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第8話:記録にない記録

「で、本当に行っちゃうんですね、主任。誰にも許可取らずに、堂々と」




 潮風の中、澪が風になびく三つ編みを押さえながらぼやいた。

 乗っているのは久高島行きの定期船。エンジンの音と波音が交じる船上で、肩の白蛇式神だけが妙にリラックスしている。




「本部には“沖縄封印班で対応可能”って言われたのに、ウチらは“勝手に出張”ですよ。もはやSPECじゃなくてSEPECスペック・エスケープって名乗るべきでは?」




「……そのネーミングセンス、呪符で封印していいか?」




 迅がとなりで苦笑いしつつ、澪の後頭部を軽く小突く。




「でもまあ、久高島ってヤバい封印地だろ? 斎場御嶽のときと波形が連動してたし、来ないわけにいかねーよな」




「その“来ないわけにいかねー”で島に渡るの、普通は法的にアウトですよ。霊的じゃなくて現実的に!」




「大丈夫だ、船代は経費で落とす」




「主任のその落ち着きが一番こわいんですけど!?」




 澪が絶叫するのも無理はない。

 九条班は前回の斎場御嶽の調査で、「ツル式封印」の三拠点ネットワークに重大な異常を確認していた。

 中でも久高島の封印だけは、術式構造の“記録”が完全に抜け落ちているという、前代未聞の状態だったのだ。




「封印ってのは、祈りと記録がセットで初めて“術”になる。だろ?」




 迅が腕を組んでうなずくと、澪も渋々頷いた。




「ええ。……でも、久高島の封印は記録が一切存在しないの。“祈りの残滓”だけが、結界の外に滲み出してる。あんなの、解析じゃ手に負えないって」




「それってつまり、“術じゃない封印”ってことか?」




 陽菜が難しい顔で尋ねる。

 心なしか、彼女の周囲の空気が少し熱を帯びていた。




「術じゃない……かもね。祈りだけを残して、全部消した。まるで“記録から外された誰かのための封印”」




「……って、また話がホラー方向に行ってません? ねえ迅さん、今ならUターン船に飛び乗れますけど!?」




「遅ぇよ」




 そんな軽口の中でも、犬養は静かに船の舳先を見つめていた。

 眼帯の下、左眼がうっすらと疼く。視ノ眼が無意識に反応している。




(……この島、なんか……“視たくないもの”がある)




 九条はそんな犬養の様子を一瞥したあと、言った。




「……着くぞ」




 やがて、船は久高島の港に到着した。

 白い砂と濃い緑に囲まれたこの小島は、一見すると平和そのものに見える。




 だが、澄み渡った空の下で、九条班は確かに“張り詰めたもの”を感じていた。

 それは風でも、波でもない。島そのものが発している、祈りのような――沈黙のような――重さだった。




「やれやれ……またここから山道か。文明に飢えるな……」




 澪が愚痴をこぼしつつヘッドセットを装着すると、白蛇が嬉しそうに尾を振る。




「……澪、どうせあれだろ。途中でGPSとか魔術センサー拾って“結界パターンが浮いてます!”って叫ぶんだろ?」




「うっ……先回り予測で煽らないでください! もう浮いてるし!」




 そんな掛け合いの中、九条班は封印の中枢――**“影の泉”**へ向けて、静かに歩みを進めていった。




 誰もがまだ知らなかった。

 そこに“記録されなかった誰か”が、確かに待っていることを。




 * * *



「ここが……“影の泉”か」




 鬱蒼とした森の奥。

 古びた石段を降りきった先に、それはあった。




 木々に囲まれた円形の空間の中央。

 静まり返った泉が、まるで鏡のように水面を凪がせていた。




 陽菜がポニテを揺らしながら足を止め、息を呑む。




「……見た目はただの泉。でも空気が変。静かすぎて逆に怖い」




「違うな。空気じゃない。――ここだけ、音が“消されてる”」




 迅が肩越しに周囲を警戒しながら、静かに言った。




「マジかよ、自然のASMRすら禁止エリア……?」





 陽菜が泉の水面を覗き込む。そこに映るのは、ただ黒く濁った底。




「祈りだけ残って、記録はなし……? それってつまり、誰かが“忘れた”ってこと?」




「いや、違う」




 九条がようやく口を開いた。

 足元の水面に目を落としながら、眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れる。




「ここは……“名を持たない魂が堕ちる場所”だ。記録もなく、名も残らず、ただ祈りだけが沈殿する――そういう地点だ」




 その言葉に、一瞬、空気が凍ったような静けさが降りた。




「……って、それもう怖いやつじゃん。神隠しとかじゃなくて、“記憶隠し”ってことですか」




 澪の声が震える。





「存在は消えていない。だが、“存在したという記録”が残っていない。だから、誰にも語られない。それがこの泉の本質だ」




 九条の声は変わらず淡々としていたが、その言葉の重みは場の全員に響いていた。




 ――ただ一人、犬養を除いて。




 彼はずっと、泉の奥を見つめていた。

 その眼帯の奥。左眼の“視ノ眼”がじわじわと熱を帯びているのを感じる。




(……見えてきた、なにかが。ヤバい……これは――)




 じっとしていられず、一歩だけ泉へ近づいた瞬間。




「――ッ!」




 視界が歪んだ。

 耳鳴りのような感覚と同時に、泉の底から“影”のようなものが揺れた。




 まるで、誰かの“視線”を感じた。




「犬養くん、大丈夫!?」




 澪が慌てて駆け寄る。




「う、ああ……平気。けど……ここ、マジでヤバい」




 犬養の顔には、冷や汗が浮かんでいた。

 白蛇が心配そうに彼の足元でくるりと回る。




「泉の奥で、“誰か”が……いや、“何か”が目を覚ましかけてる」




「やっぱりここ……ただの封印跡じゃないんだ」




 陽菜も息を呑みながら、泉の中心を睨んでいた。

 その奥で、何かが動いた気がした。




 * * *




 霧が、一気に泉を包み込んだ。


 空気が冷たい。湿気じゃない、“霊的な圧”を帯びた冷気が肌にまとわりついてくる。


 犬養悠真はその中心で、微動だにできずにいた。


「う……ッ!」


 眼帯の下の左眼が、ズキリと疼いた。


 脈打つような痛みが広がると同時に、視界がぐにゃりと歪む。


(来る……!)


 次の瞬間、犬養の《視ノ眼・地獄鏡》が強制的に開かれた。


 視界が“反転”する。


 色が、音が、時間の流れが、すべて不規則に揺らぎ――

 そこに現れたのは、“人の形を失った”魂の影たち。


「なんだよ……これ……!」


 泉の底から、輪郭のない影が幾重にも立ち上がる。

 一人、二人ではない。何十、何百。いや、それ以上。


 顔も、声もない。

 ただ“そこにいた”という気配だけを残して――記録にも記憶にも残らずに消えた存在たち。


(……これが、“名もなき死者”?)


 犬養の全身に、ぞわりと悪寒が走った。


 視えるのに、何も分からない。

 聞こえないのに、心が締め付けられる。


 彼らの視線が、一斉に犬養を向く。


(やめろ……そんな目で、見るなよ……!)


 彼の左眼が軋むように熱くなり、呼吸が乱れる。


「犬養くん!? ねぇ、大丈夫!?」


 霧の中から、澪の声が届いた。

 式神の白蛇が心配そうに首をもたげている。


「……平気。たぶん」


 犬養は震える声で答える。だが、その表情は明らかに青白い。



「……って、なんか“封印の中からコンニチハ”的な展開やめてよぉ……!」


 澪が解析フィードを覗き込みながら、肩を強張らせた。


「フィードが強制逆流してる……これ、術式じゃない、感情波!? “怒りと悲しみ”で解析が跳ね返されてる!」


 そのとき、犬養がぽつりと呟いた。


「……誰かが、“忘れさせた”んだ。名も声も、何もかも」


 その瞬間、九条が動いた。


 すっと一歩、泉の前に立つ。


 構えも詠唱もない。

 ただ、そこに立っただけで、世界が一瞬静まる。


 空気がねじれ、風が止まる。


《封霊結界・無明》


 術式でもなく、物理的な結界でもない。

 世界の干渉点そのものを“無に帰す”力。


 霧が収まり、泉の波紋がぴたりと止まる。


 犬養が小さく息を吐いた。

 影たちの視線が、すうっと消えていく。


「この場は……まだ壊させない」


 九条の声は、泉の深奥に向かって放たれたようだった。


 それを合図にしたかのように、気配はすっと消えた。


 沈黙が訪れ、誰もが緊張の解けた呼吸を取り戻し――


 ――その瞬間。


「へぇ……なるほどね。面白い」


 女の声が、霧の外から届いた。


 全員が一斉に顔を上げる。


 そこに――泉の対岸、霧の向こう。

 音もなく“二つの影”が現れた。


 ひとりは黒ジャケットに包まれた巨漢。

 無表情に腕を組み、まるで鋼の塊のように立っている。


 もうひとりは、紅の唇に笑みを浮かべた長髪の女。

 軽薄な雰囲気だが、目だけが鋭い光を宿していた。


「ウワサどおり。これが“SPECの変わり者チーム”ってわけ?」



 女の声が、泉の上を渡って響いた。



「まさか、本当に“祈りの残滓”なんてもの調べてるとは思わなかったわ」




「……あんたら、誰?」


 陽菜が前に出る。


「ここは封印指定区域よ。観光客は船に戻ってもらおうか?」




「観光ねぇ……いやいや。私たち、現地視察に来ただけよ。封印の“構造見学”ってやつ?」




 隣の男が口を開く。


「俺たちは“裏からの派遣部隊”……ま、名乗る必要もねぇか」




 陽菜が片眉を跳ね上げた。


「裏? 何それ。“裏メニュー”みたいなノリ?」




「表のやつらは“守る”って言うけど、俺たちは“壊す”方が専門でね」


 男は腕を解き、静かに拳を鳴らす。骨がパキパキと不気味に響く。




「で、あんたらは……“正義の味方”ってワケだ。ダッセェな」




「戦闘配置」


 九条が静かに言った。それだけで、全員の空気が切り替わる。



 * * *



 澪の声が、焦りを帯びて霧の中に響いた。




「このまま戦ったら封印構造が壊れる! 戦闘干渉が強すぎるわ!」




 解析式の歪みが視界に走り、式神の白蛇が警告音のような鳴き声を上げる。


 その傍ら、犬養の《視ノ眼》が泉の底の“揺らぎ”を捉えていた。




「また何かが……目覚めようとしてる」




 澪の声に、迅と陽菜が即座に反応した。



 迅が敵の前に立ち、腕をぐるぐると回しながらニヤリと笑った。



「よし、ちょっと筋トレ付き合ってくれや、筋肉タワー!」




 宗像迅は、まるで遠足のリーダーのような笑顔で言い放つと、岩の上からひらりと飛び降りた。だが、その視線は真剣そのもの。封印の泉を見やり、視線を鋭くする。




(――ここじゃまずい。泉に被害が出たら、澪もヒナも止まらん)




 彼はわざと相手の視線を煽るように、手招きして言った。




「なあ、そっちのバケモノボディ。力任せに暴れるなら、せめて場所くらいわきまえようぜ?」




 その挑発に、黒ジャケットの男が、ようやく反応する。無言のまま、踏みしめた地面がひび割れる。




「……興味深い。誘導か。だが、そこに意味はあるのか?」




「意味しかねぇよ。お前みたいな重量級は、野外アリーナでやらなきゃ面白くないからな!」




 迅が森の外縁――やや開けた岩場へと飛び出す。封印陣から距離を取りつつ、敵も自然とそれを追ってくる。




 場所を移すだけでも、術式構築にかかる干渉は減る。それを分かっているからこそ、迅は一直線に突っ走った。



 一方――




「澪、封印は任せた! こっちは外で“焼いて”くる!」




 陽菜もまた、霧の中に姿を消しながら叫ぶ。


 その声に返ってきたのは、澪の鋭いツッコミ。




「本当に焼くだけで済ませて!! 結界ごと蒸発させないでよッ!」




「やる前から信じてないのおかしくない!? 私だって加減できるもん!」




 陽菜は長髪の女の姿を視界の端に捉えると、わざと封印から外れた側の山道へと滑り込む。


 振り返りざま、燃え上がる陽焔を霧の中に叩き込んだ。




「こっちよ、厚化粧のお姉さん!向こうでゆっくりお話しましょ!」




 熱風が誘導となり、女はゆっくりと陽菜の後を追って動き出す。



 女は笑みを浮かべながらも、その目は鋭く陽を観察していた。




 * * *



 ゴゴン――!


 開けた場所で対峙するふたり。

 巨漢の男が拳を鳴らすと、空気が低く唸った。

 拳に浮かぶのは、黒く走る紋様。骨の内側まで補強されたような異様な“強化の痕”。




 宗像迅は腕をぶらぶら回しながら、相手との距離を取っていた。


「おーおー、睨み効かせてくるねぇ。殴り合いなら歓迎だけど、せめて名乗るくらいの礼儀は……」


 その瞬間、耳元の通信機がピピッと点滅した。






 《澪》「迅、今そっちに行ってる相手――完全に異常。術式の骨組みが改造されてる」




 《迅》「骨組みって、お前それレントゲン解析でもしてんのかよ……」




 《澪》「式神経由でね。白蛇は視覚より“霊波”で拾うから、構造の異常が分かるの。封印の邪魔になるわけにもいかないし、現場から動けない私には“この子”が目と耳代わり」




 彼女の肩で白蛇がちろりと舌を出す。

 解析画面には、男の体表に浮かぶ霊的模様がぐるぐると数式のように展開されていた。




 《澪》「核強化の系統は、うちの本部が昔試験的に研究してたやつと似てる。でも、ここまで派手な戦闘用に派生してるの、見たことない。完全に“改造”されてるわ」




 《迅》「つまり、“バリバリの危険物”ってことね?」




 《澪》「あと……もう一人いるでしょ? 陽菜が変な反応出してる。精神系、幻術の可能性あるわ」




 《迅》「ヒナが一番苦手なタイプか……了解。とりあえず、様子見で殴る」






 一方、陽菜は霧に包まれた森の一角に立ちすくんでいた。


 額から汗が伝い落ちる。肩が、ゆっくりと上下する。




「……なに、この空気」


 周囲は静かすぎて、木の葉の揺れる音さえ妙に不自然に感じられる。

 熱も、湿気も、音も。全部が“張り詰めた静寂”の中に閉じ込められているようだった。




 木陰の先。

 女がいる――長い髪を揺らし、どこか楽しそうに立っている。


 だが、なにもしてこない。話しかけてこない。構えも取らない。

 ただ、こちらを見ている。




(なんなの……? “待ってる”みたい)




 陽菜の拳が微かに震える。

 ただの緊張じゃない。相手が、何かを“探ってる”ように見えて仕方なかった。




「ねえ、あんた、何が目的――」




「……焦ってるの?」


 女の声が返ってきた。笑っていた。

 それだけだった。けれど、それだけで、陽菜の胸の奥がざわめく。




 一歩――踏み出しかけて、陽菜は止まる。


(駄目だ。挑発だ……っ!)




 指先に、熱が集まりかける。

 けど、それは発火するほどじゃない。


 火紋もまだ浮かばない。

 陽菜の中の“導火線”は、まだ火花を散らしていない。けれど――確実に、燃え始めている。




 通信機がピピッと鳴った。




 《澪》「陽菜、聞こえる? 今そっちにいる相手、幻術の可能性がある。刺激せず、冷静に距離を取って」




「幻術……っ」


 陽菜は息を呑む。


 たしかに――視界の奥が揺れるような違和感は、ある。


 音や匂い、風の流れさえ“少しズレて”いるような気がしていたのだ。




(あいつ、本気で仕掛けてきたら……私は……)


 過去の記憶が脳裏をかすめる。

 でも今は、まだ踏み出していない。




「……やるなら、いつでも来なさいよ」


 陽菜は構えた。



まだ戦いは始まっていない。

感想や考察、とても励みになります!

ブックマークや評価もしていただけると、本当に嬉しいです!


もし、「あれ? ここ、ちょっと変かも?」と思ったところがあれば、

そっと教えていただけると、めちゃくちゃ助かります!


それではまた、次の話でお会いしましょう!

楽しみにしていてくださいね!

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