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リューズ

平田雅士(40)はアンティークショップで古びた機械式腕時計を購入した。

そのリューズを回すと時間がスキップできる事が判明するが…。


リューズ


薄曇りの午後、平田雅士(40)はなんとなく街を歩いていた。


目的は特になかったが、ぶらぶらと散歩していると、1軒の小さなアンティークショップの前で足を止めた。


店の看板には「時の結晶」と書かれている。


レトロな書体が、控えめながらも風格を感じさせた。ガラス越しに覗くと、店内には古びた時計や置物、銀食器、アンティーク家具などが整然と並んでいるのが見えた。


「こんな店があったのか……」


ふとした興味に駆られ、平田はドアを押して中へ入った。


カランカラン……


ドアベルの音が静かに響き、店内に足を踏み入れると、いくつもの掛け時計が時を刻む音が聞こえた。


しんとした空気の中に、チクタクと規則正しい音が心地よく響く。


ショーケースの中には懐中時計や腕時計が丁寧に陳列されており、その奥には白髪交じりの初老の店主の岡本が静かに佇んでいた。


「いらっしゃいませ」


岡本は眼鏡を外し、穏やかな声で言った。


「ちょっと見せてもらってもいいですか?」


「ええ、ごゆっくりどうぞ」


平田は何気なく時計の並ぶショーケースを見て回った。どれも歴史を感じさせる品ばかりだが、ふと一つの腕時計に目を奪われた。


黒革のバンドに、厚みのある金属ケース。文字盤には余計な装飾がなく、シンプルながらも独特の風格があった。スモールセコンドが配置され、長針と短針の動きが妙に滑らかに見える


「これは……?」


「お目が高いですね」


岡本はゆっくりとケースを開け、時計を取り出した。


「50年以上前のドイツ製です。自動巻きの機械式時計で、手巻きも可能。かなり精密に作られています」


平田はそっと時計を手に取り、文字盤を見つめた。ガラスには細かい傷がついているが、それがかえって時計の歴史を物語っているようだった。


「なかなかいいですね。調子はどうなんですか?」


「精度は良好ですが、扱いには注意してください」


店主の言葉に、平田は眉をひそめた。


「どういう意味です?」


「……あまり、むやみにリューズをいじらない方がいいとでも言っておきましょうか」


店主はそれ以上は語らず、ただ静かに時計を見つめた。


「いくらですか?」


「35000円です」


アンティーク品としては妥当な価格だと思った。

むしろ、この風格と状態を考えれば安いくらいだろう。


「じゃあ、これください」


岡本は小さく頷くと、時計を柔らかい布で包み、木箱に入れて手渡した。


平田は代金を支払い、時計を受け取った。


「ありがとうございます」


岡本の言葉に軽く頷きながら、平田は店を後にした。時計が入った木箱は、なぜかひんやりとしていた。


その時はまだ、この時計が彼の人生を大きく変えることになるとは思いもしなかった。


——————


昼下がりの休憩時間、トラックの中で平田は何気なく腕時計を眺めていた。古びた金属部分は渋く、手に馴染んでいる。

ふとした気まぐれで、リューズを右に回してみた。


カチ、カチ、カチ……


すると、視界が一瞬揺らいだような気がした。


次の瞬間、彼は運転席に座っていた。


「……え?」


先ほどまで休憩していたはずなのに、今はすでにトラックを走らせている。


窓の外には見覚えのある風景が流れていた。


「どういうことだ?」


混乱しながらも、頭の中ははっきりしている。休憩を終え、エンジンをかけて出発し、配送先に向かうまでの記憶がしっかり残っていたのだ。


「そんな馬鹿な……」


もう一度、今度は慎重にリューズを右に回してみる。


カチ、カチ、カチ……


瞬きをする間に、風景が変わった。気づけば、次の配送先に到着していた。時計を確認すると、確かに数時間が経過している。


「これは……時間が飛んだのか?」


しかし、ただの時間の飛躍ではない。飛ばした間の出来事も、まるで普通に過ごしたかのようにはっきりと記憶に残っている。


試しに逆回転させてみた。


カチ、カチ、カチ……


しかし、何も起こらない。


「なるほど……時間を戻すことはできないのか…」


つまり、この時計は人生の時間を早送りすることができるが、過去には戻れない。


平田は腕時計をじっと見つめた。


「嫌な時間を飛ばして、好きな時間だけを堪能する……そんなことが本当にできるのか?」


試しに、仕事の時間を飛ばせるかどうか試してみることにした。


——————


結果は驚くべきものだった。


気がつけば、自宅で晩酌をしていたのだ。


仕事をした記憶もバッチリ残っている。


この時計を使えば、毎日を休みにすることもできるのではないか。そう考えた平田は、試しに15連休を作ってみることにした。


しかし、10日も過ぎると、次第に退屈を感じ始めた。自由な時間は楽しかったが、予定もなくダラダラと過ごすだけの日々に飽きてしまった。


何より、時間を飛ばすたびに人生がどんどん進んでいくことに、漠然とした恐怖を覚えた。


「このまま使い続けたら、あっという間に歳を取ってしまうんじゃないか……?」


そこで、平田は新たなルールを決めた。火曜日と木曜日だけを飛ばすことにしたのだ。


これなら、月・水・金だけ仕事をすればよく、必ず仕事の翌日は休みになる。週に三日働き、残りは休みという理想的な生活だった。


結果、平田の日々は一変した。

次の日が必ず休みなので、気持ちに余裕が生まれた。週の半分以上が休日になったことで、毎日が薔薇色に感じられた。


一人暮らしの平田は、休日を思う存分楽しんだ。


朝から酒を飲んだり、キャバクラや風俗に出かけたり、あるいは一日中寝て過ごしたりと、気ままな生活を満喫した。


仕事に関しても特に問題はなかった。飛ばした時間の間も、何の支障もなく進んでいた。


恐れていた副作用のようなものも一切なく、むしろすべてが順調だった。


「最高のライフスタイルだな……」


平田は満足げに時計を見つめた。このまま使い続ければ、人生はずっと快適に違いなかった。


——————


そんな調子で平田は70歳まで仕事を続け、ついに定年退職を迎えた。


振り返れば、長いようであっという間の30年間だった。


だが、結構な時間を時計の力で飛ばしてきたため、文字通り「あっという間」だったのかもしれない。


仕事は決して楽ではなかったが、大きな事故もなく無事に勤め上げることができた。これもすべて、この時計のおかげだった。


「この時計がなかったら、運転手を定年まで勤め上げられたかどうか……正直、自信はなかったな」


そう思いながら、平田は腕に巻かれた時計を見つめた。


退職後、平田はもうこの時計を必要としないと思っていた。

これ以上、時間を飛ばす理由がないからだ。


しかし、その矢先に体調を崩し、病院で精密検査を受けた結果、ステージ2の胃癌であることを告げられた。


「マジかよ…これから年金生活なのに……」


ショックだった。


だが、冷静に考えれば、これまでの人生は十分に楽しんできた。


仕事は大変だったが、この時計のおかげで気楽な日々を送ることができた。後悔はなかった。


「どうせなら、苦しむことなく逝きたいな……」


闘病生活を送る気はまるでなかった。


治療に耐え、病院のベッドの上で苦しみながら生きるより、一気に時間を進め、死を迎えた方がいい。


平田は決意し、腕時計のリューズを回し始めた。


「……カチ、カチ、カチ……」


慎重に数えながら回す。時間を確実に前に進めるため、指先に力を込める。


100回、200回、500回……


「もっとだ……」


1000回、2000回……


「まだ足りない」


カチ、カチ、カチ……


気づけば、3579回。約10年分回してリューズは止まった。


「これで終わりか……」


もうすぐ自分は死ぬのだろうか。10年間も闘病生活を頑張ったのか?


平田は神妙な気持ちになり、正座をして手を合わせた。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」


そのときだった。


突然、時計の針が動き出したかと思うと、ありえない速度で逆回転を始めた。


「えっ……?」


平田の心臓が凍りついた。


何かがおかしい。何か、取り返しのつかないことが起きようとしている。


——————


気がついたら、平田は40歳に戻っていた。トラックの中、どうやら休憩中の様だ。


狐につままれたような気分だった。


「……どういうことだ?」


サイドミラーを見ると、そこには確かに10年前の自分が映っている。

スマホを見ると2025年、時間も確実に戻っていた。


皺も白髪も消え、肌は張りを取り戻していた。


だが、なぜか胸の奥に不気味な違和感が残っていた。


その日は金曜日だった。久しぶりに若い身体で仕事をしたが、業務は相変わらず長く、大変だった。


トラックを運転し、荷物を積み下ろし、長距離を走る。懐かしくも以前と何も変わらない日常だった。


「明日は休みだ……」


そう思い、ヘトヘトになりながら家に帰り、ビールと焼酎を一気に飲み干すと、そのまま眠り込んでしまった。


翌朝、スマホの画面を何気なく確認すると、目に飛び込んできた日付に息が詰まった。


そこには、月曜日と表示されていた。


「……は?」


昨日は確かに金曜日だった。休みの土日を楽しみにしていたのに、なぜか一瞬で月曜日になっている。


「そんな馬鹿な……」


だが、次の瞬間、恐ろしい事実が頭をよぎった。


「……まさか……」


背筋が冷たくなった。立ち上がると、眩暈がした。


薄々勘付いてはいたが、平田は全てを理解した。


休みの日は、もう二度と来ない。


飛ばした日々を送るだけだと言う事に。


これからの毎日は仕事だけの日々と約10年の癌の闘病生活——。



絶望が一気に押し寄せた。


「うぉーーーーー!!」


平田は恐怖で絶叫し、腕時計を外そうとした。


しかし、時計はまるで生きているかのように腕の皮膚と一体化しており、どんなに力を入れても剥がすことができなかった———。


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