2.詐欺じゃねーか
「な、な、な、なんだよこれ!!」
視線の先、自分の腕が白い毛に覆われている事に気付いた瞬間、海は絶叫した。慌てて近くの湖を覗き込むと、そこには純白の体毛と、銀色に淡く光る星座のような模様が浮かび上がった、不思議な外見の犬……、いや、狼?が居た。格好良さの中に気品があり、正直海の好みど真ん中ではあるものの重要なのはそこではない。
「犬に転生するなんて聞いてねーぞ! 犬が好きかってそう言う意味かよ、このやろう!!!!!」
バサバサ、と鳥達が一斉に羽ばたく音が聞こえた。恐らく海の雄叫びのせいで逃げ出したのだろう。一瞬「悪い事をしたな」と思ったが、怒りはまだまだ収まりそうにない。
叫んだところで、異世界に転生してしまった以上どうしようもないのだが、さすがにこれは文句の一つも言いたくなるというものだ。
「だいたい、移住にも承諾してないよな。『どんな能力が良いかな』なんて期待を持たせた俺が悪い……とか思ったけど、考えてみれば一言も口に出してなかっただろ。あいつが勝手に俺の心の中を読んだだけだよなあ!? ……っ、完全に詐欺じゃねーか、これ! 異世界だから警察にも相談出来ないし!」
「す、す、す、すみません! 我が主の説明が不足していたようで申し訳ございません!」
言いたい放題言っていると突然耳元から女性の声が聞こえ、文字通り海は飛び上がった。その瞬間に大地がえぐれ、木が一本倒れたが、きっと自分のせいではない、と目を逸らしておく。いくら巨大な犬とはいえ、そんな力があるなんて信じたくない。……いや、もしかして「高い身体能力」のせいだろうか? それなら種族はともかく、能力の付与という約束は守ってくれたのかもしれないが……。
「ひゃあ! びっくりした……タカミハラカイさん、本当に凄い力をいただきましたね……」
もう一度、女性の声が聞こえてきた。今度は先ほどよりも少しだけ遠くから聞こえているような気がする。声の方向へと視線を向けると、海の前足の肉球ほど——比較対象が居ないのでなんとも言えないが、恐らく人間の顔くらい——のサイズの人型の生物が宙に浮かんでいた。
「なんだ? 妖精……? いや、それよりも我が主? ってまさかさっきの詐欺神の事か!?」
勢い込んで海が聞くと、女性はビクッと身体を震わせ、蚊の鳴くような声で言い訳をし始めた。
「さ、詐欺神ではないんです……いえ、タカミハラカイさんからしてみればそう思われるのも当然だとは思うのですが、なにぶん時間がなかったものでして……。チキュウとアキスフィアとを物理的に接続するのにはかなりの力が必要なのです。ですから、会話にあまり長い時間を取る事が出来ず……、その上想定以上の能力を付与した魂をこちらへ移動する必要がありましたから、本当にあれがギリギリだったのです」
「だからって、人間じゃなくて犬に転生するって事くらい言えたんじゃないのか? 『犬はお好きですか?』なんてふざけた質問をする時間でさ」
もっと言いたい事はあったものの、女性に対して怒りにまかせて怒鳴るのは紳士のする事じゃないと思い、海はぐっと我慢して努めて冷静な口調でそれだけを告げた。そもそも目の前に居るのは本人ではない。言ったところで仕方がないという気持ちもあった。
「はい、確かにその事実を告げる事は出来たと思います。ですがタカミハラカイさんがその姿で転生する事になったのは、望んだ能力が『全魔法への親和性』だからです。この世界の人類は、身体の構造上どうしても全ての魔法を操る事は出来ません……。もしこの事実をあの場で告げていたら、貴方は別の能力を望んだはずです。でもそれを悠長に待っている時間はありませんでした。きっと我が主は、貴方に断りなく全魔法の中から適当に選ぶような不義理はしたくなかったのだと思います」
「俺の望んだ能力を優先した結果がこれって事か。……そうはいってもな。そもそも頭の中で考えていただけで、あんたの主に面と向かって『移住します』なんて一言も言ってないんだぞ、俺は。それを勝手に決められて勝手に飛ばされて、気が付いた時には四足歩行の犬になってたんだ。それは不義理じゃないと? ……君が俺なら、怒らずにいられるか?」
「いえ……今後を決める大事な場面ですから、当然怒る、と思います。はい」
まさか認めるとは思わずいささか拍子が抜けてしまった海は「はあ」と大きな溜息を一回吐いて、気持ちを切り替えた。怒ったところで事態が好転する訳ではない事は、二十九年の人生で海もよく承知している。ここでうだうだ言って時間を食うよりも、状況把握と生活基盤の確保に動く方が賢明だろう。……余談だが、今の溜息一つで目の前の木がかなり揺れたのを目の当たりにした海は、観念して現実を受け止める事にした。まさかちょっとした動作一つにも神経を尖らせる必要があるなんて、本当にとんだ異世界転生だ。
「……まあ、あとはいつかあの男にあったら面と向かって言う事にするよ。……で? 今更だけど、君は誰で、どうしてここに? 俺としては、ここで生活していく為の情報を色々と教えてほしいんだけど」
「あ、はい! 改めまして、私はリルと申します。タカミハラカイさんがこの世界にいち早く馴染めるように出来る限りお手伝いするよう、我が主から仰せつかりました」
「なるほど、分かった。……でもまずはその『タカミハラカイさん』っていうのやめてくれないか? フルネームで呼ばれるとぞわぞわする。もう転生したんだし……カイで良いよ」
もっと別の名にしようかと悩んだものの、そんな時間もないなと思い直し「カイ」と名乗った。犬の名前でも違和感はないはずだし、前世の記憶を持ったままの転生なら、実質前の人生の続きと考えても差し支えはないだろうと思ったからだ。
「了解しました、カイさん。改めましてよろしくお願いいたします。それでは、まずはなにから話しましょうか?」
「そうだな、それじゃあまずは……、待て、誰かが近付いてきてる」
「……カイさんの叫び声を聞いて誰かが様子を見に来たのかもしれませんね。この森は近隣の町や村から神聖視されているようなので、森の変化には敏感なのかも」
住宅街ではないなとは思っていたがまさか森だったとは。それにしても、現代日本人の転生先として森の中を選ぶとは、一体どういう了見だ。それも神聖視されてる森だなんて、見つかった日には討伐されかねないではないか。『転生したら巨大犬でした。〜すぐに討伐された上、魂も消滅したので生まれ変われません〜』なんて、悲惨すぎてライトノベルにも出来やしない。くそ、やっぱり詐欺じゃねーか。