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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第十章 多事多端
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 貴族たちにとて五節舞(ごせちのまい)こそ本番、とは言ったが、大嘗祭(おおなめのまつり)が大変重要な儀式であるのは、虹霓国(こうげいこく)の民にとって明らかなことである。


 四日間のさまざまの祭祀は紫宸殿(ししんでん)大極殿(だいごくでん)が使われるが、大嘗祭は新たに大嘗宮(だいじょうきゅう)と呼ばれる神殿を設営する。


 そして神事が執り行われて後、破却し奉焼される。

 木材選びからして大事(おおごと)なのである。


「活気溢れるのは良いことだが」


 関白、蘇芳深雪(すおうのみゆき)は相変わらず眉間に皺を寄せている。


「舞姫選出の件でしょうか」


「それも大事だが、他に無いのか躑躅(つつじ)


「は……」


 困ってしまった躑躅は、ちらりと隣の銀河(ぎんが)に視線を遣る。


「兄上が仰せになりたいのは北方の防備強化のことでございましょう」


 銀河の言葉に深雪は重々しく頷いた。


「どうだ、左大将としての見立ては」


「征討大将軍として、藤黄南天(とうおうのなんてん)はよくやって居るかと。しかし北府の(そち)が任期満了でしたな」


「秋の除目(じもく)では再任させたい」


「主上も賛成されましょう」


 北方の防備を固めるにあたって、北の大宰府は猫の手も借りたいほどの忙しさに追われている。

 先の海賊襲来よりずっとだ。流石に疲弊する。


「支援に必要な資材の他、何か無いかと仰せであった」


「流石は主上。よく考えて居られる」


「年貢の減免など、右大臣にそれとなく匂わせて置くようにと、重ねての仰せだ」


 深雪の台詞に銀河が目を細めた。


「確か菖蒲(あやめ)は北の方にも大きな荘園などありましたな」


「その辺りも含め、公事(くじ)夫役(ぶやく)も減じたいそうだ」


「菖蒲は良い顔をせぬでしょう」


「右大臣、紫苑(しおん)はせぬだろうが、紫雲英(げんげ)は主上の意を汲むだろう。父親に働きかけ、どうにかするかもしれんな」



 躑躅が遠い眼をする。

 遠からず、若い者たちが台頭して来るだろう。


「代替わりが迫って参りましたな」


 彼らの成長は著しい。

 嬉しいような、寂しいような。複雑な気持ちだ。


「まだ早いぞ、躑躅。紅雨もまだまだ力不足だ。精進させよ」


「はっ」




 榠樝は寝転がって天井を仰ぐ。

 今日は洗髪の日だ。


「色々考えて、茅花(つばな)を北の大宰府に遣ったのは正解だったわね」


 髪を洗ってもらいながら榠樝は呟く。


「大宰少弐(しょうに)など分不相応かと思いましたが、流石は榠樝さま。見事な御見立てでございましたわ」


 榠樝の髪を梳きながら、堅香子(かたかご)が称賛する。


「南天を配置するのが一番かと思ったのだけど、征討大将軍を北に遣ったままでは南が危うい。やっぱり中央に置いておきたいわ」


「南方にも憂いが何かございますの?」


 山桜桃(ゆすら)が心配そうに訊くのに、榠樝は軽く吐息した。


「今はまだ」


「と仰られると、これから何かが?」


 榠樝は頷く。


「具体的にはまだ何も。でも、遠からず何かある。これは(カン)。龍神さまのお告げがあった訳じゃないんだけど、たぶん外れてない。何かが引っ掛かってる」


 榠樝は頭の横の方でくるくると指を動かして、何となくの方向を示す。


 まだ絵は視えていない。

 だが、薄曇りのように感じられる何かの気配。


「とにかく今は北よ。ソナムたちが指揮を執っても従わない者は善知鳥(うとう)国には多いかもしれないけど。彼らを平定した南天の弟の茅花と、征討副官(すけ)霞止々岐(かすみのととき)とが居れば、声も届きやすい」


 光環国(こうかんこく)の防衛術を大宰府周りに敷きたいと、榠樝は思っている。

 かつて海防に長けた国であった。

 五雲国によって滅ぼされた訳だが。


「改良すれば更に良くなるかもしれないし。先の問題点とか洗い出せたかもしれない」


 とにかく戦慣れしていない虹霓国である。

 防御力の増強は幾らあってもいい。


「しかし榠樝さま、その光環国の元王女は本当に信用に(あた)うのでございますか?」


 北の、都から遠くの地に於いて、また光環国再興の狼煙(のろし)を上げんとするのではないか。

 彼らを光環国の残党と見て、そう思う者は堅香子だけではなく。

 だが。


「私はあたうと見た。信じなければ始まらないし」


 そう榠樝に言い切られては、何も言えない堅香子である。


 御泔(シャンプー)をきれいに洗い落し、山桜桃が髪の水気を拭き取る。

 早朝から洗い始めて、もはや日暮れ。

 気持ちはいいが、流石に肩や首が痛い榠樝である。


 高い厨子の上に(ざぶとん)などを敷き、その上に布を、そして洗い髪を乗せる。


 御簾を上げ、風通しを良くし。しかし夏とはいえ夜になれば風も冷たい。

 火桶に火を起こし、薫物(たきもの)をし、髪を炙りながら布で拭って。


 香油を付けた綿で髪を拭い、櫛で梳き。艶々と髪が潤いを増していく。

 清らかな香りは鼻にも涼しく感じられる。


 空に残った橙が緩やかに紫に変わり、雲が桃色から深い紺色に染まった。

 満天に散りばめられたように輝く星々。


 先程まで鳴いていた蝉は、いつの間にか鈴虫や蟋蟀(こおろぎ)に取って代わられて。

 蛍が時折ふわりと光る。ふと灯っては、闇に溶けるように消え。


 榠樝が目を細めた。


「そういえば聞いてなかったけども」


 榠樝が山桜桃に向き直り、問う。


「紫雲英を家で迎えなくていいの?」


 山桜桃が半眼になった。


「今でございますの?」


「……いや、唐突に思ったから。里居(さとい)しなくていいのかなあって」


 貴族の妻の役目は中々多い。

 特に六家の次代当主の、それも正妻ともなればその仕事は多岐に渡り、また重要でもある。


「紫雲英どのが当主になられた暁には、無論のこと、家政の諸事万端整え相勤めるつもりにございます。それまでは変わりなく、どうか主上のお傍に御置きくださいませ」


 立て板に水の如く。

 榠樝は軽く溜息を吐く。


「私が言っても説得力無いけども。いや、本当全く無いけども。こういう夜は夫婦でしっとり語り合ったりしたいものじゃないの?」


 山桜桃ばかりか堅香子までもが、何を言っているのだ、という目付きで榠樝を見た。

 榠樝はそっと首を竦める。


「本当に全く以て説得力ございませんわね」

「ええ、本当に」


 堅香子と山桜桃が揃って頷き合って。

 榠樝は唇を尖らせる。


 自覚はあるのだ。置かれた立場の危うさも理解している。

 だが。


「自分で選んだのだから仕方ない。この不安定さを保ち続けることこそ、平和に繋がるのよ」


 揺れる天秤の上に置かれた(おもり)は、どれ一つとして同じ形が無く。

 また、整然と積み上げられてもおらず。


 目を離せば。

 気を逸らせば。


 瞬く間に崩れ落ちるだろう。




 だから仕方がない。

 榠樝の他、錘を動かせる者は居ないのだから。

 王の役目なのだから。


 放り出すつもりは無い。

 そう。己が命に代えても。


 堅香子が、山桜桃が。

 榠樝の髪を一房、そっと手に取り、(うやうや)しく押し頂く。


 貴女の決意は知っている。


 それが揺るがないことも。

 それを(ひるがえ)さないことも。


 だから。


「能う限り、お支え致します」

「この命尽きるまで」


 二人の決意に、榠樝は泣きそうに微笑んだ。


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