ピケリズム
景色が全て灰色に見え、流れる映像に何処となく白々しささえ覚える。
あいつらはなんであんなに楽しそうなんだ?
弟はもう居ないのに......。
いや、あいつらには関係ないって事は分かってるんだ。でも、俺の唯一の家族だったあいつが死んじまったっていうのに、今でも当然の様に変わらず動いている この世界が、人間がどうしようもなく許せない。
ああ、あれから3ヶ月か...。
あいつは...俺の弟は...首を包丁で切って自殺した。
結婚を前提に付き合っていた女に、実は遊ばれていた事が分かり、そのショックで自殺する決意をしたという内容が遺書には書いてあった。
最近連絡を取り合っていなかったから、まさかそんな事になっているとは夢にも思っていなかった俺は、特に連絡が無いのは彼女と上手くいっている証拠だなどという位にしか考えていなかった。
今にして思えば、あの女の 時たま見せる挙動や言動は、妙に馴れ馴れしいというか、嘘っぽさがあった。
何故あの時 気付けなかったんだろう...?
俺は街を歩きながら、苛立ちで髪を掻きむしる。
行き交う人間が奇異な目で そんな俺を見る。
ああ、鬱陶しい...!お前らに何が分かる!?
親を事故で亡くして、親戚連中に煙たがられても、俺達は2人で頑張って来たんだ!
それで漸く幸せを掴めそうだって時...あの女っ!!
俺は電柱を思いっきり蹴り飛ばした。
足がジンジンするが、そんな事はどうでも良い。
俺の様子を見ていた奴らは、少し怯えた表情をして俺から視線を逸らした。
少しせいせいした気分で信号の前で立ち止まり、ふと向かい側を見る。
......!あ、あの女だ......!
...でも誰だ、あの隣の男は?
女が男と楽しそうに話していた......二人の左手の薬指には何か光る物が見える。
俺の全身が震え出す。全ての細胞が、血流が俺に命令を下すのが分かった。
はっ、はははははははは!!
ああ、こんなに人間は人間を殺したくなるものなんだな!!
......いや、でもまだだ。まだその時じゃない。
俺は忘れ物をした様な素振りで その場を離れ、2人の後をつける事にした。
結果、2人の自宅が何処にあるのかが分かった。好都合な事に警備システムのない一軒家だった。しかも俺の家からそんなに遠くない。
日を改めて、2人の生活リズムや、経路の候補の人通りなどを入念に調べあげて行く。
その調査の途中、ある廃屋が俺の目にとまった。
ああ、確か昔、一家が全員滅多刺しになった後、放火されてそのままになってたんだっけ。
全身が焼け焦げた複数の死体から、刺し傷が何箇所も見つかったっていう話だったが、1人だけ無傷の奴がいて、そいつが犯人だったんじゃないかって話だった気がする......。
——その瞬間、全身を電撃が貫く様な感覚に襲われた。
そうか…そういう事か!......ひっ、ひひひひひ!
あまりの思い付きに、俺に何かが降りて来た様な感覚になり、酷く恍惚を覚えた。
そうすれば少しでもあいつと一緒の苦しみを......!
...それにしても、この高揚感はなんだ?
復讐をあるべき形で果たす事が出来るという悦び......?
...まあ、そんな事はどうでも良いか。
殺せば全てがハッキリするのだから。
——犯行日当日。
時刻は午後1時。
この辺りの低層住宅街は、あの女の家以外、若い奴らは共働きが殆どで、この時間帯は ほぼ誰も居ないし、それ以外の高齢層は自宅で過ごしている時間である為、明るいにも関わらず、歩いていても人目につく事が無い。
俺は女の家の前まで来ると、風呂場の方へ回った——やっぱりな。
風呂場の窓は大人一人がギリギリ入れそうな大きさにも関わらず、鍵が開いていた。
実は深夜に2度、侵入ルートを探りに来た事があり、2度とも鍵が開いていたので、恐らく今回も開いていると確信していた。
仮に閉まっていたら、日を改めて運送屋を装って侵入するつもりだったが、やはり俺は・・・に愛されているらしい。
...ん?何か今頭にノイズが走った様な気がしたが......。
興奮のし過ぎか。一旦深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
俺は素早く家に侵入し、浴室で靴を脱ぎ、リュックから得物を取り出す。
靴とリュックは取り敢えず その場に置いておく事にした。
浴室を出た俺は気配を消しながら、あの女の居場所を探る。
音のする方向は、部屋の位置関係的に多分リビングだろう。
あの女は どうやらテレビを見ているらしい。
音のする方向から、テレビの位置は部屋の奥側。
従って、女はこの内側に開きっぱなしのドアに対して背を向けているはず。
俺はチラッと入り口の影から中の様子を伺う。
...予想通り、女はこちらに背を向けてソファに座っていた。
こく、こくっと頭が上下している。
どうやら寝落ちしかかっているらしい。
ああ!やはり俺は・・・に愛されてる!
興奮のあまり、全身が心臓になったかの様に、ドクドクと脈打ち始める。
ひっ、ひひひひひ!!
殺せる!殺そう!殺してやる!殺さないと!
俺は気配を消して女の近くまで距離を詰め、一気に女の上に覆い被さり、手で口を塞ぎつつ、持って来ていた包丁で腹部を突き刺す。
ズブブッ!
皮膚で抵抗を感じたと思ったのも束の間、それを抜けた瞬間 信じられない位スムーズに、刃が女の体内を犯して行く。
ああっ!ああああっっ!!!
なんだこれ!?こんなに!こんなに!!
気持ち良い事が世の中にあったなんてっ!!!
女は激痛と驚きに悲鳴を上げているが、きっちり口元は押さえてある。体格的に俺の方が若干有利な分、女はもがき苦しむばかりで手を払い除ける事が出来ない。
急所はわざと外してある。何故俺にそんな事が分かるのか分からないのだが、体が勝手に動いていた。
ガムテープを使わないで手で女の口を押さえつけているのも、口をテープで完全に塞いだ状態で鼻呼吸だけになった時、恐怖のあまり酸欠になって窒息する事があると何故か分かっていたからだ。
元々は苦しみを長引かせる為だったのだが、今となっては そんな事はもうどうでも良い。
この快楽を!この悦楽を!この享楽を!
ただただ愉しめればそれで良い!!
「駄目だよ恨み買ってるんだから。あんなに楽しそうに外歩いてちゃ」
女の顔が恐怖と苦痛で歪む。
ズブッ!ズブッ!ズブッ!ズブッ!
皮を裂き、肉を抉りながら、リズミカルに ただひたすら刺し続けると、得も言われぬ快感が全身を駆け巡る。
ああ、セックスに似ているなと思う。
俺はこの女を犯したかったのか?
...いや違うな。
手を止めずに俺はただひたすら刺し続ける。
女は血を吐きながら、まだ叫び声を上げようとしている。
血飛沫が俺の視界を紅く染め上げる。
ああ...久し振りだなこんなに鮮やかに色を感じたのは。
灰色だった俺の視界を真紅が彩り始める。
...そろそろ限界か......。
女の体がピクピクと痙攣する。
最後に弟と同じ様に首を切りトドメを刺した。
......もう少し愉しんでおくか。
俺は死んだ女の身体の至る所を刺し続ける。
ズブッ!ズブッ!ズブッ!
何度も何度も何度も何度も。
「ひひひひひひひ!!」
あー駄目だ!笑いも気持ち良さも次から次へと込み上げて来て、頭と腹がどうにかなりそうだ!!
気持ち良い!愉しい!!
今始めて俺は自由になれた様な気がした。
「こんな楽しい事が一回切りなんてつまらねえよな?」
俺は虚空に向かって問い掛ける。
予定変更だ。男の方も殺そう。
家に帰って来るのは午後6時頃だったか。
時間はまだまだある。
俺は取り敢えず、大量についた返り血が乾く前にシャワーで流しておく事にした。
シャワーを浴びた後、持って来た得物の状態を確認する。
刺し続けている内に何度か骨にぶつかってしまったからか、少し刃こぼれしてしまっている様だ。
...が、これはこれで あの感覚を思い出すきっかけになる。記念品として大事に保管する事にしよう。
一応予備の包丁をもう一丁持って来てはいるが、この家にもっと面白い物があるかもしれないから、色々探してみる事にした。
探索の結果、アイスピックなどが見つかった。
くけけけ、次はアイスピックを使ってみるか。
やや手持ち無沙汰で、この家のキッチンから持って来た包丁で女の体を刺して弄ぶ。
心臓が止まっている為、殆ど血は出ない...が、やはりこの感触は何とも言えず良い。
俺は女の身体に包丁を数丁刺しっぱなしにし、男がリビングに入って来た時に、普通にソファで座っている感じに見えるよう、死体の位置を調整しておいた。
あとは獲物が来るのを待つだけ...…。
一度チャイムが鳴ったが、少し経ってから玄関のドアが開く音が聞こえた。さあ、お楽しみの時間だ!
俺はアイスピックを握りしめ、リビングのドアの後ろの死角部分に身を潜める。
興奮と期待のあまり全身が心地良く震えるのを感じる。
「あっ、やっぱり!寝てたのか?おーい」
そう言いながら男が女に近づき、後ろから肩を叩いて起こそうとするが......
ドサッ!
女が力無くソファに倒れ込んだあと、暫く間を置いて
「え...えっ?....ひっ、ひい!!なっ、何なんだよこれ!?」
男の狼狽ぶりを十分に堪能し、俺は物陰から一気に男に近付き、最初の一突きを加えた。
ブスッ!
「はっ?...え?」
あまりに突然な出来事に、男は状況を全く飲み込めていない様子だった。
アイスピックの先端が肉を掻き分け、俺に気持ち良さと生命の温もりを伝えて来る。
ひひ!思った通りだ!こんなに素晴らしい感触があるなんて!
俺は苦痛と恐怖で叫び暴れる男を薙ぎ倒し、馬乗りになりつつ口を手で塞ぐ。
男は俺よりも遥かに体格では優っているが、抵抗されてもまるで赤ん坊の力位にしか感じない。
ああ、やっぱり俺は......私は貴方に愛されてるのね!
快楽に身を委ね、私はただひたすら男の身体を貫き続ける。
記憶の底に閉じ込めていた私の記憶と、きっとこれはあの人の記憶とが、頭の中で入り混じり、一刺し毎にフラッシュバックする。
親が死んだあと、弟を守らなければいけないと必死だった私は、女としての自分を捨てて男になりたいと思った。
私達と同じ様な境遇だった あの人は、そんな私が女として好きになった最初の人だった。
まあ、当時 彼の方は私の事を妹としか思ってなかったみたいな感じだったけど。
彼の存在は私達の心の支えだった......でも、あの事件が起きて、彼は死んでしまった。
いつもは明るく振る舞っていた彼が時々見せる顔を見て薄々感じていたのに。やっぱり私達と同じなんだって。
それなのに助けてあげられなかった。
そして私はその時の記憶を、女としての自分と共に封印したのだった。
...でも今は違う!彼は居たのだ!
ここにこうして......!
そう、だからこの悦楽の源は、あの事件で自分自身を垣間見た彼の歓びであり、俺の欲望であり、私の願望そのものなのだ。
こうして肉を貫く瞬間にこそ、私達は本当に自由でいられる......!
自らの由を知った悦びの大きさに、私の...私達の脳は壊れそうになった。
...気付くと男は既にただの肉塊へと変わっていた。
アイスピックは殆ど骨にぶつかる事も無く、切先は依然鋭いままだった。
これも記念品として持って行こう。
これでいつでも、この快楽を思い出せる。
心から満足した私は、再びシャワーで返り血を洗い流し、用意していた服に着替える。
ペットボトルに入れた灯油を死体中心に撒き、燃えやすい物を周りに集めておく。
キッチンではそこにあった油を適当に鍋に入れ、コンロの火を全開にしておいた。
...ああ、そうだったんだ。あの時もこうやって...?
あはは、そういえば あの時は冬だったし、貴方の家では石油ストーブを使ってたんだっけ。
じゃあ、割とその辺りは楽だったんだ?
久し振りに弾む会話に心が踊る。
ねえ、自分の身体が燃えるってどんな感じだった?
...あー、なるほどね。煙を吸って気絶してたから覚えてる訳ないか。
私は会話を楽しみながら、着々と事後処理を行なっていく。
午前1時。
この時間であれば、間違いなく誰も歩いていないし、電灯も疎らなので暗がりに紛れる事も出来る。
「じゃ、行こっか」
復讐を果たした心地良さと、身体中に刻まれた快楽と興奮の余波に浸りつつ、私はこの家に置いてあったライターを死体に向かって投げた。
キッチンでは熱せられた油から煙が立ち昇っている。
今は深夜で、ここは木造住宅だし、発見が遅れれば、これ位でも建物が全焼する可能性が高いだろう。
死体は黒焦げになる位だが、私のDNAなどの細かい証拠はほぼ消えるはずだ。
「貴方はあの時 死ぬ事を選んだけど今回は...うん、そうだよね。こんなに気持ち良い事がこれで終わるなんて勿体無いよね!」
私は静かに外に出て、暗闇へと溶け込んで行った......。
後日——
「男性が抵抗出来ず複数回刺されていた事から、警察は犯人が大柄な男性であるとして捜査を進めており——」
テレビでは想定通りのニュースが流れていた。
まさか二人分の力を発揮出来るなどとは誰にも想像出来ないだろうし、出来たとして証明する事が困難であるのだから証拠も乏しい。
...私達が死ぬまで あと何人殺せるかな?
私は彼と一緒に微笑む。
さあ楽園を作ろう!
私達を否定し続けたこの世界に、私達だけが幸福になれる場所を!




