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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第一章 空位時代
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 夕餉(ゆうげ)を食していた榠樝(かりん)が、急に()せた。


「大丈夫でございますか?」


 堅香子(かたかご)が背中を(さす)ろうと近付いて、顔色を変える。



 口の中のものを吐き出して、榠樝は何度か咳き込んだ。



 堅香子が控えていた近衛舎人(このえのとねり)に向かって叫んだ。


杜鵑花(さつき)どのを!早く!」


 げほげほと咳き込みながら、榠樝は何とか声を絞り出す。


「炭を、解毒には、げほ、炭」


 舎人は放たれた矢のような勢いで走っていった。




 慌てふためく飛香舎(ひぎょうしゃ)にいち早く辿り着いたのは杜鵑花。


「ご無礼仕ります」


 角盥(つのだらい)を引き摺り寄せ、榠樝の背を擦る。



「すべて吐いてください。無理なようでしたらば吐き戻し薬をお飲み頂きます」



 冷静な声と表情に、そんな場合ではないのに榠樝は少し笑った。

 本当に、優秀な医官だ。仕事となれば顔付きが違う。

 榠樝が吐き戻している間に、典薬頭(てんやくのかみ)までひいひい言いながら走って来た。


「女東宮!」


 咳き込みながら、手を上げてみせた。大丈夫だと。


「舌に、違和感があったから、すぐに吐いた。そんなに、飲んでない。大丈夫」


 その間に杜鵑花は手早く炭を乳鉢で砕き、粉末にしていく。


「お飲みください」


 差し出された薬包紙(やくほうし)の上の炭の粉を躊躇(ためら)いなく榠樝は水で飲み下して。

 雑な動作で口元を拭った。


「騒ぎ立てて済まなんだ。大事(だいじ)ない」


「大事ないわけありますか!」


 堅香子が泣き(わめ)く。



「毒ですよ!?女東宮の夕餉に毒を盛るだなんて、一体誰が」



 杜鵑花が冷静に吐瀉物(としゃぶつ)を検分する。


「お毒見は?」


「勿論済ませております」


 泣きながらも堅香子は的確な指示を出す。




「至急、検非違使(けびいし)別当と内膳司(ないぜんし)別当に(しら)せを」




 典薬頭と杜鵑花が何やら話し合っている。毒についてのことだろうか。

 知らない言葉ばかりで榠樝にはさっぱりわからなかった。


 嘔吐の後は身体が疲れて(だる)い。

 ぐったりと脇息に身を委ね、考える。


 誰が、いつ、どうやって、毒を盛ったのか。


 東宮の食事は当然のこととして多くの者の手を経て、榠樝まで至る。

 その際に何度も毒見を経ている。最終的には内膳司の長官(かみ)である奉膳(ぶぜん)が毒見をし、そして安全が担保されたものだけが運ばれて来る。


 常に人目がある。その最中(さなか)で毒を盛れるとしたら。


 内膳司の者の可能性が高い。

 或いは、膳を運んでくる女官たちの誰か。




 疑いたくは無いが、どう転んでも身近な者であろうな、と榠樝は深々と溜息を()いた。







 流石に今度ばかりは内々に済ませる訳にもいかず、朝廷は上を下への大騒ぎとなった。


 責任を取って内膳司別当は更迭。長官(かみ)である奉膳は解任。奉膳は二名なので、当日の毒見役で無かった方が残り、新たに人員を配置するという。


 当日の夕餉に関わらなかった者も、その日欠席していた者まで、それこそ上から下まで全員が調べられ、内膳司の建物は(くま)なく検非違使によって捜索がなされた。


 女官も、飛香舎の者ばかりではなく後宮総(ざら)いの如く、徹底的に調べられた。

 が、結局犯人はわからず仕舞い。




 だが、その最中(さなか)、女官が一人死んだ。頓死(とんし)である。



 つまり死因は不明。

 罪の意識に耐えかねたか、口封じに殺されたか。


 それとも偶然の病死なのか、それも。




「わからず仕舞いにございます。申し訳もございませぬ!」




 清涼殿(せいりょうでん)昼御座(ひのおまし)の前、検非違使別当(けびいしべっとう)が深々と(ぬか)づいた。


 寧ろ勢いよく床に頭突きしなかっただろうか。


 隣に控えている摂政である蘇芳深雪(すおうのみゆき)も、蔵人頭(くろうどのとう)らも何とも言えない表情である。



 榠樝は落胆しなかった。

 犯人に繋がる証拠は出るまいと思っていたのだ。



「ご苦労であった。典薬寮は此度(こたび)の働きに応じ厚遇(こうぐう)するように。医官、山鳩杜鵑花(やまばとのさつき)に特に褒美を取らせる」


 検非違使別当、黒鳶野茨(のいばら)の不満気な様子に榠樝は苦笑する。

 黒鳶家当主、大納言夕菅(ゆうすげ)の弟であり、つまりは榠樝の叔父にあたる。


「検非違使別当、あまり心配し過ぎると禿()げるというぞ」


 揶揄(からか)い混じりの榠樝に、野茨はキッと鋭い視線を向ける。


「ハゲなどどうでもよいのです。私は己が不甲斐無(ふがいな)く、(はらわた)煮えくり返る思いでございますれば」


「謹慎でもなさるか」


 (あざけ)るように深雪が煽る。野茨がきつく深雪を睨んだ。

 視線だけでも射抜かれそうだ。


 深雪はといえば蚊に刺されたほどにも感じてはいないようだが。


「女東宮のお許しあれば、今すぐにでも摂政どのを取り調べたく存じます」


「ほう、私をか。何の(かど)でかな、検非違使別当」


「頓死した女官と蘇芳家との繋がりが気に掛かります故」


 大袈裟に芝居掛かった表情で、深雪が片眉を跳ね上げる。


此度(こたび)のことに私が関与したとでも?」


 野茨は真っ向からその視線を受け止めて、言う。


「それを調べたく存じます」


 深雪が不愉快そうに眼の下に皺を刻んだ。


「何の根拠も無く。無礼であろう」


「無礼はどちらか。女東宮を軽んじ、ご即位よりも先に婿をなどと!まずご即位があってからの婿取でありましょう」


 声を荒げて言い募る野茨。

 応じようとした深雪を制し、榠樝は扇を鳴らした。



「そこまで」



 両者はぴたりと黙り、頭を垂れる。


「その件は今話すことではあるまい。検非違使別当、何の根拠もなく摂政を取り調べるわけにもいかぬ。何か証拠なりあるならば別だが」


 榠樝はちらりと摂政を見遣る。



「無かろう?」



 静かな湖面のような表情で摂政は榠樝を見、野茨を見た。


「ございませぬ」


 唸るように野茨は答えた。



「であれば、此度は控えよ」



「は」


 悔し気な野茨。


「だが、そなたの献身、嬉しく思うぞ。これからも頼む」


「ははっ」




 両者が下がって、けれど蔵人頭がそっと榠樝の傍に控えた。


「頭中将、何か言いたげだな」


 彼は蔵人頭と右近衛中将を兼任しているため、頭中将と呼ばれることが多い。

 菖蒲家当主紫苑(しおん)の異母弟、霜野(そうや)



「畏れながら女東宮、私も検非違使別当どのと同意見です」



 榠樝は扇の端でかりかりとこめかみを掻いた。


「うーん。そなたもか」


「蘇芳家は摂政さまを筆頭に、女東宮のお力を()ごうと目論(もくろ)んでおるように思います」


「証拠も無く人を疑ってはならぬ、と父上なら仰せだろう」


 ぐっと言葉に詰まった霜野に、だが、と榠樝は続ける。


「心配してくれているのだろう。感謝している」


「畏れ多いことにございます」


 だがしかし、と榠樝は思案する。


「色々と考えなくてはならんだろうな」


「我ら菖蒲がお守り申し上げます」


「うむ。心強いぞ」




 とはいえ、今回の毒殺未遂は結局誰が黒幕かはわかっていない。


 蘇芳家か、或いは蘇芳家に濡れ衣を着せるべく黒鳶家、菖蒲家が動いたか。


 はたまた全く別の者か。




 疑おうと思えばどこまでも疑えてしまう。




「手を打たねばならんな」


 ぽつりと零れた呟きに、霜野は深々と頭を下げた。

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