第4話 :白蛇逃走、東京大混乱
東京都某所――地上ではごく普通の官庁街に見えるその一角。
だが地下深くには、国家の裏で異常を制する者たちが活動している。
その名も《国家異能対策機関 SPEC》。
7つの専門課に分かれ、霊災・異能・怪異といった“理屈の通じない何か”を相手に、日々戦っている。
そしてその中で最も異例、最も問題視されている――ある意味、最も「報告書の分厚さが安定しない」チームが存在する。
それが……九条班。
各課から引っ張られてきた曲者たちを束ねるのは、最上級監察官・九条明鏡。
全ての異能を沈黙で統べる冷徹指揮官……なのだが、無口すぎてたまに命令が伝わらない。
この日も、彼の一言からすべては始まっていた。
「……集合」
「うわっ、唐突!」とツッコんだのは宗像迅。筋肉と笑顔とオカルト愛でできたような男である。
「いきなり集合って、任務じゃないんですか?」と困惑する犬養悠真。最近配属されたばかりの高校生だ。
その横で「え、えー!?まだ報告書書いてないのにぃぃ!」と騒ぐのは白鷺陽菜。炎術使い、感情で火が出る困った人。
「しらたまの霊圧ツメ先メンテの時間だったのに……!」
肩の白蛇を抱きしめているのは、芹沢澪。やたら熱心な式神マニアだ。
「えっ、白蛇に爪なんてあるの?」と陽菜が素朴な疑問を投げかける。
迅がぼそっと補足する。
「……ない。けど、澪には“そういうの”が見えてんねん。たぶん、愛ゆえや」
九条は全員の騒がしさを完全にスルーしつつ、淡々と指を一本立てる。
そこには、今日の予定が手書きメモで記されていた。
『しらたま・動作検査(観測課協力)』
――数秒の沈黙。
「え、それだけ!?任務じゃないんですか!?観測って……見てるだけじゃないですか!」
「しらたま、前回の現場で謎の霊波に反応してたからなぁ。動作確認ってことやろ」
迅が思い出したように頷く。
そして、次の瞬間。
白蛇・しらたまが、するりと澪の肩から抜け出し――
「逃げた!?」
地面を滑るようにして、オフィスの床を突っ切り、スルスルとドアの隙間へと消えていく。
「しらたまー!?ちょ、まっ……ストップぅぅぅぅ!!」
「うわ、またこの流れ……!」
「犬養くん、走れるか?」「はい、走ります!」
「陽菜、術は封印しとけよ!?」「えっ!?無理ですって!!」
こうして今日も、九条班の“なんでもないはずの一日”が、想定外の災害対応へと進化していくのであった――。
(九条だけは、静かに立ち上がっていた)
(しかも、誰よりも速かった)
* * *
SPEC本部の自動ドアが、しらたまの白い胴体をぬるりとすり抜けさせると、東京の街に軽快な逃走劇の幕が上がった。
「地下鉄方面に向かいましたーっ!!」
澪が白蛇探知器(自作)を片手に叫びながら走る。
「なんでそんなの持ってるの!?」と陽菜がツッコむも、足は全力疾走中。
迅は筋肉で風を切り、犬養は半分くらい気力でついていく。
「俺、一般人だったはずなのに……!」
しらたまは実にスマートに、一般人の目をかわしながら(というか視認されていない)地下鉄の構内へ潜入。
ホームのベンチ下をスルスルと通過し、女子高生のカバンに巻きついた。
「きゃっ、何か今っ!?白い……リボン?」
リボンじゃない。蛇である。式神である。
「しらたまー!ダメ!そこ!無断接触禁止っ!!」
澪が飛び込んでカバンに手を伸ばし、白蛇はひらりと空中へ跳ねた。陽菜がそれを受け止めようとした瞬間――
「火は出すなよ!!」
迅の叫びが響く。
「出さないですって!たぶん……出ない、予定……!!」
言ってるそばから陽菜の手がちょっとだけ赤く光ったのを、犬養は見逃さなかった。
駅構内がざわつき始めるなか、九条だけは静かに自販機の陰から状況を見つめていた。
しらたまはそのまま階段を抜け、地上へ――そして神社の境内を突っ切り、次は保育園のフェンスを抜け……
「なんでそんなルートを!?」
「完全に都市迷走式蛇道!!」
「そんな言葉ないです!」
だがその奇妙な進行ルートの共通点に、澪がふと気づく。
「……待って。これ、霊障反応の近くばっかり通ってる」
「しらたまが追ってる……何か?」
犬養の背筋に、じわりと冷たい汗が滲んだ。
《視ノ眼》が、まだ反応していないのが逆に不気味だった。
そしてチームは、白蛇が次に向かう“ある場所”を察知する。
「公園……あの、かつて事故があった場所」
しらたまは、まっすぐそこへ向かっていた。
(そのとき、犬養の目が、ふとにじむような違和感を捉えた)
* * *
しらたまが辿り着いたのは、ひと気のない住宅街の外れにある小さな公園だった。
すでに日が傾きかけているというのに、ブランコも滑り台も静まり返っていて、まるで“何か”を避けているかのようだった。
犬養が一歩踏み出したとき――視界がにじむ。
視ノ眼・地獄鏡が、また開き始めていた。
空気の色が、音が、温度が変わる。
世界が淡い灰色に沈み、彼の前に現れたのは、
――“残留思念”だった。
ブランコに座る幼い子の残像。
その周囲に漂う、重たい何か。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ、「忘れられた」という念。
(ここ……誰にも思い出されなかったんだ)
犬養は、その記憶の欠片に飲み込まれそうになる。
そのとき、九条が無言で前に出る。
手の中で結ぶ結界符が、空気を震わせる。
「……存在確定。観測開始」
その一言で、他のメンバーの動きが変わる。
「澪!式神で範囲把握!」「了解っ!」
「陽菜、火は控えろ!」「えええええ!?」
「迅、犬養をサポート!」「まかせろ!」
現場が一気に“任務モード”へと切り替わる中、
犬養はなおも視つづけていた。
ブランコの子どもの残像が、ふと彼の方を向く。
そして、消えた。
同時に、何かが地面の下でうごめいた。
「来る……!」
犬養が叫ぶと、九条がすでに《封霊結界・無明》を構築し始めていた。
しらたまがその中心に舞い戻り、ぐるぐると旋回しながら残留思念の痕跡をなぞっていく。
――何かが出てくる。
それは、目に見える“霊”というよりも、
土地に染みついた「感情そのもの」だった。
* * *
闇から這い出るように立ち上がった“それ”は、形を持たない感情の濁流だった。
人の姿でも、獣でもない。
ただ黒く、ねじれ、軋みながら空間を染めていく“記憶の澱”。
「……視認不能。だが強い」
九条が小さく呟いた。
結界の中心で、封印の紋様が軋むように振動し始める。
地面には霊的な光のラインが奔り、空気が重力を持ったかのように圧迫してくる。
「陽菜、今だ」
九条の合図に、陽菜が拳を握る。
「《陽焔ノ術》・零閃──っ!」
【陽焔ノ術】──説明しよう。白鷺陽菜の代名詞ともいえる霊火術。
火力も演出もテンションも爆発的。ただし、しばしば味方を巻き込む。
制御は“その日の気分次第”!
掌に集めた霊炎が、一瞬だけ純白に輝き、次の瞬間、閃光となって対象に放たれた。
炎は蛇のように軌跡を描き、影の塊を貫く。
ズン、と音のない衝撃が地面に響き、影の一部が吹き飛んだ。
「まだ……残ってるっ!」
澪がしらたまを構え、霊圧の中心座標をマッピングする。
「中心を狙えば、封じられる……!」
「《封印符解式》──全展開!」
【封印符解式】──説明しよう。宗像迅が得意とする封印技。
華麗な手さばきと無駄に派手な演出で展開されるが、封印成功率より物理で殴る方が早いことも。
迅が叫び、背中の符束を空にばらまく。空中に浮かんだ数十枚の霊符が一斉に輝き、空間を囲い始める。
その瞬間、
「《断撃掌》・霊式!!」
【断撃掌】──説明しよう。宗像迅の代名詞、霊力をまとった超物理打撃。
効くか効かないかは運次第! ただし建物は高確率で壊れる。
迅の拳が、封印符の力をまとって影の核を直撃する。
空気が震え、鈍い音と共に衝撃波が広がる。
影の塊が光の粒になり、音もなく崩れ落ちた。
結界がゆっくりと収束し、封印の紋様がひときわ強く輝いたのちに静かに消える。
「……完了、っと」
迅が肩を回しながら呟いた。
「……しらたま、戻ってきてくれてありがとう……!」
澪が抱きかかえる白蛇は、どこか誇らしげに尾を揺らしていた。
犬養は地面に手をつきながら、ようやく息を整える。
(あれは……人の念が、放置されたまま……)
(霊障って、誰かが“放っておいた”結果なんだ)
彼の中で、何かが静かに芽を出していた。
その一方で、九条はひとり、光の残滓を見つめていた。
無言で拾い上げた、地面に残された霊波形記録符。
そこには、見慣れない“異質な波形”が刻まれていた。
「……これは、この地域のものではないな」
九条の言葉に、誰もまだ気づいていなかった。
* * *
戦いが終わったあとの公園は、まるで何事もなかったかのように静かだった。
ブランコが風に揺れ、滑り台に夕陽が反射してキラリと光る。
澪はしらたまを腕に抱いたまま、全身で安心のため息をついた。
──ここで少し補足しよう。
芹沢澪の肩に常に巻きついている小さな白い蛇。
正式名称は式神《白蛇》。
霊的探査と分析、簡易記録能力を備えた高性能ミニ式神である。
……が、澪が溺愛しすぎた結果、完全に“ペット扱い”されている。
本人いわく、「霊波探知の精度は国家機密級、しらたまはSPECの宝」らしい。
なお、同僚には「へび」と呼ばれたり、「時々消えるフレンド」と呼ばれたりもする。
「よかったぁ……しらたまが無事で……」
その横で陽菜が不満げに唇を尖らせていた。
「わたし、全然燃やしてないんですけど!?あれ絶対もっと燃えたと思うんですよ!」
「十分燃えてたで」
迅が地面の黒焦げ跡を指差す。
「犬養くんは大丈夫?また“視ちゃった”感じ?」
澪が心配そうに尋ねる。
「……はい。あれ、見ようと思ったわけじゃないのに、勝手に入ってくるんです」
犬養の視線は、まだ地面に残る霊気の痕に向いたままだった。
その後方で、九条が一枚の記録符を光にかざしていた。
読み取った波形は、明らかに“東京域内の霊災パターン”とは異なっていた。
複雑で、どこか湿ったような構造。
それはあたかも、別の“文化圏”から流れ着いたかのような痕跡だった。
「……この霊波形。この地域の構成じゃない。南方の影響が混じっている」
九条のその声に、犬養が顔を上げる。
「南方……って、沖縄……?」
その名を出すと、陽菜がぴくりと反応した。
「え?今あっちでも何か起きてるんでしたっけ?」
「昨日、ちょっと話してたやつか」
迅が頷く。
その場には、誰も決定的なことは言えなかった。
だが、何かが動き始めている。
それだけは、全員が肌で感じていた。
しらたまがふと、空を見上げてしっぽをピクリと揺らした。
その先には、何の変哲もない、けれどどこかざわつく夕焼け空が広がっていた。
物語は、東京からさらに遠くの地へと、静かに続いていく──。