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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第九章 女王即位
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 清涼殿(せいりょうでん)昼御座(ひのおまし)

 諸々の儀式を終え、いよいよ王としての通常業務の始まりだ。



 そう意気込んだ榠樝(かりん)だったが、朝議(ちょうぎ)の内容にひどく投げ遣りな気持ちになった。



「早速王配の話か。他に無いのか。いや、気持ちはわかるが。確かにそこは埋めておきたいな。わかるぞ」



 摂政から関白となった蘇芳深雪(すおうのみゆき)は渋い顔で榠樝を見る。



「以前より、と申しますよりは、三年前から全く進んでおりませぬ(ゆえ)



 前例無き女王。

 であれば王配も当然前例の無いもの。



 誰に決まるかで盤面が大きく変わる。

 けれどそれは。




「女東宮の時と何ら変わらぬではないか」

「いいえ」



 深雪は深く首を振る。



「此度もまた、五雲国(ごうんこく)王より求婚の文が届いております」



 榠樝は顔を覆った。



「またか」


主上(おかみ)、早々に王配を決めませぬと、ずっとこの調子で恋文が届きますぞ」




 榠樝はぐしゃりと髪を掻き上げた。

 呼び方が女東宮から主上へと変わっても変わらぬ遣り取り。



「何度断っても送って来るのだ。もう致し方ない。無視せよ」


「国書を無視という訳には参りませぬ」




「国書で恋文送って来る(たわ)けた奴に何を言っても無駄だ」



 榠樝は溜め息を吐くと御簾(みす)を掲げ上げた。

 そしてそのまま一歩踏み出す。



 控えていた蔵人頭縹笹百合(はなだのささゆり)がぎょっとしたように目を剥いた。



「この際だ。宣言しておこう。暫く婿は選ばぬ。故に婿がねの者らも任を解く。()く伝えよ」









「大騒ぎだったようですわね」



 飛香舎(ひぎょうしゃ)堅香子(かたかご)が榠樝の前にそっと菓子を置く。



「こちらまで悲鳴が聞こえて参りましたわよ」



 山桜桃(ゆすら)胡瓶(こへい)から碗に水を注ぐ。



「とはいえ仕方あるまいよ。この状況から誰か一人、選ぶわけにもいかないのだから」



 榠樝は溜め息を吐くと碗の水を一気に飲み干した。



「今、丁度良く均衡が取れている。けれどここで六家の誰かを選べば、その家が突出する。折角安定し始めた虹霓国が揺れれば、また五雲国に付け込まれる」




「熱烈な求婚も途絶えませんしね」


「そこは置いといてほしい」




 榠樝は眉間に皺を寄せ、考え込む。



秋霜(しゅうそう)が王を辞めて虹霓国に婿に来るというのなら、考えなくもないとは言った。それは確かだ。だが、撤回させてもらおうと思う。その旨(しか)と伝えなくてはな」



 だが伝え方を間違えると酷い目に遭いそうだ。

 気を付けねば。



 山桜桃がすっと刃物の色を眸に宿す。



「それは、()の五雲国王が、王であるからこその現状、と仰せなのですね」




 榠樝は山桜桃に視線を遣り、にこりと笑った。


 不穏な表情である。いや、剣呑(けんのん)の方が近いだろうか。




「そういうことだ。山桜桃と紫雲英(げんげ)は話が早くて助かる」


「紫雲英どのと並び称されるのは(しゃく)ですが、良しと致します」



 頷き合う二人に堅香子が膨れた。



「何ですの、わかりませんわ」



 榠樝は袖を揺らし堅香子を呼び寄せ、耳元で囁く。



「秋霜が王だから、現状は維持される。秋霜が王でなくなれば、五雲国は再び虹霓国に手を伸ばすと考えられる。秋霜自体が重石(おもし)なの。彼が王でなくなれば、この協力体制は維持できない。たぶんね。同盟はそこで綻びる。五雲国は簡単に掌を返すでしょうね」



 堅香子が息を呑んだ。



「それを見越して、敢えての現状維持を可能な限り引っ張るおつもりなのですか?」


「それが半分」




「もう半分は?」




 榠樝は大人びた流し目をくれる。




「私はまだ、恋をしていないわ」




 この三年で榠樝は驚くほど美しい女人へと成長した。


 外見だけでなく、内面だけでなく。




 それと同時に驚くべき速さで物事を吸収し、王たるに相応(ふさわ)しく成っていく。




 龍神の加護、と誰かは言った。


 それも一理あるのかもしれない。




「早く王配を得て、子を為し、翡翠の血脈を増やさねばならないのはわかっている。大切な王の役目のひとつ。でも」



 榠樝は言葉を選び逡巡した。



「とても重要な局面だ。()いては事を仕損(しそん)じる。それもひとつ。焦っていて、目の前が曇っている。それもひとつ」



 堅香子が肩を竦めた。



「お気持ちが固まらぬのでは仕方ありませんわ」



 榠樝は僅かに視線を揺らす。



「……気持ち、なのかしら。最も良い一手が見つからないだけなのではないかしら」



 最も良いその一手を見つけることができたなら、榠樝は迷わず手を伸ばすだろうか。


 それとも。



 自分のことだというのに、わからない。


 まだ、読めない。


 山桜桃がすこしばかり目を細める。




「主上、いえ、榠樝さま」


「ん?」




「どうしても、渡したくないものの中に、婿がねの方々は入っておられませんか?」



 軽口で返そうとして、山桜桃の真摯な表情に榠樝は居住まいを正した。



「誰をも得難い友と思っている。大切な人たち。でもそれは、山桜桃の求める答えと違うわね」


「はい」



 山桜桃は真正面から榠樝を見る。



「私は榠樝さまに相応しいお相手は、菖蒲紫雲英(あやめのげんげ)どのと思っております。また、次代の菖蒲家当主として一の臣たる立場になられる方と見込んでおります」



「そうね。紫雲英なら申し分ない。きっと私を支えてくれる。でもね」



 榠樝は山桜桃を見据え、きっぱりと言い切る。



「それは王配であっても、そうでなくても、変わらない」



 榠樝の返答に山桜桃が顔を歪めた。



「本当に嫌になってしまいますわ。お二方ともお互いのことを一番よくわかっていらっしゃるのですもの。ええ、ええ。立場がどうなったとしても、紫雲英どのは榠樝さまをお支え致しましょう。それは揺ぎ無いこと。そう思います」



 榠樝は困ったように微笑んだ。



「紫雲英が好き?」


「はい」



「紫雲英の妻になりたいと思う?」


「いいえ。王配こそが紫雲英どのに相応(ふさわ)しいと存じます。榠樝さまの隣に立つのは紫雲英どのを()いて他にありません」



 山桜桃は躊躇(ためら)い無く言い切る。


 堅香子が唖然(あぜん)としているが、榠樝は随分前から感付いていた。



 山桜桃は紫雲英を好いている。


 けれど榠樝の婿がねという立場から口にしなかっただけ。



「山桜桃。紫雲英の妻になりなさい」



 山桜桃が嫌そうに顔を歪めた。



「意地悪ですわ。榠樝さまが(おっしゃ)ったら、紫雲英どのなら一も二も無く頷くとわかっておいでですのね」



 榠樝は少し寂しそうに笑った。



 そう。


 榠樝が望めば、紫雲英は山桜桃を妻に迎えるだろう。



 榠樝の為。



 榠樝の王座を揺ぎ無く保つために、黒鳶の姫である山桜桃を北の方に。


 菖蒲と黒鳶の二家が結び付けば、より強固な後ろ盾となるだろう。



 山桜桃の心を置き去りにして。

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