3.神獣様
そんな馬鹿な事を考えている間にも、どんどんこちらへ向かって歩いてくる何者かの気配が感じられた。生まれてこの方戦闘経験なんて皆無だが、貰った能力のお陰なのか、相手が極力気配を殺しながら向かってきている事も感じ取れた。……となると一般人ではない。狩人か? 本当に狩人なのか?
それにしても犬の聴力は素晴らしいものだ、とカイは関心した。どんなに相手が気配を殺して近付いてきていても、なんの支障もなく詳細な位置が分かってしまう。
右前方、残り五十メートル……三十……五メートル。現れたのは若い女性だった。カイと目が合うなり雷に打たれたように目を見開いたまま「……まさかそんな……、本当に神獣様が……?」と固まった。かと思えば、次の瞬間突然片膝をつき、頭を下げた。まるで忠誠を誓う騎士のポーズのようだ。
「シンジュウ? ……あー、もしかして神獣か? なるほど犬は犬でも神に生まれ変わったなら……ってなるかこのやろう! 犬だぞ犬! 人間からいきなり犬になって喜ぶやつが居るかよ! こんなんだったら前世の記憶がない方がマシだっつうの! これじゃ人間と意思の疎通も出来ないしどうしろって言うんだよ……いや、でも神獣なら討伐はされない、の、か?」
「なに……? 人間、だったのか? あ、いや、だったのですか?」
「……あれ。もしかして、俺の言葉が分かるのか!?」
「は、はい。しかとこの耳にその美しい声音は聞こえておりますが……?」
「おおおお! そうか! なら良かった! 誰とも言葉が通じなかったらどうしようかと思ってたんだ!」
「……! 神獣様、大変申し訳ございませんが、どうか気をお鎮めください!」
慌てたように言う女性の視線の先、後ろを振り向けば自身の尻尾がぶんぶんと激しく揺れていた。突如として発生した強風が木々が大きく揺さぶり、青々とした葉を次々に枝からもぎ取っていく。まるで雨のように葉が舞い散る中、ボキボキと太い枝が折れるような音も混じっている。
「尻尾の止め方なんか知らないんだけど!? ストップ! ストーップ、俺の尻尾!」
やっとの事でどうにかこうにか尻尾を止めたものの、辺り一面、緑の絨毯を敷いたのように風景が様変わりしてしまっている。
「なんという力……」
呆然と呟く女性の様子にいたたまれなくなり「えっと、ごめん。……俺はカイ。それからこっちの小さいのが……」と話題転換を試みたものの、リルが今更「あ、私の姿はカイさん以外に見えておりませんので」と言い出したので、「……えーと、なんでもない。俺はカイだ」とマヌケな自己紹介になってしまった。
「し、失礼しました。私はミラヴィス・ブレイブハートと申します」
「ミラヴィスか。よろしくな」
「は、はい。ありがたきお言葉」
会話が終了してしまった。おかしい、俺はこんなにコミュ障だったか?と不思議に感じたカイだったが、そうではないとすぐに気が付いた。日本では後にも先にもこれほどかしこまった態度をとられた経験がないのだ。相手が自分を神のように崇めている以上、こちらから声をかけない限り話が進展するはずもない。
「ええと、ミラヴィス。神獣というのは……君達にとって一体どういう存在なんだ?」
その質問に、ミラヴィスの瞳が輝きを増した。
「神獣様は、私達人間にとって畏れ多い、でも心強い存在なのです! 幼い頃から神獣様の伝説を聞いて育ちました。困難な時には必ず現れ、人々を導いてくださる。多くの騎士が、神獣様の加護を求めて各地にある聖地で祈祷を捧げてから戦場に赴きます。実際にお姿を拝見できる者は稀ですが、私達は皆、神獣様を心の支えとして——」
「あー、いや、そうじゃなくてもっと具体的にというか……」
ミラヴィスの熱がこもった語りにカイは少々たじろぎながら軌道修正を試みたが、聞こえていないのか、構わず喋り続けている。
「ふふ、人間にとってはそれほど崇拝してやまない存在という事です」
耳元でリルが微笑みながら続ける。
「神獣は我が主達が作り出した特別な存在です。主達の意思を体現し、世界の調和を見守る。そういう役割を持っています。神そのものではありませんが、地上における神の代理人と言えるでしょう。我が主達は人間の前に姿を現す事がありませんから、より身近な救世主である神獣の方が人気という事です」
神ではないが犬でもなく、人間に崇拝されている。……という事は、少なくとも命を狙われる可能性は低いのだろうか。勿論この先カイを欲する者同士が争う可能性はありそうだが、カイ自身に手出しをする可能性は少ないのかもしれない。
「神獣は人を癒やすも殺すも、我が主達の意から外れぬ限りは自由です。といっても、カイさんの場合は異世界から移住してきた魂。厳密には我が主達の代理人ではありませんので行動制限はありません。ただ『神獣』という種族に生まれたのだと思っていただければと。……気を付けるべきは、そうですね。人間の縄張り意識でしょうか。カイさんはここ、エーテルの森で生まれました。ここはソラーナ王国の領土ですから、大規模な移動をしない限り、ソラーナ王国範囲内で活動する事になるでしょう。そうなると、他国の者は面白くありません。カイさんを生け捕りにして従わせようとするか、それが叶わなければソラーナ王国の国力が上がらぬように、カイさんを殺そうとするはずです」
「……まじか」
「あ、でも恐れる事はありません。そういう事態は人間側でも想定していますから、ソラーナ王国の人々が命に替えてでもカイさんを守ってくれるはずです。守り守られ、支え合うのが人間と神獣の関係という事ですね。勿論、神獣は特別な存在ですから人間に守られずとも問題はないでしょうが、それくらい各国にとって重要な位置付けだと思ってもらえれば」
なんとなく神獣については分かった。あの詐欺神がそれなりに配慮したのであろう事も。他に気になる事は、神獣の数とその姿だろうか。
「神獣はアキスフィア全域で、一世代に十二体と決まっています。……カイさんは特別なので十三体目という扱いですが。それから過去に神獣が生まれた地は聖域と呼ばれ、この森のように人々から神聖視されているようです。基本的に神獣は世界各地にある聖域のどこかに生まれ、その時代に神獣が生まれた場所からは別の神獣が生まれる事はありません。つまりここ、エーテルの森も、カイさんが生きている限りは他の神獣が生まれる事はないという事です。……それから他の神獣の姿についてですが、基本的には毛色と大きさが同一で、生物としては様々です。青龍、朱雀、白虎、玄武、麒麟、獬豸、ドラゴン、グリフォン、フェニックス、バジリスク、ペガサス、マンティコアの十二体です」
「……君も俺の考えている事が読めるんだな。まあ、その方が便利だから一旦置いておくとして……、生物名に聞き覚えがあるのは何故だ? ここは本当に異世界なのか?」
「この世界『アキスフィア』は、チキュウのニホンから生まれた物語をベースに作られました。その為、チキュウ、特にニホンから転生したカイさんには聞き覚えのあるの単語がよく出てくるかと思います。……実は、元々カイさんに移住提案した理由もそこにあるのです」
「いきなり異世界に転生と言われても拒否感が薄い人物を狙った訳か……確かに俺は異世界ファンタジーもたくさん読んでたしな」
記憶を持ったままの転生だ、なじみのない単語を一から覚えていくよりも、慣れ親しんだ単語があった方が安心する。ちょっと拍子抜けしたのは事実だが、これはこれで良かったのかもしれない。
「……だいぶ話し込んじゃったのに、まだ話してるな」
ふとミラヴィスの方を見れば、彼女はまだ熱心に神獣伝説を語り続けていた。
「それから、干ばつの際には雨を降らせてくださったという伝説も! ああ、本当に今日という日を、私は一生忘れないでしょう……」
「……それだけ崇拝しているという事です」
そういうリルも若干引き気味な表情をしてる辺り、ミラヴィスという女性はこの世界の中でも特に熱狂的な部類の神獣ファンなのだなと察したカイだった。
転生後初めての人との接触です!(リルは除く
面白いと思った方は是非ブクマ、評価、リアクションなどよろしくお願いいたします。
また、この作品以外にも何作品か連載しておりますのでそちらもよろしくお願いします。