車輪を受けている。
『退避線、噛めます。給水口前、噛めます。温食配膳口前、少し粉っぽいですが噛めます』
「噛める報告が増えたな」
『帰る場所は、車輪が噛める場所です』
レンはその言い方に、すぐ返せなかった。冗談のようで、正確だった。帰還先候補、受け入れ区画、医療・休息、補給路。人間用の言葉をいくら並べても、最後に床が滑れば帰る場所ではない。
「ノア、生活系を先に」
『はい。給水、温食、医療・休息、寝台、補給倉庫、退避線、白表示』
中央卓の左側に、生活系の小さな白が並ぶ。給水口では実際に水が落ち、温食配膳口には薄い湯気が立っている。寝台区画の照明は低く、医療端末は青ではなく白で待機していた。派手ではない。だが、ここへ戻った人間が水を飲み、食べ、横になれる。
その右側に、地上照会網が重なった。E-03中継点、保守棟下層補助電力、通信塔、軌道アンカー照会線。少し前までは外へ出るだけで手順が足りなかった経路が、いまは補給、退避、再照会の順番を持っている。
「地上港って、名前負けしてると思ってたんだが」
『現在は、機能の一部が名称に追いつきました』
「一部か」
『はい。全体ではありません』
『一部でも、水と床があります』
「ガタの基準は強いな」
『強い床が好きです』
レンは中央卓へ手を置いた。冷たい。だが、以前のような死んだ冷たさではない。待機している機械の冷たさだ。
ノアが次の層を開いた。
第一ロック履歴、軌道アンカー短時間保持点、《アーク・セブン》仮名登録、船体骨格短時間通電、安全停止。白い順番が、地上照会網の上に重なる。ここだけは、まだ見るたびに胸の奥が硬くなる。基地の修理ではなく、船の骨を起こした記録だからだ。
『再起動条件を暫定記録へ固定します』
「条件を読め」
『地上港帰還先、白。生活系、白。軌道アンカー短時間保持点、白。第一ロック履歴、白。船体骨格短時間通電履歴、白。安全停止履歴、白』
「上層損傷座標A」
『隔離保存。再照会可能。接続不可』
「よし」
よし、と言える内容ではない。壊れている場所は壊れたままだ。上層航路か監視層かも確定していない。だが、行方不明の危険ではなく、次に同じ場所を見られる危険になった。それは現場では大きい。
中央卓の最上層に、黒い点Aが浮いた。
白い帰還先の上に、黒い候補がある。線で結ばれてはいない。だが、同じ統合記録の中に収まった。これで、地上港から候補上層ログまでを一つの暫定記録として扱える。
「ノア、正式記録じゃない。暫定だ」
『はい。正式航路接続、正式命名、長時間係留は未成立です』
「その未成立も残せ。できたことだけ書くと、次に誰かが無茶をする」
『記録します』
ガタが中央卓の下から出てきた。車体の上に細い粉塵が乗っている。どこかを潜ったらしい。
『地上港下、戻り道あります。段差、前より読めます』
「潜るなと言ったか?」
『言われてません』
「次は言う」
『記録します』
レンは小さく笑った。その笑いが、思ったより疲れていた。ここまでの作業は、ずっと遠くへ行く話だと思っていた。通信塔へ、保守棟へ、月面工廠へ、軌道アンカーへ、船体骨格へ、上層座標へ。だが、いま中央卓に並んでいるのは、遠くへ行った記録だけではない。
戻るために増やした白点だった。
水がある。寝る場所がある。止める手順がある。帰還先がある。短時間なら船の骨を起こし、折らずに閉じられる。上に壊れた候補があっても、地上港の白点は消えない。
ノアが統合ログを組む。
[GROUND PORT TEMPORARY INTEGRATED RECORD]
――――――――――
成立:地上港、地上照会網、軌道アンカー、《アーク・セブン》仮起動記録の統合
生活:給水、温食、医療・休息、寝台、補給倉庫、退避線を白表示で維持
再起動:仮名、地上港帰還先、第一ロック履歴、安全停止履歴を保持
仮係留:軌道アンカー短時間保持点を再照会可能状態で維持
上層候補:上層損傷座標Aと関連反応二点を隔離保存
未成立:正式命名、長時間係留、上層照会、航路接続
次接続:地上へ戻れる状態を保ったまま、上層候補ログを照合待機へ渡す
――――――――――
ログが閉じても、中央卓の白点は消えなかった。生活系の光は低く、上層候補Aは小さく黒い。白と黒が同じ画面にある。レンはその配置をしばらく見ていた。
『レン』
「何だ」
『地上港暫定統合記録を保存しました』
「ああ」
『名称を付けますか』
レンは少し考えた。大きな名前を付けると、名前が先に歩き出す。だが、何も呼ばなければ、何を作ったのか分からなくなる。
「帰還足場」
『簡略名、帰還足場』
『床っぽくていいです』
「ガタの承認も出た」
『重要です』
ノアは一拍置いた。
『帰還足場、保存しました』
中央卓の端に、小さな文字が増えた。帰還足場。星系復旧艦でも、正式航路でも、上層アクセスでもない。だが、地上港から上層候補へ届くために必要なものが、ひとまずそこにあった。
レンは給水口へ歩き、紙杯に水を落とした。水は普通に冷たかった。温食配膳口からは、いつもの薄い匂いがする。ガタの車輪が退避線で低く鳴り、ノアの表示は白のまま待っている。
ここへ戻れる。
それが、上へ行く前に必要だった。
レンは中央卓へ戻り、黒い点Aを見た。次にあれを重ねる相手がいる。まだ応答ではない。まだ通信でもない。だが、候補ログは照合待機に入った。
《アーク・セブン》は眠っている。
地上港は起きている。
帰る場所は、できた。
「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。




