人柱
江戸時代「さよ」として人柱となり、亡くなった記憶を持つ少女亜季。
その記憶に毎日苦しめられるが…。
川に供養しに行くことにより、物語は感動の展開に…!?
人柱
江戸時代、「さよ」は10歳のとき、村を守るために人柱として家族と引き離され、川に身を投げる運命を強いられた。暴れ川として知られる「龍神川」の氾濫を鎮めるため、村人たちは古くからの言い伝えに従い、村で1番美しい少女のさよを選んだのだった。
村長に橋から突き落とされ、両親が悲痛に叫ぶ声が耳に響く。冷たい濁流に押し流され、息が苦しくなり意識が遠のいていく感覚——。それでも、さよの心には消えない想いが残った。
「村は救いたい。でも、お父さんとお母さんと、もっと一緒にいたかった…。」
現代を生きる小学5年生、亜季には誰にも言えない秘密があった。それは、前世の記憶に苦しめられていることだ。
夜になると、人柱となった「さよ」としての記憶が夢となって蘇り、何度も目を覚ます。龍神川の冷たい濁流、溺れる感覚、そして遠ざかる両親の叫び声——。それらは時折、悪夢となり亜季を襲った。
両親や友達に相談しようとしても、「こんな話、絶対に信じてもらえない」と思い、胸の内に秘めるしかなかった。
ある日、亜季は暴れ川だった龍神川が、護岸工事によって穏やかな清流に生まれ変わっていたことを知った。ネットで見た写真には、家族連れが散歩やピクニックを楽しむ平和な風景が写っていた。
「あの場所に行けば、さよの無念を晴らせるかもしれない。」
亜季はそう思い立ち、休日に一人で自転車をこぎ、龍神川へ向かうことを決意した。
まだ寒い3月中旬の昼下がり。50分ほど自転車をこいで龍神川に到着した亜季の目に映ったのは、穏やかで美しい川の姿だった。夢で見たような荒々しい流れはどこにもなく、清らかなせせらぎが耳に心地良い。土手には菜の花が咲き乱れ、あと1か月もすれば満開の桜で彩られるだろう。人々が行き交う風景は平和そのものだった。亜季は川辺に立ち、そっと手を合わせて祈りを捧げた。
「さよの犠牲が無駄ではなかった。」
その想いが亜季の胸を満たし、少し冷たい風に吹かれながら、心が浄化されていくのを感じた。
帰りは道に迷ってしまい、すっかり日が暮れ、家にたどり着いた亜季を待っていたのは、玄関先で立ち尽くす心配そうな表情の両親だった。
「どこに行ってたの!」
母・美和子が険しい声で問い詰めた。
「心配したんだぞ!こんな時間まで帰ってこないなんて…。」
父・晋作も少し怒ったような声で言う。
亜季は顔を伏せ、うつむいたまま立ち尽くしていた。
「どこに行ってたの?」ともう一度美和子が優しい声で尋ねると、亜季は小さく震える声で答えた。
「…ごめんなさい。隣の町の龍神川に行ってたの。」
「龍神川?どうしてそんなところに?」
晋作が不思議そうに眉を寄せる。
「お母さん、お父さん、私、ずっと言えなかったけど…聞いてほしいことがあるの。私、前世の記憶があるの。
それは…江戸時代のことで、龍神川が暴れ川で、村を守るために人柱が必要だったっていう記憶。私はその時…自分がその人柱として川に身を投げた記憶を持ってるの。川に飛び込む前、両親が泣きながら私を見送ってたの。その声が今もずっと頭に残ってて、夢にまで出てきて…。すごく苦しくて怖くて、でも、どうしても村を守りたい気持ちがあったのも覚えてる。
だから、龍神川に行って祈りを捧げたかったの。すごく綺麗で穏やかな川になっていて…。それを見たとき、『あの時の犠牲は無駄じゃなかったんだ』って思えて、ほっとした。手を合わせ、祈りを捧げたら、なんだか気持ちが軽くなった気がしたの」
すると、両親は驚いた様子で亜季を強く抱き寄せた。「さよ!」と晋作が呟くと続けて美和子も「さよ!」と呟いた。
その言葉を聞いた亜季は思わず息を呑んだ。自分はまだ「さよ」という名前を口にしていなかったはずだ。
「ねえ、いま、何て言ったの?」と尋ねたかったが、両親のぬくもりが、あたたか過ぎたせいか、その言葉を言う事は出来なかった。3人はそのまましばらく抱き合った。
「亜季、桜が咲いたらみんなで龍神川に行こうか?」
晋作が言った。美和子がそっと微笑みながら続けた。
「亜季、楽しみね!」
「うん、きっと…すごく綺麗だろうね」
亜季は二人に抱かれたまま答えた。
1ヶ月後
龍神川に架かる橋の真ん中で3人は幻想的な風景を眺めていた。満開の桜が散り始めている、うららかな春の夕暮れ。なだらかな土手に菜の花が咲き乱れ、微かな芳香が鼻腔をくすぐる。春爛漫、百花繚乱と言う言葉が相応しい風景だった。
亜季は悪夢の代わりに、笑顔のさよの夢を見る様になった。あれからも両親とは前世の話は一切していないが、確かに聞いた「さよ!」と両親から呼ばれた事——。
あれは両親に一瞬だけ訪れた前世の記憶だったのだろう。このことは大切に胸の奥にしまっておく事にした。
(もうお父さんとお母さんとずっと一緒だからね、さよ!)
父・晋作は、亜季の前世「さよ」の話を聞いて、朧げながら、自分の前世を思い出し始めていた。
自分の前世——それは江戸時代、龍神川が暴れるたびに、村で1番美しい娘を橋から突き落とし、龍神様に「生け贄」として捧げた村長としての記憶——。そして、今まさに突き落とした時の記憶が「ゾクゾクする快感」として強烈に蘇ってきたのだ。この場所に来たからなのだろう。
傾き始めた穏やかな陽に照らされて、橋から眺める大きな桜の木々は薄桃色に霞んで見える。
「これが国語で習った花霞ね…きれい…」
亜季は少し低い橋の欄干から身を乗り出し、スマホで写真を撮っている。
「危ないよ…」
亜季の背中に両手を乗せた晋作の目は爛々と輝いていたのだった。