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遠吠え

フリーランスのプログラマーとして働いているリエは自然豊かな環境を求めて、山王村にやってきた。


オオカミ信仰が残るこの地で、ついにリエにも魔の手が忍びよるが…。

吉澤リエが深山幽谷の地、山王村に引っ越してきて一年が経った日のことだった。


いつもなら耳に心地よいと感じる風の音が、この日ばかりは奇妙に聞こえた。


それは、何か遠くから響く声のようだったからだ。


フリーランスのプログラマーとして東京で働いていたリエは、都会の喧騒から離れ、自然に囲まれた静かな暮らしを求めてこの村へ移住した。


インターネットさえ繋がれば、買い物も仕事もどこでもできる時代だ。もし気に入らなければ、また別の場所へ引っ越せばいい。そんな軽い気持ちでの移住だった。


最初のうちは、新しい生活に心が躍った。目を閉じれば、山の静寂が全身を包み込む。鳥のさえずり、虫たちの声、小川のせせらぎ…。東京では決して味わえない「自然の音」に心癒される日々だった。


しかし、半年も経つと、その感動は次第に薄れ、代わりに「退屈」が心の中を占め始めていた。


村人たちとの交流は思っていたほど大変ではなかった。必要以上に干渉されない様に「話しかけないでオーラ」を出していたので、挨拶を交わす程度の適度な距離感を保つことができたからだ。


リエにとって、この距離感は理想的だった。


「この村の人達とは距離をおいて付き合うくらいが丁度いいわね」


そんな風に思いながらも、リエは自分なりにこの地での生活を楽しんでいた。ただ、一つだけ不満があるとすれば、それは「人間関係」に関することだった。


同年代の男性は少なく、いることはいるが、とてもお近づきになりたいとは思えないタイプばかりだった。どことなく無愛想で、男尊女卑を感じるのだ。見定める様に眺めてくる視線にも嫌悪感を感じた。


それでも村の人々は挨拶を返してくれるし、必要な時には頼めば手を差し伸べてくれる。それがリエには「程よい距離感」に感じられた。


だが、この「程よい距離感」が、実は村人たちの間では違う意味で受け取られていたのだ。


「また東京へ戻るのも悪くないわね。それとも、今度は郊外の海が見える場所で暮らそうかしら…」


リエはそう考えながら、日々を過ごしていた。そんな彼女の心境をよそに、村には少しずつ不穏な空気が漂い始めていた。そして、それを象徴するように、あの「声」が夜な夜な聞こえるようになったのだ。


最初は気のせいだと思った。遠くの山から響く、風が木々を揺らす音が少し高く聞こえただけ――そう思い込もうとした。

しかし、その「声」は日に日に大きくなり、次第にはっきりと犬の遠吠えのような音に変わっていった。


リエはその声を、最初こそ不思議に感じたが、次第に「違和感」を覚えるようになった。それは犬の声ではなく、もっと高く、山々にこだまするような音


――頭に浮かんだのはオオカミの声だった。


その声の正体がわからないまま、リエは不安な夜を過ごした。


それから、リエはインターネットで「オオカミ」について調べ始めた。


遠吠えのような声が村のどこかに残る伝説と関係しているのではないか――そんな考えが頭をよぎったからだ。


検索を進めるうちに、オオカミに関する様々な事実が浮かび上がってきた。


ニホンオオカミが絶滅したのは、明治以降のことだった。西洋犬の導入によって広まった狂犬病やジステンパーが原因で、急激に個体数が減少したという。


それだけでなく、オオカミが家畜に被害を及ぼすとみなされ、政府主導で毒殺や猟銃による駆除が行われ、個体数の減少にトドメを刺した、との事だった。


だが、江戸時代以前はまったく異なる存在として捉えられていた。畑の農作物を荒らす猪や鹿を捕食するオオカミは、「山の守り神」として崇められていた地域もあったというのだ。


この山王村にも、そのような伝説が残っているらしい。オオカミを祀る(ほこら)が山中深くにひっそりと建てられ、そこに生贄を捧げていたとか——。


翌日、リエは買い物の帰り道に村人の一人にさりげなく尋ねてみた。


「この辺りにオオカミを祀った(ほこら)があるって聞いたんですけど、知っていますか?」


その瞬間、村人の表情が一変した。まるで何かを隠すかのように硬直し、言葉少なにこう答えた。


「そんなものは昔の話だ。今はもう誰も行かない場所だよ。行く必要もないしね」


それ以上は聞き出せなかった。


「その声は、間違いなく近くから聞こえる…」


日を追うごとに大きくなる「オオカミの声」は、ついにリエの家のすぐ近くまでやってきていた。


その夜、深夜を過ぎた頃、低く響く

「ワオーーーーーー」という遠吠えが、家の玄関先から聞こえてきた。


布団の中で身を縮めながら、リエは心臓がドクドクと鳴るのを感じた。


この村で一年を過ごしてきたが、こんな不気味な気配を感じたのは初めてだった。勇気を振り絞り、ドアスコープを覗いた瞬間、リエは息を飲んだ。


そこにいたのは、オオカミではなかった。


玄関先に立ち尽くしていたのは、村人たちだった。


数人の大人が、四つん這いになり、月に向かって遠吠えのような声を上げていたのだ。まるで人間ではなく、動物の群れのような動きだった。


「なんで…どうして村の人たちが…?もしかして、生贄?」


恐怖で足がすくみ、その場から動けなくなった。スコープ越しに見える村人たちの姿は、次第に異様さを増していく。彼らの動きは徐々にエスカレートし、地面を這い回ったかと思えば、歯を剥き出しにして低く唸り声を上げる者もいた。


それでもリエは声を出せなかった。ただその光景を、震えながら見つめることしかできなかった。


声が一際大きくなり、リエは思わず後ずさった。玄関の外からは「ガリッ…ガリッ…」とドアを引っ掻く音が聞こえた。「ガチャ…ガチャ…」誰かがノブを回そうとする音も聞こえる。


「誰か!助けて…!」


震える声で叫んだが、助けを求める相手などいなかった。村の外は数十キロ先まで人家はない。逃げる術もないまま、リエはドアに背をつけて必死に鍵を押さえた。すると、外の声が急に静かになった。

その時、リエは異変に気づいた。


「窓から…見られている…?」


窓に目をやると、そこには血走った瞳が浮かんでいた。村人の一人が外から彼女をじっと見つめていたのだ。その表情には笑みとも怒りとも取れない、奇妙な感情が浮かんでいた。


「ガッシャーン!! バリッ……バリバリッ……!」


鋭い音を立てて、窓ガラスが粉々に砕け散った。村人たちは一斉に部屋へと雪崩れ込む。


しかし、そこにリエの姿はなかった。


トイレやバスルーム、クローゼットも探すが、どこにもいない。しんと静まり返る室内。夜風が吹き込み、カーテンが静かに揺れる。


ふと、ダイニングテーブルの上に何かが置かれているのが目に入った。


それは、一つの「狐面」だった。


赤と白に彩られた仮面が、微かに月明かりを反射しながら、まるで彼らを嘲笑うかのように静かに佇んでいた。


「……狐につままれた!」


「くそっ、あの女狐……!」


その瞬間、彼らの身体が静かに震え始めた。


やがて段々と小さくなり、茶色い毛並みが浮かび上がる。


長く伸びる鼻先、丸い耳、ふさふさと揺れる尻尾——


彼らは本来の姿、狸へと戻っていった。



解説

オオカミ信仰を受け継ぐ、人間に化けたタヌキと読者をも騙す一枚も二枚も上手の女狐エリの物語でした。


読んで頂きありがとうございます。

是非他の作品もご覧ください。

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