8.出発
翌朝。カイはミラヴィスの声で目を覚ました。
『眠る必要がない』とは聞いたものの、結局昨夜は上手く苛立ちを抑えられなかったので眠る事で無理やり感情をリセットする方向を選んだのだ。とはいえ興奮している時に眠れるはずもなく、結局寝たのは明け方近くだったと記憶している。
カイの目覚めは実に爽快だった。眠気で身体が泥のように重い……という感覚もないのは、睡眠で身体の疲労を回復する必要がなくなったからなのかもしれない。一見喜ばしいこの事実もまた、カイの身体が人間のそれとは大きく変わってしまった証明で、気分の方は一向に優れなかったが。
「神獣様、そろそろ出発の準備をしようと思いますが構いませんか?」
ミラヴィスの問いかけにカイは頷き「顔を洗ってくる」と断りを入れて昨日の小川へと舞い戻った。
が、水面に映った自分の顔を見て「どう洗えば良いのだろうか」と途方に暮れた。水を使って顔を洗えば、毛がびしょ濡れになってしまう。当然タオルやドライヤーはないだろうし、自然乾燥ではほぼ一日かかりそうだ。毎日顔が水浸しの神獣なんて、きっとこの世界の人間が見たら卒倒するだろう。
「風魔法を使えばいいんです」
いつの間にかリルが居た。きっとカイの心の中を読んだのだろうが、昨日の今日でどう接するべきかと悩んでいたカイにとって、その発言は正直とてもありがたかった。
「……風魔法のやり方を教えてくれるか?」
こうしてリルに魔法を教わりながら手早く顔を洗ったカイは、村人達と共に朝食をとり、別れを告げてからミラヴィスとその部下の騎士二名、協力者である神官二名の合計五名と共に村を後にした……のだが。
神官二名が馬車、騎士三名が馬での移動の一方で、カイが徒歩だと気付いた瞬間、神官二人の絶叫が周囲に響き渡った。
「ご、ご、ご、ご冗談を! 神獣様を差し置いて我々だけが馬車に乗るなど到底許容出来ません……!」と、こうである。
同じ様に騎士達も顔を青くしていたが、神官ほど取り乱してはいなかった。恐らく騎士はその立場上、礼儀よりも効率を優先する時があるのだろう。きっと「カイのサイズでは乗れる馬車がない上に、本人が歩いた方が早い。反対に神官は回復の要で、ここ数年の治安を考えれば徒歩で不意を突かれたらこの集団が瓦解する」……と判断したはずだ。
これはカイも同様で「重要な手がかりを得た以上、今の優先順位は報告だ。貴方達が俺に合わせて徒歩で移動をすれば、恐らく旅程は二倍、三倍になる。その上、魔物に襲われる確率が跳ね上がるから下手をすれば『折角得た情報を伝える事なく全員死亡』……なんて事もあり得る」と効率重視で説き伏せる事にした。
「……だよね、ミラヴィス?」と問えば「はい、その通りです神獣様」と、ミラヴィスもカイが言わんとしている事を察して頷いてくれた。
「だから今は俺に対する信仰とか敬意とかは置いておいて、効率的な移動手段を飲んでほしい。ちなみに、馬車がどうしても嫌だというなら俺の背中に乗ってもらう事になるけどどうする? あ! 速度的にはその方が早く王都に着くだろうし、いっその事……」
「ひ、ひい! 馬車で向かわせていただきます!」
カイの背中は絶対にあり得ないと言わんばかりの表情で、神官達は半泣きで馬車に乗り込んだのだった。その様子にミラヴィスは神官に同情的な視線を向け、カイに対して引きつった笑みで一礼をした。積極的に加担したのは彼女の方なのに、ちょっと引かれた気がするのは何故だろう。
その後もカイに怯える馬達を落ち着かせて——まさかとは思ったものの、言葉が通じたので神官同様説き伏せた——ようやく出発してから暫し。カイは意を決してミラヴィスへと話しかけた。
「……なあミラヴィス、ちょっと質問良いかな」
「勿論です、神獣様」
「この世界にはあと十二体の神獣が居るんだろう? 彼らがあの奇病に対してなにか対策をしたという話は聞いた事がないのか?」
「……残念ながら特には」
「誰も助けを求めていないんだろうか?」
「といいますより……、そもそも神獣様のお姿を見る事もまずあり得ないのです」
「え? だって十二体の神獣が存在はしている……んだよな?」
「はい。自国に滞在している神獣様がどこにいらっしゃるのか、王族など一部の要職に就く者は把握しているようですが、一市民には分かりません。ですから昨日の私のように、藁にも縋る思いで聖域で祈願を行う事はありますが、それを聞き届けてくださっているか否かは……」
「神獣個人の自由で、今のところ一体も動いてる気配がないって事だな」
「私が知る限りは、ですが。もしも情報が隠匿されているのであれば、一介の騎士には知る術がありません」
だとしても、あの村人の喜びようだ。「延命に成功した」という噂くらいは耳に入ってきそうなものなのに、それもないなら動いていないと思っていいはず。姿一つ見せないというのだから、神獣というのはカイが思っていた以上に高飛車な生き物なのかもしれない。でも、神の代理人というのならせめて調べてから介入を断るべきなのに、調べようともしていないのならさすがに怠慢ではないだろうか。
とにもかくにも昨日リルから聞いた情報と大差がない事が分かり、カイは内心安堵した。正直な話、細かい話を把握出来ていない神のつけたナビゲーターだ。リルは悲しむだろうが、彼女の話が本当に正しいかどうか、早めに確認しておきたかったのだ。
「ところで、俺には『カイ』って言う名前があるんだけどいつまで『神獣様』って呼ぶつもりだ?」
「そ……そうは申しましても神獣様は神獣様ですし……」
カイの発言に、ミラヴィスは目に見えて狼狽えた。他の同行者達——騎士でさえ——もミラヴィスの発言を擁護するかのように真っ青な顔で頷いている。そんなにあり得ない事なのか、と内心驚きつつも『神獣様』という呼び名はカイにとってあまり愉快ではないので、ここは少々強気でいく事にした。
「でもこの国にも俺以外の神獣が居るんだろう? 区別する為にも名前で呼んだ方が良いんじゃないか?」
「し、神獣様の名を呼ぶなど恐れ多い事、とてもではありませんが出来ません」
「俺が嫌なんだよ。『神獣様』って呼ばれる度に身体中がぞわぞわしちゃってさ。なあ、頼む……」
半ば強引にミラヴィスから了承の意を取り付けたカイだったが、他の四人はどうしても無理だと泣いて懇願してきたので諦める事にした。これ以上無理強いすれば、方向性が違うだけでカイも他の神獣と同じ『地位を笠に着た嫌なやつ』になってしまうと思ったから。
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