三
榠樝は山桜桃を見据え、言葉を選ぶ。
「紫雲英はね、無二の友よ。なんでもわかってくれる大切な人。きっと私たち、夫婦になっても上手くやっていける」
伝わるだろうか。
「だけど、それはたぶん、恋でも愛でもないの。そして、たとえ紫雲英が妻を迎えても、それが私でなくても。私は寂しいだけで、受け入れられる」
だからね、と榠樝は山桜桃の手を握る。
「貴方は貴方の思う通りになさい」
山桜桃は顔を歪めたまま榠樝の手をぎゅっと握る。
「それでも、私は紫雲英どのをこそ、王配に推しますわ」
「なんですのあれ。どういうことですの!貴方、紫雲英どのをお好きだったの?」
渡殿。
榠樝の前を辞した二人の揉み合い。
堅香子は山桜桃の袖を掴まえ食って掛かる。
山桜桃は煩そうに袖を払った。
「仮にそうだったとして、私は紫雲英どのを王配に推すと申し上げたでしょう」
「ええ、ええ。そうですわね。でも、お好きなのでしょう」
しつこい堅香子に根負けし、山桜桃が溜め息を吐いて局に手招いた。
「立ち話もなんですわ。いらっしゃいな」
膝を詰めて堅香子が迫る。
山桜桃は観念したように、けれど苦笑を顔に張り付けて真向かった。
「いつからですの?」
「さあ?わかりませんわ」
「誤魔化さないでおっしゃいな」
「誤魔化しているわけではないのよ。私も本当にいつからなのかわからないのだから」
堅香子は眉を寄せ、顔を歪め、唇を尖らせた。
「言いたいことがあり過ぎて何をどう言ったらいいのかわかりませんわ」
「どうぞ。思い付いたところからおっしゃいなさい。聞くから」
堅香子は眉を顰めたまま、問う。
「どうして紫雲英どのなの」
「それはどちらの意味で?王配に推す理由?私が好きな理由?」
「勿論のこと、どちらもお聞きしたいですわ。けれど話してくださるの?」
山桜桃は少し肩を竦めた。
「今の時点で、婿がねの中で。一番王配に相応しいと思う方は紫雲英どのを措いていない。真面目で融通が利かず、けれど主上のお気持ちを一番深く理解し、一番寄り添えるのは紫雲英どのでしょう」
堅香子が肯く。
「認めますわ」
他の追随を許さぬ程、紫雲英は際立って榠樝に近しく、また能力も申し分ない。
「貴方は縹笹百合どのを推しておられますわね」
「ええ。榠樝さまを榠樝さまとして、包んでくださる方だと思っていますわ」
「でも、笹百合どのは同志として、主上の隣に立つには足りないと思われませんか」
ぐ、と堅香子が言葉に詰まった。
堅香子が笹百合を推すのは、彼が榠樝を一人の少女として見てくれると思っているからだ。
王ではなく、ただの少女としての榠樝の心を守れる人だと見ている。
けれど確かに、王配として、同志として。並び立つには少し物足りない。
他を押し退けて圧倒する気迫に欠ける。
最近は他の婿がねを牽制するところも見られるようになってきたが、まだ控えめだ。
本来の気性によるものなのだろう。
「笹百合どのならば主上を包み込んでくださるかもしれない。けれど紫雲英どのなら主上に並び立てる。共に手を取り合い、虹霓国を導いて行くに相応しい方になれる。そう思っておりますわ」
「随分と買っておりますのね」
「多少の贔屓目はあるかもしれませんけれど、貴方もそう思うのではないかしら、堅香子どの?」
堅香子は肩を竦めた。
「確かに。紫雲英どのは榠樝さまの一の理解者で、同志で。榠樝さまを何より大切に想っていらっしゃいますわ」
「でしょう」
「でも、榠樝さまが仰ったでしょう。王配であってもなくても、紫雲英どのは変わらないと」
山桜桃は苦笑を深くした。
「そこですわ。本当、あの方たちは嫌になってしまうくらい、わかり合っていらっしゃるのね」
「貴方はそんな紫雲英どのの何処に惹かれたの?」
山桜桃はそっと笑った。
「主上を理解して、理解しようとして。相応しくあろうという心。向上心。それでいて女心はまったく理解をしかねる。そういう、どうしようもない所ですわ」
その柔らかく温かく、美しい表情に堅香子が半眼になる。
「貴方も難儀な方なのね」
「認めますわ」
静かになった飛香舎で、榠樝はなんともなしに庭を眺めていた。
藤が綻んでいる。
満開にはまだ遠いけれど、ゆらゆらと風に吹かれている様は美しい。
飛香舎の別名は藤壺。
内裏で一番、藤の美しい庭。
紫は菖蒲家の色。
紫雲英の色。
山桜桃に言った言葉は本心だ。
紫雲英は確かに王配に足る人物だと榠樝も思う。
けれど山桜桃に伝えた通り、たとえ王配の地位に無くとも。
紫雲英は榠樝を支えてくれるだろう。
それは冷静に考えた上での結論のはずだ。
この均衡を保ちたい。その為には王配は空位でなくてはならない。
榠樝はふ、と視線を流した。
紫雲英は王配でなくても、榠樝を見捨てはしないだろう。
支えてくれるだろう。
そのくらいには好かれている自信がある。
好いている自覚がある。
そう。確かに好いているのだ。
それが恋かどうか、本当はわからない。
でも、紫雲英が妻を迎えても。それが自分でなくても。
榠樝は寂しいだけで受け入れることができるだろう。
そしてきっと、妻を迎えたとしても。
榠樝は瞼を閉じる。
紫雲英は紫雲英で変わることは無いだろう。
それは予想というよりは、榠樝の願望なのだろうけれど。
きっと紫雲英は山桜桃を妻として大切にする。
仲の良い友の隣が埋まる寂しさはある。
けれどそれだけだ。
「きっとそう」
「何がだ」
突然降ってきた声に榠樝は大層驚いて平衡を崩した。
「紫雲英」
「何度も呼んだが心ここにあらずだったので失礼したぞ。堅香子や山桜桃はどうしたのだ。他の女房も見当たらないし」
榠樝は苦笑して居住まいを正す。
「丁度、あなたのことを考えていたのよ。吃驚した」
「そうなのか」
紫雲英は少し驚いたように目を丸くして、榠樝の前に座った。
「笹百合どの、いや頭弁どのより報せがあった。そのことで貴方に聞きたいことがある」
いつにも増して硬さのある表情だ。
「婿がねの件か」
紫雲英は頷く。
「そうだ。やはり白紙撤回となるのか」
榠樝は頭を掻く。
「……そうだな。現状をなるべく長く維持したいと言えば通じるか」
紫雲英は頷いて難しい顔をした。
「六家の中で突出した家が無く、また五雲国の王からの婚姻の申し込みも相変わらずにある。不安定であるからこその均衡だな」
一つ話せば十を理解してくれる。
得難い人。
打てば響く相手。
榠樝の胸の奥が熱くなる。
「だが、少しずつ、安定に向けて調整をせねばならないのも事実だ。何かしら一つずつ、手を打っていかねばならない」
「うん。私もそう思う」
「そこでだ、紫雲英」
「うん?」
「山桜桃を妻に迎えぬか」
唐突に思える榠樝の台詞に、紫雲英は何度か目を瞬いた。




