ドッペルゲンガー
花村愛菜の周囲では、本人のそっくりさんが多数目撃されている。「出会ったら死ぬ」とされているドッペルゲンガー。
帰り道に遂に出会ってしまう…。
ドッペルゲンガー
花村愛菜(28)はふらりと立ち寄ったアンティークショップ「時の結晶」で、目を奪われるような美しいドレッサーを見つけた。愛菜はアンティーク家具が大好きで、インテリアにはかなりのお金を注ぎ込んでいた。
光沢のある木目に、繊細で優美な彫刻が施されたそのドレッサーは、100年以上前のものだという。
値段は30万円。決して安くはないが、その美しさに一瞬で心を奪われた愛菜は、即決で購入を決めた。
購入の際、店主の岡本は少し意味深な顔をして、彼女にこう忠告した。
「このドレッサーは素晴らしい品ですが、ひとつだけ注意があります。合わせ鏡はしないようにしてください」
岡本の言葉には少し不気味な響きがあったが、愛菜は深く気に留めることもなく、ただそのドレッサーが手元に届く日を心待ちにしていた。
ついに待ちに待った配送の日がやってきた。
トラックで運ばれてきたそのドレッサーは、重厚感がありながらも、部屋にぴったりと合う優雅な雰囲気を漂わせていた。愛菜はワクワクしながら業者に配置を指示した。
しかし、愛菜は岡本の言葉をすっかり忘れていた。
ベッドサイドテーブルの上にはすでにアンティークの鏡がかけられており、ドレッサーを配置する場所は、その鏡と向かい合う位置だったのだ。
気づかないまま、愛菜は合わせ鏡となるようにドレッサーを配置してしまった。
ドレッサーの大きな鏡は、天井のシャンデリアの光を反射し、部屋全体を一層美しく輝かせた。愛菜は、完璧なインテリアに囲まれて、心から満足していた。
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それから数日後、愛菜の身の回りで、奇妙な出来事が起こり始めた。ある日、同僚が彼女にこう言った。
「この前、あなたを旅行先の金沢駅の近くで見かけたんだけど金沢、行ってないよね?」
愛菜は少し驚いたが、特に気にしなかった。
たまたま自分に似た人――そら似だろうと思ったからだ。
しかし、翌日も同じようなことが起きた。友人が愛菜に話しかけてきて、驚いたように言った。
「この前、近所で愛菜を見たよ。すごくそっくりだったけど、愛菜?って言ったら無視されたよ」
さらに次の日、また別の同僚が同じようなことを言い出した。
そして最後には、隣の県に住む母親までもがこう言ったのだ。
「ねえ、愛菜、昨日、家の近くであんたにそっくりな人を見かけたのよ。こっち帰ってないわよね?」
立て続けに同じような話を聞かされると、さすがに愛菜は気味が悪くなってきた。
そして、トドメの一撃は母の口から放たれた一言だった。
「ねえ愛菜、ドッペルゲンガーって知ってる?自分にそっくりな人が世界には3人いるって言われてるのよ。でも、その人に会ったら死ぬって話があるの」
その言葉が、愛菜の心に冷たい恐怖を植えつけた。
愛菜は仕事が終わり、自宅に戻ってきた。いつものように鍵を取り出し、ドアに差し込もうとしたその瞬間、背後に人の気配を感じた。
鳥肌が立ち、心臓が一瞬止まったように感じた。
ゆっくりと振り向くと――そこにいたのは、自分だった。
目の前に、まさに自分とそっくりな顔があったのだ。
あまりの恐怖に言葉を失い、その場にへたり込んでしまった。
足が震え、頭の中は真っ白だった。
「驚かせてごめんね」
その声まで、まるで自分の声のようにそっくりだった。
目の前にいる女性は、穏やかな表情で愛菜を見つめている。
「私はね、あなたの生き別れた双子の姉妹…妹なの。名前は愛里」
呆然としながらも、愛菜は愛里を家に招き入れた。
恐怖はあったものの、抗うことはできなかった。
リビングに入ると、愛里は静かに座り、愛菜に事の顛末を話し始めた。
「私たちの母があなたを産んだ時、既にあなたの父と結婚していたの。でも、その頃母は別の男性と不倫関係にあって、その男性との間に生まれたのが私たち双子なの。私を引き取ったのは、その男性…つまり、私の父よ」
まさか…そんな話、は一度も聞いたことがなかった。
まるで寝耳に水の出来事だった。
愛里は、愛菜の目の前で自分が一卵性双生児だと告げた。
愛里の言葉はにわかに信じがたいものだったが、目の前にいる彼女が愛菜とまったく同じ顔をしている。信じるしかなかった。
2人はすぐに打ち解けた。
不思議と、初めて会ったという感じはしなかった。双子だからだろう。お互いの心が自然に通じ合い、まるで長年一緒にいたかのような安心感がそこにあった。
一緒に台所で夕食を作り、並んで食卓に座りながら語り合った。愛里の存在は、愛菜に新たな幸せをもたらしたように感じた。これまで知らなかったもう一人の自分――その存在が、愛菜の心にぽっかりと空いていた隙間を埋めてくれたようだった。
「今日ここに泊まってもいい?」
愛里が尋ねてきた。
「一応、ホテルは取ってあるんだけどね」と微笑む彼女の表情は、どこか安心感に満ちていた。
「今日は金曜日だし、明日は休みだから、もちろんいいよ!」
そう言って、愛菜はベッドを使い、愛里はソファで眠るって話になった。
「私がソファで寝る」と言ったけれど、愛里はそれを聞き入れなかった。
その夜、愛菜と愛里はそれぞれの場所で眠りについた。
時刻は23時過ぎ。疲れていたこともあり、愛菜はすぐに眠りについたが、夜中に突然、息苦しさで目が覚めた。
何かが愛菜の上にのしかかっていて、首を絞めている。
息ができず、もがくように手足を動かした。
恐る恐る目を開けると――愛里だった。
愛里は、ものすごい形相で愛菜の首を締めつけている。
瞳は鋭く光り、まるで別人のように狂気に満ちていた。
「な…なんで…?」
愛菜は声を出そうとしたが、喉が締め付けられてうまく言葉にならない。体は力を失いかけていた。このままでは本当に殺される――。
瞬時にそう感じ、必死で反撃する方法を探した。何か武器になるものはないか?手が勝手に動き、手探りでベッドサイドテーブルの上に伸びた。
手に触れたのは、アンティークの鏡。
それだ――。
愛菜はその鏡を掴み、渾身の力を振り絞って愛里の頭に振り下ろした。ガツンと鈍い音がして、鏡が粉々に割れ、床に飛び散った。
その瞬間、愛里の力は一気に抜け、首を絞めていた手は離れ、そのまま後ろに倒れた。
愛里は倒れたまま、まるで吸い込まれるようにして、ドレッサーの鏡の中に消えていった。
愛菜は息を呑み、何が起きているのかわからないまま、呆然と立ち尽くしていた。消えていく彼女を見送るしかなかった。
その瞬間、愛菜は岡本が言っていた「合わせ鏡」の話を思い出した。
どうやら、この合わせ鏡が原因で、愛菜はドッペルゲンガーを召喚してしまったらしい。
最初に忠告された時に、もっと気をつけていれば…。愛菜は激しい後悔に襲われた。
人の話は最後までちゃんと聞いておくべきだったのだ。
ドレッサーが直接の原因なのか、それとも合わせ鏡が引き起こしたのかはわからない。
ただ一つ確かなのは、愛里――いや、あのドッペルゲンガーはこの鏡の中に消えていったという事実だ。
もう二度と、あの恐怖を味わいたくない。愛菜はすぐに、この気味の悪いドレッサーを処分することを決意した。
翌日、粗大ごみのセンターに電話をし、回収してもらうことにした。シールを貼って、粗大ゴミ置き場にそのドレッサーを出した時、愛菜は少しだけ心が軽くなったように感じた。
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その数時間後、近所に住む若い男女が通りかかり、粗大ゴミ置き場に出されたドレッサーを見つけた。
「このドレッサー、めちゃくちゃ可愛いじゃん
でも、しかも粗大ゴミのシールが貼ってあるわよ」
「それなら、持って帰っても大丈夫なんじゃない?」
「持って帰ろうか。そっち持って」
「うん!」
ドレッサーを部屋に置くと、後ろに置いた姿見と重なり、自分の姿が永遠と映っているのが見えた。