五
五雲国首都康安。
五雲国の首都であり、それよりはるか昔、霄漢国の頃よりの古い都である。
虹霓国の王都天雀、旧都渚鳥はこの康安を手本にして作られた。
康安は碁盤の目のように整然とした道が通り、周辺を広大な城壁で囲まれている都城である。
四方に十二の城門が設置され、守りは堅い。
中央を朱雀大路が南北に貫き、東西に大市場が配置されている。
北部には王の居所である宮城が三か所あり、康安の三内と呼ばれる一角を成している。
その内の一つ大明宮の含元殿が政治の中心地である。
虹霓国内裏の清涼殿に当たる部分と言えるだろう。
作りだけなら城壁以外は虹霓国の天雀と変わらないが、規模は三倍ほどだろうか。
賑わいの度合いが桁違いだ。
まだ早朝であるというのに、彼方此方から詩を吟じる声や琵琶、琴、笛などの音が響いて来る。
市場を準備する商人たちの掛け声が飛び交い、また聞いたことも無い異国の言葉も耳に届く。
「如何ですかな、我が康安は」
湊若月は雰囲気に圧倒された菖蒲紫雲英を見、得意げに胸を反らせた。
道中は慣れぬ神威に怯えた様子だったが、康安についた途端に調子を取り戻したようだ。
此処は人の都。
神威の欠片も見当たらない。
だが何という賑わいだろう。
見たことも無い服装の人々が行き交い、見たことも無い料理を振舞う屋台がひしめいて、風が食欲をそそるような馨しい香りを運んで来る。
「これが、五雲国の都か」
月白凍星も流石に息を呑んだ。
「康安は世界一の都でございますれば、各国の珍しい品々も扱っておる店もあります。後程ご案内致しましょう」
虹霓国使節団は迎賓館である麟徳殿に通された。
その際にも非常に豪勢な迎労の儀式が催され、その熱も冷めやらぬ内に次の儀式、王への謁見が許される日を伝える儀式が行われて後、盛大な宴が催された。
まるで怒涛。
凍星が苦々し気に唸る。
「こちらを圧倒しに掛かってきているな」
ぐったりとした紫雲英が頷く。
「八割がた、威圧を目的としていると存じます」
虹霓国でも儀式は多いし、豪勢な宴席も開かれるが規模が違う。
異国の荘厳華麗な音曲に息を呑み、広間を横切るように長い卓に所狭しと並べられた豪勢な料理に目を奪われ、煌びやかに飾り立てた舞人たちの舞踊に気圧された。
そして何より建物。
「虹霓国に設ける迎賓館も、このような形が望ましいのでしょうか。靴を履いたままで入る建物が五雲国においては一般的なのですね。」
紫雲英が天井を仰ぐ。
麟徳殿は南北方向に前殿、中殿、後殿が接するように並んでいる豪奢な造りだ。
床は大理石という光沢のある石を敷き詰めてあるのだという。
「しかし派手だな」
椅子に身体を預け、うんざりとしたような凍星の有様に、紫雲英は申し訳ないと思いながらも笑ってしまった。
「月白大納言さまは過剰に麗々しいもてなしは好まれませんか」
「好かぬな。もはや華美を通り越して毳毳しいのだ。だが、五雲国の茶は流石に美味い」
紫雲英もそこには心から頷いた。
「女東宮もお気に召すのではないでしょうか。是非とも土産にしたいものです」
凍星は目を細める。
「恋でなくとも」
呟くように言葉が零れた。
「そなたにとって一番大切なのは、女東宮のことなのだな」
紫雲英が澄んだ双眸を凍星に向ける。
そこに一点の曇りもなく。
紫雲英は静かに頷いた。
「はい」
恋ではないかもしれない。
けれど好意と敬意とは確かにある。
忠誠とも少し違う。
献身し服従するのは当然のこと。
紫雲英は榠樝に誠実な心を捧げている。
二人の関係は決して対等ではないけれど、友情に近いのだろうか。
良い為政者でありたいと願う、同じ心を持つ同志。
共に歩む者。
盲目的ではない愛があるように、凍星には思えた。
「もうすぐ、五雲国の王に謁見が叶うな」
「はい」
「そなたは心配ないとは思うが、念の為に言っておく。喧嘩は売るな」
暫く沈黙が満ちた。
紫雲英が眉間に皺を寄せる。
「月白大納言さまは私を何だと思っておられるのですか」
「畏れ多くも女東宮の婿がねの一人、それも筆頭だと思っている」
紫雲英が言葉に詰まった。
「血気盛んな若者は、時折暴走するからな。念の為だ」
そう、筆頭。
女東宮榠樝の配偶者の座に最も近い男。
誰よりも信頼厚く、誰よりも近しい。
「女東宮大事のあまりの軽挙は慎むべきだ。無論そなたはどこかの浮ついた輩とは違い、分別のつく若者だとは思っている。しかしここは虹霓国ではない。何が起こるかわからぬからな。決して、挑発には乗るなよ」
紫雲英は胸元の護符をそっと握る。
掌に感じられる榠樝の想いは温かい。
「心得て、おります」
「ならばいい。我らの失態は虹霓国の非となり、女東宮の害となる。一つの取り零しも許されないのだ」
「月白大納言さまは」
紫雲英の心にふわりと疑問が湧いた。
「女東宮に格別の思いを抱いておられるのですね」
眉を寄せた凍星に紫雲英は言葉を足す。
「忠誠だけではない、恩義のようなものを抱いておいでですか」
凍星はそっと睫毛を伏せた。
「我が末の息子が女東宮のお計らいで命を取り留めたのだ。御恩など、この身を賭しても到底足りぬ」
暗雲に閉ざされていた月白家の闇が晴れ、多くの命が救われたことを知るものは少ない。
だが、六花の為、榠樝が自らの分の薬草を下賜したことは紫雲英もよく知っている。
頷く紫雲英に、凍星は少し笑った。
きっとこの若者が思うよりずっと。
女東宮榠樝の為に、すべてを捧げている者は多いのだろう。
恋ゆえに。
恩ゆえに。
それぞれ抱くものは違っているけれど。
最初は憐憫と同情の眼差しさえ向けられていた頼りなげな少女が、まさかこれ程の器であったとは。
きっと摂政蘇芳深雪ですら思い至らなかったことだろう。