五
五雲国に渡った遣使たちが頭を悩ませている頃。
虹霓国、南の大宰府には、秘密裏にとある使者が訪れていた。
五雲国蜃州、五雲国に併合された元蜃国よりの密使である。
光環国と違い、古くから五雲国支配下に置かれているが、事あるごとに独立を試みている。
関白、蘇芳深雪は眉間の皺を深くした。
密使の要件は想像がつく。
五雲国よりの独立の後押しであろう。
今までは国交などほとんどなかったというのに。
五雲国との同盟が持ち上がって以来、彼方此方からの干渉のなんと多いことか。
天恵人参など、薬種の類いの輸入が増えたことは望ましい。
南方が栄えるのは喜ばしい。
だが。
「虹霓国は戦をせぬと云うておろうが」
余計な揉め事を持ち込まないでほしい。
こちらは本当に手一杯なのだから。
報せを運んで来た蔵人が恐る恐る深雪に問う。
「あのう、関白さま。主上には……」
「ご報告せぬ訳にはいかぬだろう」
さらさらと筆を走らせて、深雪は書状を認めた。
「まずはこれを南府へ届けよ。主上へのご報告はそれからでよい」
「御意」
さて、一方の五雲国。
雨乞い部隊が正式に編成された。
隊長に遣使副官の浅葱佐々介。
陰陽師が朱鷺都波岐、朱鷺三稜草、朱鷺合歓。
神祇官が淡香久利、鶸忍、裏葉小菊。
雑用係として白土真菰を始めとした雑色三名。
五雲国側から道案内と護衛が合わせて十二名。
計、二二名。中々の大所帯だ。
凍星は佐々介と真菰に特に耳打ちした。
派遣先の様子をつぶさに見てくるように、と。
諜報活動はとにかく情報がものをいう。
何が重用で何が無用かは女王と関白とが判断する。
凍星の役目は、五雲国の情報を多量に収集することだ。
今、五雲国の王宮内で高まっている虹霓国排斥の空気。
それが王宮内だけのものなのか、はたまた国に広く広まっているものなのか。
それだけでも確かめたい。
そう思って送り出したのだが。
帰還した雨乞い部隊の疲弊した様子に、凍星は顔を顰めた。
久利と小菊が倒れたそうだ。
「酷いものでした」
佐々介は悲痛な顔で首を振る。
「荒廃、と言っていいでしょう。衰亡へ向かう地が広がっておりました」
王都、康安からそうは離れていない農村地区だったという。
田畑は乾き切ってひび割れて、深い裂け目が無数に走り。
風が吹く度に、乾き切った土が舞い上がる。砂塵が空を覆い、視界を遮り。
作物は萎れ、或いは枯れ果てて、茎も葉も茶色いものばかり。
井戸は干上がり、また、川や池の底も露呈していて。
野生動物ばかりか家畜までもが水を求め、弱々しく彷徨う。
農民たちは天を仰いで雨を願うが、湿り気の気配すら無い。
「雨は降りました。皆よくやってくれた。しかし、あれでは焼け石に水です」
真菰が農民らと交わした会話から感じられたのは、朝廷への強い不満だったという。
不作に次ぐ不作。だというのに、税は軽くなるどころか益々増える。
若い男は挑発され、軍にとられる。残されたのは老人や女子供。
自分たちの食べる分さえ取り上げられ。
どうやって生きて行けば良いというのか。
嘆く老人に縋られ、けれど真菰では何もしてやることができず。
雨乞いの儀式自体も大変だったようだ。
雨の神に問い掛けても、返って来るのは沈黙だけ。
まずは神の意を伺うべく、斎庭を整えることとした。
良き場所を卜部が選び、陰陽師らが周囲の穢れを祓い、神部が清める。
巫覡は神に舞楽を捧げた。
降りたのは荒ぶる神の威の片鱗。
宥め、慰め、鎮める。
力の限り舞った小菊は息も絶え絶えで。今もまだ寝込んでいる。
久利も神威に中てられて、随分と消耗したようだ。
「荒魂とはまた違うものでございました。凄まじき怒りはありましたが、それよりも諦めと悲しみが強く……。彼の神は酷く嘆いておられました」
大地が荒廃したのも道理だと、久利を始めとした皆が口にした。
神々は去ったのではない。
今にも死に絶えようとしているのだと。
「龍脈が涸れかかっています。国を挙げて祭祀を行い、神々を、神威を呼び戻さねば……」
久利は言葉を切った。
全国遍く行脚して、祭祀を行わなくては手遅れになる。
康安は龍穴に座すが、既にその力は去った。
そこに繋がる龍脈も途切れがちで、寧ろ王宮から枯渇が広がっているようにすら。
忍が久利の肩を叩く。
「卜部として申し上げます。神々から見限られれば、五雲国は」
少し躊躇い、けれど忍はその言葉を口にした。
「遠からず滅びましょう」
忍の言葉に久利は頷き、凍星は渋面になる。
五雲国の王に告げるべきだろうか。
諫言すべきと思う。
だがこの国の者でない彼らの言葉は届くだろうか。
妄言と無視されるならばまだ良い。
讒言と取られ、刑に処されるかもしれない。
また、虹霓国が五雲国を糾弾する形になるのは思わしくない。
凍星は考え込む。
王弟、玄曙草は虹霓国に好意的だ。少なくとも表向きは。
彼を通して王へ進言を図るか。
「いずれにせよ、まずは虹霓国にご報告申し上げるべきだな。その上で主上のご判断を仰ごう」
もしや絶好の機会なのだろうか。
上手く立ち回れば、五雲国の力を削げるかもしれない。
凍星は思考に深く沈んでいく。
五雲国が滅び、或いは滅びずとも混乱を来たし、虹霓国に構う余裕が無くなれば。
束の間であっても時間稼ぎにはなるのだ。




