第6話:南方より来たるもの
那覇空港、到着ロビー。
観光客でにぎわうその一角に、場違いなオーラを放つ五人組が降り立った。
「ぬわぁーっ!なんで空港降りた瞬間に蒸しサウナ!?日本ってほんとに日本なの!?」
巫女制服に黒ブーツ、完全に沖縄の気温とミスマッチな白鷺陽菜が、汗だくで暴れている。
「……気温34度。湿度、82%。霊的密度、関東より2.4倍……ふふっ……ここ、好きかも……!」
三つ編みにメカ耳ヘッドセットの芹沢澪は、逆にテンションが上がり始めていた。手元の式神(小型白蛇)はすでにタオル代わりにされている。
その横で、上裸に法衣ジャケットという謎の装いの男・宗像迅が大股で歩きながら笑った。
「空港に着いて3分で怪しまれる恰好って、逆に才能だろ。てかお前ら、何の部活?って顔されてんぞ」
「観光客だろう。我々は」
と、誰も尋ねていないのに答えたのは、無表情の男――九条明鏡。銀縁眼鏡に黒スーツ。どこから見ても公安関係者。ポニーテールを揺らしながら、平然と空港の人波をすり抜ける。
迅が苦笑する。
「そのスーツで“観光客”は無理あるだろ、隊長……」
そんな彼らの少し後ろを歩くのは、学生服に眼帯姿の犬養悠真。相変わらず無言だが、内心は騒がしい。
(なにこの集団……俺だけが一般人に見えるって、もはや恐怖だろ……)
「ま、気にすんな犬養。俺たちは正義の影部隊、特別監察官チームってことでな!」
(それを声に出すな……!)
ようやく空港を抜けた九条班は、すぐさま那覇市内の“霊波異常エリア”へ向かう……予定だったが。
「すみません、そちら――“正式な許可申請のない団体”ですよね?」
空港を出て3分、県庁の霊災対策課から派遣された現地係官に、きっちり止められた。
「……観光中です。家族旅行の延長で」
即答する九条。
「誰が家族だコラァ!!」
陽菜のツッコミが空港に響いた。
「……姉妹、というのは?」
「却下だ!顔ぜんぜん似てない!」
係官がため息をつく。
「……とにかく、勝手に調査活動されると困ります。沖縄の霊災は、沖縄の手で解決する方針なんです。わかっていただけますか?」
その言葉に、九条班は無言になる。
だが、九条は静かに頷き、こう返した。
「理解した。……では我々は、“散歩”をする」
係官がまばたきした瞬間には、すでに彼らの姿は路地の向こうに消えていた。
「……あれ、たぶん散歩じゃないですね……」
静かに唖然とした係官の呟きが、夏空に虚しく溶けた。
* * *
那覇の市街地を抜け、タクシー3台を乗り継いだ九条班は、とある霊波異常地点へ向かっていた。
「ねぇ、九条さん。これほんとに“散歩”のルートなの?」
陽菜が不満そうに言いながら、コンビニで買ったさんぴん茶を一気飲みしていた。
「……観光客の自由な移動範囲内だ」
九条はすまして答えるが、歩いている道は明らかに“地元の人でも行かない裏山の農道”だった。
「お前の観光どこにピン刺してんだよ……」
迅が頭をかきながら、手元の地図アプリを確認する。
「……澪、ここ本当に霊波反応あるんだよな?」
「あるある!ばっちり検出したの!」
澪はヘッドセットに手を当て、興奮気味に喋り出す。
「今回の霊波パターン、特定の符号列を持っててね、しかも旧結界群に分類される可能性があるのよ!しかもしかも、このあたりの地質構造って地下水脈と——」
「長い!」
陽菜のつっこみがすかさず入る。
「要するに、何かあるってことでいいのよね!?」
「YES!!」
その隣で、犬養悠真は黙ったまま、空を見ていた。
(なんだこの感じ……空気が“浅い”。時間の厚みが、薄い……)
「……悠真、なんか視えてる?」
迅がふと声をかける。犬養は少し間を置いて、口を開く。
「……風が、逆に吹いてる。上から、じゃなくて……地面の下から」
一同の空気が、少しだけ変わった。
「それ……影っぽいね」
澪の白蛇がピクリと動き、少し震える。
その時、前方に何かの鳥居のようなものが見えてきた。古く朽ちかけた赤い木製。周囲は木々に埋もれ、もはや地図にも載っていない。
「お、これじゃねぇ? 見てみろ、石碑あるぞ石碑!」
迅が駆け寄ろうとしたその瞬間——
「待ってッ!!」
陽菜が叫ぶ。途端に、その足元の雑草が一斉に枯れ落ちる。
「……結界、だよ。ごく薄いけど、まだ“生きてる”」
九条が、すっと手をかざす。空間に小さな揺らぎが走った。
「封印の名残だ……術式が、沖縄式じゃない」
九条の目が細められる。陽菜がごくりと唾を飲む。
「ってことは……!」
「外から来たモノを、ここで……封じたってことかもね」
澪が目を輝かせる。すでにメモとデバイスをフル回転中。
「うわー、絶対やばい匂いしかしないのに、テンション上がってる人がひとり……」
陽菜が後ずさる中、悠真の左目が、静かに疼き始めていた。
(視るな。視たら、引きずりこまれる——)
そんな彼の内心をよそに、九条は静かに結界の境界線に一歩、足を踏み入れる。
「……行くぞ。散歩の続きだ」
「その“散歩”のスケール、絶対おかしいってぇ!!」
陽菜の悲鳴が、森の奥へ吸い込まれていった。
* * *
九条の一声で“散歩”が再開された。
先頭を歩くのは澪と白蛇。顔は満面の笑み、歩幅は小刻みな小走り、手には霊波計測端末と古地図。誰が見ても探検マニアである。
「わたし、ここ来たかったのーっ!昔の霊災記録に“中部森域第十三号遺構”って書かれてたとこ、たぶんここだよ〜!」
「コードネームで呼ぶあたり、もう絶対ロマンでしょ……」
陽菜が汗を拭いながらつぶやく。その背中にバサッとでかい葉っぱが落ち、彼女がぴょんと飛び上がった。
「いやああっ!? なんか降ってきた!! これ、祟り!? やばい系!? 迅〜〜〜!!」
「大丈夫大丈夫、南の木の葉は優しいから。むしろ落ちてきたのは歓迎の印よ」
迅は木の葉を拾いながら、勝手な沖縄霊学解説を始める。
「古来より、沖縄の森には“霊風”という概念があってな。これは風と一緒に記憶が——」
「もういいよっ!!森の解説聞いてる場合じゃないでしょっ!」
と、陽菜が叫んだそのとき。
森が、ぴたりと静まった。
風の音が止み、鳥の鳴き声も消える。
気づけば、彼らはぽっかりと開けた一角に立っていた。
雑木の間に、苔むした石の御嶽。横倒しの鳥居。そして、地面には不自然な“円”。
「結界痕……だね」
澪が呟いた。
「マジか……ホントに、あったんだな」
迅が口笛を吹く。
その中心部、わずかに黒ずんだ石碑に、何かの印が掘られていた。読めない文字。否、読める者がいない文字だった。
「ここの構文、記録にない……。どの式体系にも属さない……。まさか、これが“ツル式”……?」
澪が震える声でつぶやく。白蛇が腕に巻きつき、ピクリと反応する。
そのとき、悠真が動かなくなった。
石碑の前、じっと一点を見つめたまま。
彼の“視ノ眼”が、ほんのわずかに開いていた。
「……ここ、“現在”じゃない……」
彼の口から漏れたその一言に、全員が息を呑んだ。
九条が一歩前に出て、手を掲げると、空間が“揺れた”。
見えないベールが剥がれ落ちるように、結界の残滓がゆらりと舞い上がる。
澪が反射的に叫ぶ。
「霊質レベル上昇!この場所、何かを……押し出してくるッ!」
「うわっ、なんか黒いの出てる!?これ、気のせいじゃないよね!?」
陽菜が目を見開いて指差す先、地面の下から“黒い水”のようなものがじわりと染み出していた。
すぐさま、九条が《封霊結界・無明》を展開する。
声も掛けず、詠唱もなく。ただ静かに右手を振ると、空間が、光を飲み込んでいった。
ぴたり。
影は、動きを止めた。
鳥が鳴いた。風が戻った。
「……安定したみたい。さすが、九条さん……」
澪がぽつりと呟く。
「……いやいやいやいや!なんでみんな冷静なの!?いま、なんか封印されてたよね!?なんか出てたよね!?出ちゃいけない系のやつだったよね!?!?!」
陽菜の絶叫に、誰もがうなずく代わりに、そっと視線を逸らした。
その沈黙の中心で、九条がぽつりと言った。
「……記録されていないものは、記録の外で処理する。それが原則だ」
「意味深っ!!!」
* * *
「……“封じられてた何か”が出てきたってことで合ってる?私たち、爆弾踏んだ系?」
陽菜がぐるぐると腕を回しながら、石碑の前で尋ねた。誰も肯定も否定もしない。やめてほしい。
「安心しろ。まだ爆発してない」
迅がにやりと笑う。陽菜の顔が即座にひきつった。
「そーゆーこと言うから怖くなるんだってばッ!」
一方、澪は御嶽の石材に貼られた古い札を手に取り、メカ耳ヘッドセットで何かを読み上げている。
「この文様……明治期の沖縄式とは違う。“太陽印”の亜種。結びの式式構造、四重の位相……あれ?これ、“人間にしか使えない構文”じゃ……?」
そのとき。
犬養悠真が、また動かなくなった。
彼の眼帯の奥が、じわりと疼く。右目が、勝手に開こうとする。
視界が、反転する。
“視えてしまう”――存在しないはずの、過去が。
(……この場所……前にも来た?いや……“誰かが来た”記憶を見てる?)
景色が変わる。自分が立っていたはずの場所に、誰か別の人物がいた。
白い装束。赤い布帯。少女のような佇まい。だが、その背にあるのは、夜のように黒い太陽だった。
(あれ……誰だ……?)
視界の中心、その少女がこちらを見た。
顔は、ぼやけていた。だが、口元だけがはっきりと動いた。
「……戻れ……」
瞬間、視界が弾け飛ぶ。
「――っ!!」
悠真が膝をつく。目を押さえ、荒く息をつく。全身に冷や汗が浮かんでいた。
「犬養ッ!? どうしたの、大丈夫!?」
陽菜が駆け寄る。だが悠真は、ただ首を振った。
「……誰かが……いた。ここに。記録じゃなく、記憶に……」
「“霊的残留意識”……?」
澪が静かに言う。白蛇が腕から降りて、石碑の方を凝視していた。
そのとき。
空気が一瞬、ぶるっと震えた。
空間の片隅、封印円の外――その“影”の中から、なにかが“のぞいていた”。
目では捉えられない。だが確かに、“視られている”感覚があった。
「――っ、結界再展開!」
九条が無言のまま、すっと手を払う。空間がひとつ、静かに閉じるように封じられる。
その瞬間、風が戻った。音が戻った。存在の重さが、消えた。
「……今の、見えた人、いる?」
陽菜が言うと、全員が黙った。
数秒の沈黙。
「……見たらヤバいやつだった気がするから、見なかったってことで……」
迅がそう言って、全員が一斉にうなずく。うん、それが平和。
その中で、悠真だけが目を伏せたまま、口を開いた。
「……“あれ”は……人じゃ、なかった」
九条が一歩、石碑の前に立つ。
「記録にないものが、ここにいた。……ならば」
彼は、ジャケットの内ポケットから古びた帳面を取り出し、ページを一つだけ破いた。
そこには、ただひとつの文字が刻まれていた。
――「虚」。
それを風に放ち、九条は静かに言った。
「記録されぬ存在は、“虚の頁”に記す。……それでいい」
「え、それでいいの!?」
陽菜の全力ツッコミが入るのを、誰も止めなかった。