八
遣外館には常駐している者だけではなく、かなり頻繁に五雲国からの使節が訪れる。
虹霓国からも使節を派遣してはいるが、五雲国から来るものの方が圧倒的に多い。
王都、天雀の市に五雲国の者が訪れることも稀ではなくなった。
活気溢れるさまは好ましいし、友好的な交流は望ましい。
が、当然国が変われば常識も違う。両国の者同士の揉め事も多くなったと聞く。
検非違使も都職も目が回るほどの忙しさだ。
両長官の嘆願により、この度増員されることとなった。
「今日はまた五雲国の使節が来るのだろう?」
榠樝の言葉に関白蘇芳深雪は頷いた。
「何やら特別の贈り物を用意したとのことで、是非とも直々に主上に御目通りしたいそうでございますが、大極殿にお出ましになられますか?五雲国大使、玄石斛どのが重ねて申し出ております。大使どのより上の王族が来るようですな」
質問の形を取ってはいるが、可能ならば出て来ないでほしいという気持ちが透けて見えている。
榠樝はふむ、と思案した。
「朱鷺賢木を伴おう。大使の頼みは無下にしない方がいい」
「御意」
最悪の事態を想定し、三重の防備を敷くこととした。
ひとつ。
通常の警備を常よりも厚くする。すなわち帯刀と衛士とを増員。
ひとつ。
使者が刺客だった場合の備えを敷く。簡単に言えば蘇芳銀河と藤黄南天とが護衛につく。
ひとつ。
使者、或いは贈り物が呪詛だった場合の備えを敷く。
榠樝は右手を開いて閉じて、頷く。
その身に宿る龍神の加護の力を感じる。
段々と馴染んできたのだろうか、軽い呪詛や穢れ程度ならば自身で打ち払うことが可能になった。
更に賢木の結界が、常に榠樝の周囲に張られている。
盤石である。
そして大極殿。
中央に高御座があり、榠樝はそこに座している。
大使玄石斛の後ろを静々と歩いて来たその男は、恭しく五雲国式の礼をとり跪いた。
大使の口上が終わり、男が口を開く。
「玄薄雪と申します。五雲国王の従叔父に当たります。お見知り置きくださいませ」
聞き覚えのある声に、榠樝は少し身を乗り出した。
その目が限界まで見開かれ。
危うく扇を取り落としそうになる。
髪の色は真珠色ではなく亜麻色だが、見覚えのある顔。
「……秋霜」
呻くように呟いて。
それ以降の挨拶は、まったく榠樝の耳には届かなかった。
「そんなに似ているのですか」
護衛の左右近衛大将を伴い清涼殿に帰って、ぐったりと榠樝は脇息に寄り掛かる。
「とてもよく似ておる。髪の色を除いては、そっくりだな」
銀河がふむ、と顎を撫でた。
「他人の空似っていうか、血縁だし似ててもおかしくはないんじゃ?」
南天は他人事だ。
「そうだな。似た顔が世の中に三人は居るという話だからな」
特徴的な真珠色の髪ではない。
だからあの男は秋霜ではない筈だ。
だが似過ぎていた。声も表情も、仕草も。
いや、夢の中でしか会ったことがないのだから、判別できるのかと言えば疑問は残る。
「術の類いは感じ取れませんでした」
庭先に控えた賢木も注釈を入れる。
榠樝は考えるのを止めた。
「他人の空似。気の所為だ。騒ぎ立てて済まなんだ」
銀河はそれでも念の為、探りを入れることを提案する。
「構わぬが、相手は王族。それも相応の地位らしいからな。気を付けてくれ」
「御意」
そんなやりとりの最中、菖蒲紫雲英から結び文が届いた。
ぱらりと開けば「内密に話したい」と一言のみ。
怪訝な様子で榠樝は飛香舎へ向かった。
相変わらず、内密な話をするのに飛香舎ほどうってつけの場所は内裏には無い。
飛香舎で落ち合った紫雲英は、どうにも落ち着かない様子で辺りを窺っている。
「どうした。何があった?」
手招いて見せれば、紫雲英は難しい表情のままばらりと扇を開いた。
「お耳を」
耳に口を寄せると、紫雲英はそうっと何事かを囁く。
榠樝の手から扇が落ちた。
勢いよく振り返れば、口付け出来そうなほど近くに紫雲英の顔があって。
だがお互い色気の欠片も無く。
真剣な眼差しで、睨み合うように見詰め合う。
「どうする」
紫雲英が低く問い、榠樝は頷く。
「行く」
宴の松原。
玄薄雪が松に寄り掛かり佇んでいた。
足音に気付いたのだろう。振り返ってその眸が榠樝を捕え、柔らかく蕩ける。
亜麻色の髪。
榠樝は息を弾ませて近付いて。
その勢いのまま扇を振るった。
「痛い」
結構いい音がしたな、と紫雲英は思う。
女王一人きりで出歩かせる訳にはいかない。
当然紫雲英は供をするし、南天も気付かれないように追ってきている。
その上賢木は式神を放っている。
だが、玄薄雪の目には榠樝しか映っていないようだ。
「この、この戯けめ!」
震える声で榠樝は何とか文句を口にした。
言いたいことがあり過ぎて、却って言葉に詰まる。
最早何を言えば良いというのか。
「やっと逢えたのに、ひどいぞ」
「本当にやって来るヤツがあるか!浅慮に過ぎる!」
殴られた腕を擦る男は玄薄雪ではなく、五雲国王玄秋霜その人だ。
「薄雪叔父上には本国で私の身代わりをしてもらっているから、誰も気付いてないぞ。髪も染めたし」
並べて見ないと区別がつかないくらいには似ているという。
「そういう、問題では!無かろうが!」
ぷりぷりと怒る榠樝を愛し気に見詰め、秋霜は手を伸ばした。
と同時に抜き身の太刀が突き付けられ、両手を上げる。
榠樝が深々と溜息を吐いた。
「南天。太刀を下ろせ。秋霜、軽々しく触れようとするな。首級が飛ぶぞ」
南天が渋々太刀を下ろし、秋霜は両手を上げたまま一歩下がった。
「私の首級が飛んだら国際問題だぞ」
「わかっているなら自重しろ」
「折角こうして逢えたのに、触れることも叶わないとは生殺しにも程があるだろう」
榠樝は眉間を抑え、首を振る。
「まったく、何を考えてやって来たんだ」
秋霜の声音が重さを帯びる。
「逢いたかったと言っただろう」
甘さと熱とを孕んだ声が、そっと囁く。
「現で逢いたかった。触れたかった。だから無理を押して渡海した。恋に身を焦がした憐れな男だ」
紫雲英が榠樝を庇うように前に出て。
南天が秋霜の背後を取る。
「私の前でよくも口にしたな、五雲国の王よ」
紫雲英が断じる。
秋霜は唇を尖らせて紫雲英を睨んだ。
「報告が来ている。そなたは最早、榠樝の婿の候補からは外れたのだろう。ならば口出しは無用だ」
紫雲英は眉を吊り上げて一喝する。
「婿がねで無くとも主上の一の臣であることに変わりはない。私の前で無体を働くことは許さん。そもそも主上の御名を軽々しく口にするな」
南天が口笛を吹いた。
「茶化さないでくれ、南天どの」
「これは失礼」
榠樝は頭を抱える。
「まったく、なんだってこんな無茶を」
秋霜は少し得意げに笑った。




