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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第八章 五雲国へ
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 月日は巡り再びの春。




 静けさの中に命の芽吹く季節がやって来た。

 風の中に冬の寒さの名残はあるが、淡い陽光は柔らかく降り注ぐ。

 雪解け水が密やかに走る音が耳に心地よい。



 ふきのとうが、もったりと土を持ち上げて顔を出す。

 梅はひと足先にと馨しく咲き誇る。白に、紅に。

 山々にはまだ雪が残り、吹き下ろす風は冷たいが、小鳥たちは賑やかに囀って。




「お目覚めあれ」

「お目覚めあれ」




 女房らがかたかたと格子を上げていく音と、ぱたぱたという足音、衣擦れの音が響いていく。

 榠樝(かりん)は伸びをして御帳台(みちょうだい)から這い出した。



「朝か」



 昨日も遅くまで書き物をしていた所為(せい)で、まだ少し眠い。

 堅香子(かたかご)山桜桃(ゆすら)角盥(つのだらい)と手布を持って控える。

 顔ごと突っ込みたい気分だ、と榠樝は思った。



「お止めくださいませ」

「まだ何も言っておらぬ」



「お顔に書いてございます」

「そうか。見られたか。ならば仕方ない」



 欠伸を堪えつつ顔を拭き、髪を梳かされ、身形を整えていく。

 鏡の前、ゆっくりと目を開ければ、完璧な虹霓国(こうげいこく)女東宮(にょとうぐう)がそこに居た。




「完璧でございますわ」

「本日もご使者どのとの対面がございます」



 五雲国へ同盟を求める旨の親書を送ってすぐ、返書があった。



 曰く、前向きに対処する。





 それからは何度文書の遣り取りをしただろうか。

 とにかく話し合わねばならないことは山と有って。

 五雲国からの使節も頻繁に訪れることとなった。



 それにより黒鳶夕菅(くろとびのゆうすげ)が案を出した外交施設の建設も始まっている。

 名は遣外館(けんがいかん)に決まりそうだ。わかり易くて良いとのこと。




 朝餉(あさげ)もそこそこに榠樝は清涼殿(せいりょうでん)昼御座(ひのおまし)へと向かった。

 摂政(せっしょう)蘇芳深雪(すおうのみゆき)は既に控えていて。


 榠樝はゆっくりと座についた。深雪が深く(こうべ)を垂れる。




「女東宮、本日は紫宸殿(ししんでん)までお出まし頂きます」

「うむ」



 榠樝は既に二度ほど紫宸殿の南庭にて、五雲国(ごうんこく)の使者と対面している。

 無論御簾越し、声を聞かせないなど様々な制約はあるものの、女東宮との対面という破格の扱いをしている訳で。



 虹霓国側としては、実に前向きに五雲国との同盟を検討している。



 次はこちらからの使者を五雲国へ遣わすことになっている。

 誰を立てるかも問題だが。



「摂政、五雲国への使者の長官(かみ)の件だがどうなっておる?」



 深雪が頭の痛い顔をした。



「難航しておりますな」

「誰でもよいという訳にはいかぬからな」


「と、申しますより、」



 深雪は甥の表情を思い出し、眉間を押さえる。



「どうした?」


「実に頭の痛い問題でございまして。以前、恋に狂った男は何をしでかすかわからぬと申し上げましたことを、覚えておいででしょうか」



「うん。珍しいことだったのでな」

「まことに……まことに何をしでかすかわかりませぬな」



 盛大な溜め息。

 榠樝は少し黙った。



「……もしかして、紅雨(こうう)か?」



 恐る恐る口に出した榠樝に、深雪は静かに首を振った。



「だけではございませぬ」








 女東宮に恋する男の顔を見てやろうという気概でか、相次いで使者に名を上げる婿がねたち。



「そも、王に謁見できるとも限らぬのだぞ」

「しかし父上、ここは私が行かねばなりますまい!」



 父、躑躅(つつじ)に噛み付く勢いで紅雨は手を挙げるし、紫雲英(げんげ)は紫雲英でやる気である。



「やはり女東宮に相応しいかを判断するには、会わぬことには始まりませぬ。私が見定めなくては」



 などと言って父、菖蒲紫苑(あやめのしおん)を嘆かせているし。



「バカか、お前が行って何ができる。身の程(わきま)えろ。国の使者だぞ!喧嘩売りに行くんじゃないんだぞ!」


「でもさ(たちばな)兄上、やっぱ恋敵の(ツラ)くらい拝んでおきたいじゃん!」


「その意気だ茅花。行ってこい」


南天(なんてん)は黙ってろ。ややこしくなる」




 藤黄(とうおう)兄弟は相変わらずだし。


 珍しいことに縹笹百合(はなだのささゆり)も乗り気だ。



「私ならば、年齢も立場も申し分ないと思うのです。六家の一角をなす縹の次代の当主として、また女東宮の婿がねとして、私が行かねばと」



 普段のらりくらりとかわしている息子の変貌に、父の苧環(おだまき)はにこにこと楽しそうだ。


 何事にも積極的にならなかった我が子が、遂に本気になったか、と月白(つきしろ)家にわざわざ足を運んで嬉しそうに凍星(いてぼし)に語っていったという。



 凍星は凍星で己が使者に立つのもやぶさかではないらしい。



 仮にも六家の当主が使者に立つなど有り得ないだろうが、本人は乗り気である。もしも選ばれたとしたなら、早々に虎杖(いたどり)に家督を譲るつもりでいるようだ。


 黒鳶(くろとび)家は当主夕菅(ゆうすげ)に尻を叩かれ、息子たちが右往左往しているらしいが。







「……そうか、六家の当主、或いは次期当主であるなら、王族でなくとも重要な地位にある者を差し向けたとして、五雲国への圧力に成り得るか」



 ふむ、と頷く榠樝に深雪は嫌そうな顔を向けた。



「次期当主の場合、ご自身の婿がねであることをお忘れなく。つまりは恋敵を差し向けることになりますぞ」



 榠樝は暫し沈黙した。



「……まずいな」

「ええ、とても。血の雨が降るやもしれませぬ。同盟どころではなくなりますな」



「まずいぞ、それはまずい。止めよ」

「それぞれの当主が全力で止めに掛っております。一部を除いて」



「他に丁度良い者は居らぬのか」



 深雪が眉を寄せた。



「縹笹百合が女東宮に想いを寄せていなければ、確かに適任だったのですが、先日、遂に名乗りを上げました故」



 榠樝は袖で顔を覆った。



「恋に狂った若者は、時に何をしでかすか、本っ当にわかりませぬからな」



 深雪は深く深く溜息を吐いた。

 どいつもこいつも恋にうつつを抜かしおって。



「月白虎杖では手に余る。同様に黒鳶花時(はなどき)もだ。冷静であってくれれば紫雲英辺りが妥当だと思うのだが、あれもあれで私の保護者のような顔をしておるから」



 深雪が感心したように頷く。



然様(さよう)。よく見ておられますな」

「婿がねだからな!私の!」



 半ば自棄(ヤケ)になって榠樝は声を張る。



「そなたが二人居てくれたら、一人を五雲国へ差し向けるのだが、生憎一人だけだからな。私の側から離す訳にはいかぬ」



 深雪が静かに頭を垂れる。



「熱烈なお言葉、痛み入ります」

「全くだ」



 榠樝は檜扇(ひおうぎ)()し折りたい気持ちになった。



「そなたがあと二十若かったら、迷わず婿に迎えていたぞ」




「それはそれは」

「鼻で笑うな」



 昔、誰もが婿にと望み、誰も成し得なかった。

 虹霓国一の傑物(けつぶつ)、蘇芳深雪。



「私がもしあと二十若ければ、名乗りを上げていたやもしれませぬな」

「ふん、そなたこそ有り得ぬわ。このような小娘の婿になど冗談では無かろう」



 深雪は少しばかり感慨深い眼をして見せた。



「一年前なら間違いなくそう申し上げましたが」



 僅かに、僅かに唇の端が上がる。



「今や立派な女東宮であらせられます」



 榠樝は一瞬目を(みは)り、次いで花が綻ぶように笑った。

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