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第7話:紅蓮、鳴動す

 斎場御嶽の森の奥、湿った空気の中に、ぴんと張り詰めた緊張が漂っていた。


「……ここの波形、やっぱおかしい。さっきと比べて、霊流の位相が反転してる」


 崖沿いの岩肌に手をかざしながら、芹沢澪が眼鏡をずらしてつぶやく。

 肩に乗った白蛇・しらたまがぴくりと反応し、首をすくめるように身をよじった。


「んん〜、これはもしかして、結界構造の断裂型崩壊現象……いや、“内部因果からの漏出波”? いやいや、まさか、あの幻の“縁断の兆し”じゃ――」


「……一人で完結すんな」


 宗像迅が、背後から軽くツッコミを入れる。

 とはいえ、彼の表情もどこか冗談では済まされないものになっていた。


「つーかさ。最近さ、火の子も霊の子も、調子ズレてねぇ?」


「へ?」


 炎術師・陽菜がきょとんと振り返った。ポニーテールが揺れる。


「私、ぜんぜん元気だけど? むしろ最近すっごく熱が乗ってきててさ、見て見て!」


 彼女は木の枝に立ち、手のひらにぽっと霊火を灯す。

 が、次の瞬間――


 ボンッ!!


 木の先端があっさり黒焦げになった。


「……って、あれ!? うっそぉ!? こんなに出すつもりじゃ――」


「はぁ!? ちょ、待てって! この前もそれで洞窟ひとつ吹っ飛ばしただろ!」


 迅が慌てて陽菜を羽交い締めにする。


「え、えー!? 違うもん、今回は制御できてたもん!」


「制御できてる奴は“自分で言わない”んだよ!」


 そのやりとりを、やや離れた場所から見ていた犬養悠真は、木陰に腰を下ろし、

 心の中で静かに突っ込んでいた。


(……こんな状況でギャグ展開になるこの班、マジで大丈夫か?)


 だが、彼自身もまた、胸の奥で何かの違和感を感じていた。

 肌に触れる風が、重く、湿っている。

 聞こえるはずのない“誰かのささやき”が、耳の奥で蠢いていた。


 そしてその気配に、まるで呼応するかのように――


「……影が、動いてる」


 悠真の左目の奥で、《視ノ眼》が、ひっそりと疼いた。


 * * *


「はい注目〜! いっちょ本気出しちゃいますか〜!」


 陽菜がどこからか取り出した謎の木札を地面に叩きつけた瞬間、

 炎術の式符が小さな火花を上げて炸裂した。


「《陽焔ノ術》――いっくよ!」


 地面から炎の柱が立ち昇る。


 ……はずだった。


 が、次の瞬間。


 ゴウッ!

 火柱は想定より三倍ほど太く、空高く燃え上がり、そばの木々まで一部炙る勢いに。


「――わっ、わっ、やばい、ちょっと待って!? なんで!?」


 陽菜は慌てて後ずさるも、霊火は止まらない。


「ちょ、またかよ!」

 迅が前に飛び出すと、まるで慣れたように防御姿勢を取る。


「火力盛りすぎだっつーの!ってか誰だよこんな燃えやすいとこで術式使わせたやつ!」


「自分でやったのよ!?」澪がツッコみながら、霊波を即座に測定して叫んだ。


「まずい、これは術者由来の波形増幅……いや、霊脈自体が“術に共鳴してる”!?」


「訳せ!」


「つまり、陽菜ちゃんが“暴走させられてる”ってことーッ!」


 白蛇しらたまも、びくっと体を硬直させながら澪の肩にしがみつく。


「やっぱ、何かあるんだよ、封印……崩れかけてんじゃない?」


 悠真がぽつりとつぶやいたその瞬間、

 九条が無言で足を踏み出し、右手を軽く掲げた。


 ――静寂が落ちる。


「……《封霊結界・無明》」


 発動の瞬間、燃え広がろうとした霊火が、

 まるで透明な膜に吸い込まれるように静かに沈静化する。

 空気が凍るような張り詰めた静けさの中、九条の銀縁眼鏡だけが静かに光った。


「あ、収まった……」


 陽菜はその場に尻もちをつき、肩で息をしている。


「な、なんなのよもう……っ。自分でも止められないなんて……」


「陽菜ちゃん、感応率が異常上昇してた。外部から、マブイに干渉されてるわ」


 澪が地面に這いつくばって地熱を感知する。


「でもこんな現象、記録には……ない。あったとしても……それは……“封印が叫びを上げたとき”の反応――」


「おいおい、ホラー映画の後半かよ」


 迅が苦笑まじりに言ったが、その声にも緊張がにじむ。


 悠真は静かに目を閉じた。

 その奥で、左目がまた――“黒い影”を映していた。


 風の音の中に混じる、かすかな嗤い声。


(……いる。近くに、“奴ら”が――)


 次の瞬間、空気がひんやりと変わった。


 冷気と、瘴気が同時に迫る。


 * * *


 風が止んだ。


 斎場御嶽の空気が、不自然なまでに冷たく沈む。

 それは、ただの気温低下ではなかった。葉が凍り、地面の湿気が霜に変わっていく――そんな異変だった。


 ザッ……ザッ……


 乾いた足音。

 森の奥から現れたのは、ふたりの女。


 ひとりは銀の髪を持ち、無表情のまま歩いてくる。

 その足元に触れた草は、白く硬直し、やがてパキリと音を立てて砕けた。

 彼女のまとう冷気は、空気中の水分を凍らせ、周囲に霜柱のような模様を描いていく。


 もうひとりは、腰まである髪を揺らしながら、金属瓶を手にしていた。

 そこから漏れ出す煙のような霧が、草の葉をしおれさせ、苔を黒く変色させる。

 あたりの空気は妙に重く、肌がじわじわと痺れる感覚が広がっていた。


「……何者……?」


 陽菜が炎を灯しながら、かすれ声を漏らす。

 そして、一歩、前へ。


「なに黙って突っ立ってんのよ! 勝手に現れて冷気と毒撒いて……!」


 銀髪の女が微かに目を細めた。


「……熱すぎるものは、冷ますだけ。火傷の原因だから」


 その声と同時に、彼女の背後に氷の刃が浮かび上がる。

 刃先は鋭く、空中に静かに揺れているが、その先端がかすかにきしむ音を立てていた。


「上等じゃない……!」


 陽菜の両手に炎が宿る。

 霊火はうねるように燃え、足元の草を焼き焦がしながら広がっていく。

 岩肌には赤い熱がじわじわとにじみ出ていた。


「《陽焔ノ術・双式》――!」


 陽菜が拳を突き出すと、二条の炎の奔流が一直線に疾駆した。

 その熱は空気をゆがめ、地面に灼熱の帯を刻みながら突き進む。


「《氷壁ノひょうへきのじん》」


 銀髪の女がすっと手をかざす。


 すると足元から氷の槍柱のような防壁が複数、前方にむかってせり上がった。

 地面の霜が広がり、氷のラインが編まれていくように形成され――


 炎と氷が中央でぶつかった瞬間、閃光が弾けた。


 **バシュウウッ!!**と激しい音とともに、

 氷が蒸発し、炎が白い蒸気に包まれ、爆風が前後左右に吹き飛ぶ。


 視界が一瞬で真っ白になった。

 爆心地の土が吹き飛び、岩の表面には砕けた氷片と黒焦げの焦土が混じっていた。


「ちょ、視界ゼロっ……なにこの蒸気地獄……!」


 陽菜の霊火と氷術の衝突によって生じた蒸気爆風は、地形ごと視界を白く覆いつくしていた。

 辺り一帯に焼けた草の匂いと焦げた霜のにおいが混じり、五感すら狂いそうになる。


「くそ、やっぱこうなるか……!」


 迅は迷わなかった。

 地を蹴り、霧の中心へ一気に踏み込む。

 吹き出す熱をまともに浴びながらも、構わず腕で顔をかばい、低姿勢で突っ込む。


 感覚を研ぎ澄ませば、聞こえる。陽菜のかすれた呼吸音。

 そこにいた。


「陽菜!」


 陽菜が振り返る間もなく、迅は彼女の手を取る。

 そしてそのまま、炎に当たらぬよう陽菜の背中を自分の胸に押しつけて抱え込み――


 跳ぶ。


 霊力ではなく、筋力で。脚力で。

 爆風に合わせるのではなく、爆風の余波を読んで“先に逃げる”。


 迅の足が地を蹴る。白煙の壁を蹴散らしながら、一気に安全圏へ跳び退いた。


 着地の瞬間、彼の上着の裾が焼け焦げて崩れ落ちた。

 だが陽菜は無事だった。


「っつぅ……あっぶね……」


「……あんた、なんであんなとこ突っ込んでこれんのよ……!」


「お前が突っ込むタイプだからだよ。こっちも慣れてんだ」


 そして、白い霧の中から、もうひとつの影がぬるりと現れた。


 金属瓶の蓋がカチリと開き、そこからさらに濃密な霧が這い出してくる。


 霧に触れた葉がしおれて垂れ下がり、石の表面に黒い斑点が浮かび上がる。

 さらに、辺りに漂う空気に焦げたような異臭が混じり、思考に軽い眩暈が走った。


「やあ。あんまり派手にやらないでくれる?

 “健康的に死ぬ”には、ゆっくりがいちばんだからさ」


「その感覚やべぇわ!!」

 迅が即ツッコミを入れるも、汗が額ににじむ。


「ちょ、これ毒じゃん!? 吸うだけでヤバいやつじゃん!」


「ふふ、いまさら?」


 毒をまとう女は楽しそうに首をかしげる。

 霧がさらに広がり、澪が結界を展開しようとするが――


「ダメっ……毒霧のせいで霊脈にノイズが入ってる! 式、座標がズレて……!」


 澪の手から結界陣が浮かび上がる――が、ぐにゃりと歪んでそのまま“しゅうっ”としぼんだ。


「ちょっと!? 今の、結界の火が途中で消えた花火じゃん!」


「縁日で一番しょっぱいやつな!」

 迅が即ツッコミを入れる。


「見せ場つくる前に終わるとか聞いてないんだけど!!」


「せめてピカッて光れよ!」


 陽菜の炎は冷気で封じられ、澪の術も乱され、現場は刻々と崩れかけていた。


 少し離れた木陰で、犬養はじっとそれを見ていた。


 だが――見えているのは、ただの“戦い”ではなかった。


(違う……あいつらから……なにかが、にじんでる)


(目に見えないのに、見えてしまう……)


 彼の左目が、疼く。

 視界の端に、黒い“手”のような何かが伸びている。まるで封印の結び目をほどこうとしているような――そんな感覚。


 九条が前へ出て、無言のまま手をかざす。


「……名乗らなくていい」

 彼の声が静かに落ちる。


「“まだ”な」


 * * *


 霧はまだ消えない。


 蒸気と瘴気が入り混じった空間は、まるで呼吸するたびに肺の奥が重くなるようだった。


「くっ……このままじゃ、陽菜ちゃんの霊力が……!」


 澪が必死に崩れかけた霊式を立て直そうとする。

 白蛇もしらたまも、普段より警戒して澪の首元に強く巻きついていた。


 そのとき。


「もういいわ。今は“状態確認”だけで十分」


 銀髪の女が、霧の中から静かに言った。

 その声は、変わらず冷たく、そして決して感情の波を見せなかった。


「今回はこの程度にしておくよ。準備は……進んでるから」


 毒をまとう女が続ける。

 その笑みは、毒気よりもずっと不快だった。


 二人は霧の中へと、足音もなく姿を消していった。

 霧だけが残り、しばらくその場に漂っていたが、やがて霧が風に流されるように消えていく。


 残されたのは、黒く変色した草、霜に焼かれた地面、そして――


「……封印の痕跡が、削れてる」


 澪の声に、誰もすぐには応えなかった。


 岩肌に刻まれていたはずの霊式文様が、一部、ざらついたように消失していた。

 自然の摩耗ではない。

 何者かが意図的に、“封じる力の構造”だけを削ぎ落としたような痕跡だった。


「この場所……もう、“結び”が持たないかもしれない」


 澪の手が震える。

 白蛇もしゅるしゅると警戒音を鳴らす。


 陽菜は、少し離れた倒木に腰を下ろしていた。

 顔に汗をにじませ、肩で息をしながらも、笑っていた。


「なにあれ……氷と毒のコンビなんて聞いてないって……」


「おまえが先に火を噴いたんだろが」

 迅が水筒を投げて渡す。


「……ありがと」


 一言だけ、陽菜が素直に返した。


 そのすぐ隣で、犬養はまだ黙ったまま立っていた。


 いや、“立っていた”というより――

 視えていた。


(……まただ)


(あいつらがいた場所に、まだ……残ってる)


 彼の左目の奥が、じくじくと痛む。


 視ノ眼が、遠ざかったはずの影を、まだ追いかけていた。


 黒いしみのような気配が、ゆらりと岩陰に揺れている。

 そこから、細くて長い糸のようなものが、空中を這って伸びていた。


 どこへ?

 答えはわからない。


 けれど――その先に、“誰かの名”が浮かび上がってきた気がした。


 ツ……?


 犬養は言葉にならない音を、喉で飲み込んだ。


「……犬養」


 九条が、不意に彼の名を呼んだ。


「視えたか?」


 その声は、いつもと同じように静かだった。

 だが、その沈黙の中に、かすかな緊張がにじんでいた。


 犬養は、言葉に詰まりながらも、小さく頷いた。


 九条は、それ以上何も聞かず、ただ空を見上げた。


 高く、何もないはずの空。


 だが、そこにも――薄い、裂け目のような何かが、犬養には“視えた”。

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