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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第九章 女王即位
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 五雲国(ごうんこく)の王、玄秋霜(げんしゅうそう)が身代わりを立てて虹霓国(こうげいこく)にやってきた。




 五雲国側でも知る者はごく(わず)か。


 大使の玄石斛(げんせっこく)も秋霜のことを従叔父(いとこおじ)の薄雪だと思っているそうだ。




「向こうではよく入れ替わって色々とやっているのでな。今回も頼み込んで代わってもらった」


「いや、代わってもらった、ではなかろう。そなた、王なのだぞ。軽々しく動くな」




 榠樝(かりん)に叱責され、けれど秋霜は嬉しそうだ。




「何をニコニコしておるのだ。私は怒っているぞ」


「うん。怒ってくれるのが嬉しいからな。心配してくれているのだろう。ありがとう」




 榠樝は言葉に詰まった。


 紫雲英(げんげ)が眉間の皺を深くし、南天(なんてん)が太刀を握る手に少し力を入れた。




 まだ抜き身である。




「太刀をしまえ、南天。うっかり傷でもつけたら困る」


「……御意」




 不満気に南天が太刀を収め、けれど眼光は秋霜に突き刺さるようだ。


 榠樝はやれやれと首を振る。




「それで。本当は何しに来た。私に逢いたいだけでは無いだろう」


「いや、本当に逢いたいから逢いに来たのだ」




 けろりと秋霜は言ってのけた。




「逢って(じか)に口説こうと思ってな」




 唖然(あぜん)としてしまった榠樝を他所(よそ)に、紫雲英と南天が不穏な空気を(かも)し出す。




 もくもくと黒煙が湧きたつようだ。


 秋霜は表情をいくらか改めて榠樝を見詰めた。




「求婚しに来た。虹霓国では妻問(つまど)いと言うのだったか。文書ではちっとも伝わらないからな」




 榠樝は頭を抱える。




「充分に伝わっている。だが私はそなたの妻にはなれぬと何度言ったらわかるのだ、秋霜」




 秋霜はそっと切なげに吐息を零した。小さく、小さく。


 南天の耳はそれを拾って、眉根を寄せる。




(本当に恋しいからってだけで来やがったなこいつ)




「道理を説いてもそなたには響かぬ。多少なりとも無理を押す必要があると思った」


「どこが多少だ。無理矢理すぎるぞ」




 秋霜は首を振った。




「私の后になってほしい。()しくは私が王を辞し、虹霓国に婿入りする」




 紫雲英は驚いて秋霜と榠樝を交互に見、南天は呆れたように目を瞬いた。


 賢木(さかき)は遠くで式神を通して観察している。




 榠樝は揺らがない。答えは変わらない。




(いな)と言った。私は虹霓国の女王である。五雲国王の后にはなれぬ。また、五雲国王はそなた以外では困る。そなた以上に虹霓国を(ぐう)してくれる王は居ないだろうからな」




 秋霜は溜め息を吐く。


 いつでも立場が邪魔をする。




 王の座が、国という(しがらみ)が二人を隔てる。




「榠樝、二人きりで話したい」


「駄目だ」




 榠樝ではなく南天が答える。


 秋霜は嫌そうに南天を振り返った。




「そなたには聞いておらぬ」


「主上をお守りする立場として、見過ごすわけにはいかねえんでね、異国の王様。あんた人目が無ければ手ェ出すだろ」




「いっそ人目が有っても構わんが」




 冗談交じりに返した秋霜を刃物のような光が貫く。


 鋭すぎる南天の眼光であるが、秋霜は無視した。




「榠樝」




 秋霜が名を呼ぶ。


 愛しさに溢れた声音で、柔らかく、優しく。




 榠樝は溜め息を吐き、紫雲英が拳を震わせた。




「王を辞して、誰も知らない地へ二人で行かないか?そなたが居れば、私は何も要らない」




 地位も立場も邪魔なだけ。




 秋霜は思う。


 ただの男と女であったら榠樝は応えてくれただろうか。




 同じことを思って、紫雲英がごくりと喉を鳴らす。


 否、と紫雲英は思う。願う、が正しいだろうか。




 王であろうとする榠樝が好きだ。


 より良い為政者(いせいしゃ)であろうと足掻(あが)く榠樝だからこそ、支えたいと思った。




 榠樝を振り返り、紫雲英は泣きそうになるのを必死で堪えた。




「答えは変わらぬ」




 紫雲英が何より好きな表情で。


 凛として答える女王、榠樝。




「私は虹霓国の女王である。それ以外の私は私ですらない」




 眩しくて、目が眩みそうだ。




 秋霜もきっと答えはわかっていたのだろう。


 諦めに似た微笑を浮かべ、ぐしゃりと前髪を掻き上げた。




「そなたと私が結ばれれば、二国は一つとなり新たな時代を築くことができるだろう」




 秋霜は答えのわかっている問いを敢えて、問う。




「簡単な理屈だ。簡単なことなのに、何故拒む」




 榠樝は首を振る。




「簡単なことだ。確かにな。二つが一つに。虹霓国を飲み込んで、五雲国は勢いを増す。それではならぬ。虹霓国を失うことになる」




「五雲国の財を惜しみなく虹霓国へ与える。自治を尊重し、君主としての地位もそのまま。それでもか」




 榠樝は目を細めた。




「その問答は既にした。覚えているだろう。答も変わらぬ。そなたにそれだけの力は無い。五雲国朝廷は王の意のままに動かせるものでは無い」




 淡々と、榠樝は言葉を紡ぐ。


 その声は静かなのに、圧倒的な王の威厳に満ちていた。




 紫雲英と南天が震えるほどに。




「どれほどの誓約があろうと、一方が力を持てばもう一方が従属を強いられる。大国となれば確かに繫栄が約束されるだろう。だが、《《虹霓国はその影に埋もれていく》》。今でなくとも、いずれ消し去られる。歴史が証明しているだろう。譲歩は出来ぬ」




 秋霜は泣きそうに笑った。




「愛している。傍に居たい。そなたを抱きたい。それだけのことがこんなにも難しいとはな」




 榠樝は小さく吐息を零す。




「愛があればすべて上手くいく。そんな夢物語があったら良かったな」


「榠樝、そなたが欲しいものならすべて差し出す覚悟があるのに。この命でさえも」




 榠樝は首を振った。




「命を捨てる覚悟があるなら、私を愛し抜く覚悟を持ってほしい。私を愛しているのなら、五雲国王として虹霓国を共に守ってくれ」




 秋霜はくしゃりと顔を歪めた。




非道(ひど)い女だな、本当に。このまま攫って逃げてしまいたい」




 榠樝も顔を歪めた。




「私は逃げぬ。逃げることなどできぬ。私が私であるために、私は虹霓国の女王でなくてはならぬのだ」


「それは辛いことではないのか?」




 優しく問う秋霜に、榠樝は首を振る。




「辛いこともある。だが、それでも。私は王として在りたい」


「そうか」




 秋霜は顔を歪めたまま、笑う。




「ならば今回は私の負けだ」


「今回()?」




 榠樝だけでなく、紫雲英も南天も眉を寄せる。




「そう。今回は引き下がる。だが諦めないぞ、私は。五雲国を従わせ、次の王にも虹霓国を同盟国として尊重するように確約させる。その上でまた来る」




 長い沈黙が落ちた。




「秋霜」




 何とも言い(がた)い表情の榠樝に一歩近付いて、秋霜は手を伸ばした。




「それくらいのことを成せる男で無くば、虹霓国女王の婿に相応しくは無いのだろう?」




 そっと榠樝の手を取り、唇を寄せる。


 指先に触れるだけの優しい口付けを落として。




「待っていろ。必ず私を愛していると言わせてみせる」


「……………」




 榠樝は口を開いて、また閉じて、首を振った。




「懲りないな」


「そうでなければ王などやってられるか」




 今度こそ晴れやかに秋霜は笑って見せた。



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