六
拝謁の儀式は含元殿で。
虹霓国一行は遂に五雲国王玄秋霜に謁見した。
高座は遠く、冠には真珠の玉簾が掛かっていて顔は見えない。
わかるのは、身に纏ったきらきらしい衣がまるで光り輝いているかのように見える事くらいか。
このきらきらしさは五雲国の繁栄と文化の豊かさを象徴し、外国使節に対して五雲国の威光を誇示する重要な役目を果たしているのだろう。
高座への両側にはずらりと官や護衛が並び、こちらの一挙手一投足に目を光らせている。
圧迫が凄い。
菖蒲紫雲英はこっそりと息を呑んだ。
五雲国の礼である跪拝のやり方は間違っていなかっただろうか。
身に付けた衣装はおかしなところがないだろうか。
視線をどこに向けたらよいだろうか。
まるで初めての昇殿の時の様に落ち着かない。
使節団の長官である月白凍星が儀礼的な口上を仰々しく述べているのを半ば上の空で聞きながら、紫雲英は唇を噛んだ。
「遠路はるばるご苦労であった」
決して声を張っている訳ではないだろうに、五雲国王の声はよく通る。
雄々しくも麗しい、毅然とした声だ。自然と目が吸い寄せられる。
これが女東宮榠樝を望んだ男の声か。
この声で愛を囁き、掻き口説いたのか。
忌々しさが腹の底からじんわりと湧き上がるのを抑えて、紫雲英はゆっくりと息を吸い、吐いた。
五雲国王の返答はまだ続いている。
王の徳を説き、虹霓国の誠実さを尊び、両国の調和を謳う。
お為ごかしだ。
本当は、目の前の兎に喰らいつきたくて仕方が無い、狼のような心持ちだろうに。
だが、そうさせないために。紫雲英は五雲国まで来たのだ。
虹霓国を守るため。榠樝を守るため。
紫雲英は改めて強く心に誓う。
必ず、守って見せると。
儀式は終わり、宴の時が来る。
宮殿内の大広間。
精巧な装飾が施された柱が立ち並び、金箔を使った壁画が飾られ、輝くさまは目に痛い。
絹や絵画で彩られた屏風、見たことも無い花々が飾られ、おそらくはこれから運ばれてくる料理だろう、食欲をそそるような馨しい香りが嫌味でない程度に漂ってくる。
五雲国王玄秋霜は一段高い座につき、その周囲を高官が囲み、次いで虹霓国使節長官である月白凍星がつく。その隣に副官である菖蒲紫雲英が座った。
ゆったりとした楽が流れ始め、その音に乗るように料理が運ばれて来た。
卓上に所狭しと並べられていく、今までの宴で饗されたものよりも数段豪奢な料理。
虹霓国ではあまり食されることのない肉料理から魚料理の皿が置かれ、精巧に飾り立てられた野菜や豆腐の皿が並べられ、麺類や饅頭が供された。
軽食である点心、餃子や春巻きのようなものから、幾種類もの羹、果物が並び、美しく輝く酒器が並んだ。
給仕の女官、宦官たちが忙しなく行き交うが、その様子も優雅であり少しも見苦しくない。
紫雲英は目の前に置かれた大皿の肉料理が気になった。
どうやら花の形に作ってあるのだろう。薄く切った肉片に、つやつやとした餡が掛かっている。
「月白大納言さま、あれは何でしょう」
給仕の女官が軽く膝を曲げ、紫雲英に向けて礼を取った。
頷いて発言を許すと料理の説明をしてくれた。
羊の肉らしい。
「ひつじ、とは」
凍星が苦笑する。
「来る途中に大群で、ふかふかした毛皮の家畜が居ただろう。あれのことだ」
「……ああ、あの」
「食してみるがいい。先日の宴で私も食べた。なかなか個性的な味がするぞ」
「はあ」
取り分けて貰った肉片を丁寧に箸で割き、紫雲英が口に入れる。
ほろりと解けるように口の中に香りが広がった。独特の匂いに少し違和感を覚えたが、塩味が利いていて悪くない。鼻を突く刺激は胡椒だそうだ。
「苦手なら、我らも馴染みの鳥があるが」
「いえ、大丈夫です。美味しい、と思います。たぶん」
初めての味に瞬きが多くなった紫雲英だった。
凍星は蒸し魚と干し貝柱の羹が気に入ったらしい。
紫雲英の向かいに座った王族の青年が、にこりと杯を掲げてみせる。
「お気に召しましたか、虹霓国の方」
「はい。ありがとうございます」
「それは良かった。甘いものもありますので、どうぞ召し上がれ。ええと、副官の方、失礼ですがお名前を何とおっしゃったか……」
「菖蒲紫雲英と申します。菖蒲が姓で名が紫雲英です」
「玄曙草と申します。王の弟にあたります」
お互い杯を掲げ、一礼。
「見た所、私と年齢も近そうだ。仲良くしてください、紫雲英どの」
「恐れ入ります、曙草さま」
紫雲英は目の前の曙草をそれとなく観察した。
少し着崩した衣装が却って洒落て見える王弟、曙草。
後にわかったことだが、王秋霜には異母兄弟姉妹が二二人も居るのだそうだ。
きな臭い話になるが、玄王室は中々複雑奇怪らしい。
前王秋桜に謀反の疑いを掛けられ、秋霜は処刑されそうになるも無実を証し、逆に兄王である秋桜の陰謀を暴き、自死に追い遣った。
後継は王弟の秋霜派と、兄王の子である幼い王太子派に真っ二つに割れた。
結果は秋霜派の圧勝。
王太子派は粛清され、王太子は命こそ救われたものの辺境の宮殿へ母后諸共追い遣られたという。
五雲国では争いに負けた側は粛清されることが多いようだ。
「兄上についた私の眼は確かだったのですよ」
何でもないような表情で、紫雲英は杯を干した。
手が震えていたのを気付かれなければいいのだけれど。
宴席の世間話にしては血生臭い。
これも脅しの一つだろうか。
それとも。
「曙草、口が軽いぞ。慎め」
秋霜が弟を低く窘め、一瞬だけ冷たい風が吹いた気がした。
「これは失礼を。お客人、どうぞお気を悪くなさらないでくださいね」
肩を竦めて笑って見せる曙草に、紫雲英はぎこちなく頷いた。
「どうやら五雲国は、王派と貴族派に分かれているようだな。そしてそれぞれの派閥も一枚岩とは言い難い。いや、どこの国もそんなものか」
凍星と紫雲英を始め虹霓国使節団の面々は、得た情報をそれぞれ照らし合わせる。
「世界征服を目論んでいるのは当然のこととして常識となっているようです。五雲国が諸国を平らげていくことを、素晴らしいことだと皆が口にする」
「そうでなければ、五雲国宮廷では生きていけないのでは?」
「いやしかし、王に反発する者も、征服は正しいことだと思っているように見受けられます」
「さて置き、現王は王位を簒奪したようですね」
「前王が弟の才を疎んで謀ったと聞いたが、どうやらその辺りも色々あるようだ。はめたのはめられたのと、盛んに囀っていた」
「甥である王太子も母后も命は助けたので、現王は慈悲深いということらしいが、その他の者は悉く誅殺されたらしい」
使節団の一人である神祇官の若者、淡香久利が深く苦く吐息を零した。
「この国では、いとも簡単に血が流されるようですね」
軽く頭を振り、久利は唸る。
「宮廷に怨嗟の声が満ち満ちている。気を抜くと怨霊たちに取り殺されそうです」
「そんなにもか。私には寒気くらいしか感じられんが。だが渦巻く怨霊ならば、我が国の朝廷とてそれほどに他人事では無いのでは?」
凍星に久利は青い顔を向けた。
「否、密度が違います。まるでここは根の国の深淵、嘆きと恨みとが煮詰められた瘴気の淀む場所。派遣されたのが私程度の能力者で良かった」
人ならざる力を詳細に感じ取れる感覚の持ち主で無かったことを、嬉しいと思ったのは初めてかもしれない。
久利は涙の滲む声でそっと零した。
「早く虹霓国に帰りたいと存じます」




