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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第九章 女王即位
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 前王(さきのおう)崩御より、三度目の春。

 榠樝(かりん)は十六になっていた。



 梅の花が雪解けを待たずに香り高く咲き()めて、凛とした美しさを醸し出す。



 雪が解けて日差しが暖かさを増して。

 桃が咲き、そして李。濃い紅の桃は鮮やかに、真白な李は(たお)やかに。

 春が深まるにつれ、花々が咲き零れる。


 桜に先んじて扁桃(アーモンド)の白から淡紅の花弁が薄い霞を(まと)ったかのように咲き誇る。風に乗り緩やかに散り始め。


 そして桜。一斉に壮麗に。空を覆わんばかりに咲き誇り。



 地には菜の花、蒲公英(たんぽぽ)、菫。そして名も知らぬ小さな花たち。

 山も里も春爛漫(らんまん)。色が溢れ出る季節だ。



 そしてそんな景色を切り取って(まと)ったかのような榠樝の姿は。



「まるで春の女神のようですわ」



 堅香子(かたかご)がうっとりと微笑んだ。



 榠樝は儀式のための物具装束(もののぐしょうぞく)である。


 髪を結い宝冠をつけ、翡翠のかさねに緋色の袴、白花の打衣(うちぎ)、紅梅色の表着(うわぎ)紅碧(べにみどり)唐衣(からぎぬ)を着込み、白練色(しろねりいろ)()を付け、不言色(いわぬいろ)裙帯(くたい)を結び白藤色(しらふじいろ)領巾(ひれ)を纏う。


 そして首には玉の御統(みすまる)。中央の勾玉は勿論緑の翡翠である。

 衵扇(あこめおうぎ)には五雲国より送られた瑠璃の花が飾りつけられている。



 榠樝は楚々と口を開いた。



「……重い」




 山桜桃(ゆすら)が苦笑する。


「暫しのご辛抱を」



 堅香子と山桜桃もそれぞれ祝いのかさねで着飾っている。

 堅香子が萌黄の匂、山桜桃が松重。



 今日は内裏が一段と鮮やかだ。

 まるで春の盛りの山里に迷い込んだかのよう。







 まず向かうのは内侍所(ないしどころ)だ。



 神器の宝玉に王となることを報告せねばならない。

 桐箱に納められた翡翠の宝玉を目にするのは、即位の儀の一度きり。



 前回は虹を下さった龍神への感謝を込め、榊葉(さかきば)を献じた。

 その際も姿を見てはいない。



 鼓動が高鳴る。

 喉が渇く。



 榠樝はゆっくりと息を吸い込み、長く長く吐き出した。



 榠樝以外誰も足を踏み入れてはならない空間。

 静謐(せいひつ)な空気の他に、肌がピリピリとひりつくような緊張感が張り詰めている。



 それもその筈。

 桐箱に納められた神器は、箱の外からでもわかるくらいに光り輝いていた。

 箱から漏れ出る光は淡い翡翠色。



 榠樝はそっと桐箱に手を伸ばした。

 ゆっくりと蓋を持ち上げると、眩しい光が辺りを覆い尽くす程に溢れ出て。




 光の柱が立ち(のぼ)った。




 それは大内裏ばかりか都中からも見て取れるだろう光の柱で。

 人々は虹霓国(こうげいこく)に新たな王が立ったことを知るのだ。



 目が眩みそうな光の奔流(ほんりゅう)を前に、榠樝は定められた作法で宝玉に触れる。


 瞼を伏せ、額の前に掲げ、膝を折り。

 誓いの言葉を口にする。



鴗鳥榠樝(そにどりのかりん)御前(おんまえ)(つか)(まつ)る」



 そして。

 宝玉は光を外から内へと向かわせた。



 光の柱はゆっくりと収束していく。



 両手の中に光り輝く翡翠の宝玉を抱けば、まるで生きているように脈打って感じられる。

 榠樝は再度額の前に宝玉を掲げ、そしてそうっと桐箱の中に戻し、蓋をした。



 次に宝玉を拝むのは、まだ存在しない次の王たる者だ。

 虹霓国王家鴗鳥の次の代。



 翡翠の血脈、榠樝の血を引く子。

 それまでの長い間、宝玉は国を守り、次の王を待ち続ける。



 これで、龍神への報告の儀式は終わり、次は人への報告の儀式が待っている。









 内侍所を出ると、尚侍(ないしのかみ)を始め、女官たちが平伏して待ち侘びていた。

 その中に浅沙(あさざ)の姿を認め、榠樝は少しだけ唇の端を持ち上げた。



 わからない程度の微笑。

 けれど気持ちは伝わっただろう。



 尚侍が先導し、清涼殿(せいりょうでん)にて蔵人頭(くろうどのとう)に引き継ぐ。


 今の蔵人頭は縹笹百合(はなだのささゆり)である。出世し従四位下となり右中弁を兼ねている。



 笹百合は着飾った榠樝を眩し気に見詰め、ゆっくりと(こうべ)を垂れた。

 そして榠樝は輿に乗り、大極殿(だいごくでん)へと向かう。



 大極殿の中央の高御座(たかみくら)に向かって、榠樝はゆっくりと歩いて行く。


 一歩ずつ。一歩ずつ。

 玉座への道を踏み締めて。



 そしてゆっくりと。



 榠樝は高御座に座すと、朱唇を開く。

 澄んだ声が大極殿に響く。



(あめ)(つち)、そして龍神の導きのもと、永久(とこしえ)に虹霓国を守り繫栄させん」



 しゃらんと鈴の音のような音が聴こえた気がした。



 神威。

 ふわり、と半ば透けた様子の龍が現れる。



 それはゆっくりと高御座を回り、人々の頭上を泳ぎ、空へと昇った。

 摂政蘇芳深雪(すおうのみゆき)が跪き、右大臣以下皆が(ひざまず)く。



「お(よろこ)び申し上げます」



 その時、空に虹が掛かった。

 再びの瑞兆(ずいちょう)に、民は大いに沸いたという。



 都の各地で人々が喜び舞い踊る。



 儀式に招かれていた五雲国(ごうんこく)の大使は興奮のあまり卒倒したとか、誰それは虹霓国の霊験を伝えるべく文を書き殴っただとか。


 とにかく凄まじい昂奮(こうふん)の度合いであった。







 大極殿、高御座。

 今は楽の演奏が一区切りつき、次の舞の準備だ。



 楽も舞も、龍神に奉納する荘厳なものから、段々と賑やかに楽し気に、人々の為のものへと移っていく。



 さて。

 いつまでここで微笑んで居れば良いのやら。



 新たな時代の訪れを喜び、寿(ことほ)ぎ、皆が楽し気に笑っている。

 段々と無礼講になりつつある目の前の状況に榠樝は目を細めた。



 婿がねたちがどうにかこうにか榠樝の晴れ姿を一目見ようと、列の端々から顔を出したり引っ込めたり。


 何をやっているのやら。



 声を出して笑いたいのを堪える。



「しかし、どこが暫しだ。日が暮れる」



 ぼそりと呟いて、榠樝は顔に微苦笑を張り付けたままそっと瞼を伏せた。





 そしてそれから数日間、榠樝は儀式に追われることとなる。

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