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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第一章 空位時代
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 三日後、堅香子(かたかご)はすっかり元の様子で。

 否、元よりもだいぶ気合の入った様子で職務に復帰した。


 傷はまだ痛むという。もしかしたら痕が残るかもしれない。


 すまぬ、と榠樝(かりん)は頭を下げる。


 堅香子は却って名誉の負傷と誇らしげだ。




「不覚を取りました。二度とあのような失態は犯しませぬ。身命を賭して榠樝さまをお守り致します」


「覚悟はわかった。でも無茶はしないように」


 きりりと引き締まった顔で堅香子は榠樝を見上げた。


「何」




「無茶をせねばならぬ時にございます。まさか女東宮の御座所たる藤壺(ふじつぼ)に毒蛇を放すような者が居るだなんて」




 堅香子が放り投げた蛇は無事に捕獲され、その後ひっそりと処分された。


 本来敬うべき存在だが人に害をなすものは別だ。

 殺すのは気が進まなかったが、そうも言ってはいられまい。

 第二の被害者を出すわけにはいかないし、また榠樝が狙われないとも限らない。


 蛇への対処の(かど)で祈祷と祭祀を行わねば。



 また陰陽寮に世話を掛けるな、と榠樝は溜め息を吐く。


 何かと面倒を掛けている自覚はある。特に祈祷の回数。


 本来の業務が滞る程ではないだろうけれど、仕事を次から次へと増やしてしまっている。

 主君たるに相応しくないと判断されないことを祈ろう。




 


 もはや後宮中の誰もが知っていることだが、女東宮が狙われたことは建前上秘密だ。


 何の因果か飛香舎に迷い込んだ蛇が女房を噛んだ、ということになっている。




 毒蛇であることは伏せた。




 たかが蛇一匹に大騒ぎした女東宮。所詮は十四の少女ということ。

 敬うべき蛇に、王たるに相応しく無い態度をとった。

 評点を落とすが仕方がない。


 そういうことにしておくしかない。




 今はまだ。






「私も甘かった。せいぜいが遠回しな圧力だと高を括っていたわ。直接に狙われるとはね」


「思いもよりませんでした。そのように畏れ多いこと」


 この虹霓国(こうげいこく)で毒蛇を入手できるような者は限られている。


 そして、その上で飛香舎(ひぎょうしゃ)に近付ける者となると、容疑者はかなり絞られる。



 だが証拠は何もない。



「これからはもっと身辺を堅く守らねばならないわね。剣術も習っておくべきだったわ。……寧ろ今から習うか」


「お止めくださいませ」

「冗談よ」


 絶対本気だったと堅香子は思う。


「舎人の数を増やしますか」


 榠樝は少し小首を傾げて思案する。


「……誰とも知れぬ者が周りに増える方が怖いわね。顔見知りの舎人たちで固めるように。それと女房達の数も絞るわ。幾人か暇を出しなさい。人選は任せる」


「御意」


「あと、定期的に杜鵑花(さつき)を藤壺に呼ぶことにしたから」


 堅香子が眉を寄せる。


「杜鵑花とは、例の医官でございますね。信用できるのでございますか?地下(じげ)の者にございましょう」


昇殿(しょうでん)の許しは与えた。お前の命の恩人でしょう。傷ももう(しばら)くは見てもらわねばならないし」


「それはそうでございますが」

「私の見る目を疑うの」



 冗談めかした榠樝の目を見、堅香子はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ。ご無礼申しました」


 天賦(てんぷ)の才だろうか、榠樝の人を見る目は確かだ。

 だが流石に百戦錬磨の政治家たちを相手に、そう簡単にはいかない。


「誰が敵味方か、一目でわかれば簡単なのにね」


 どこか寂し気な榠樝に、堅香子はぎゅっと拳を握った。


「大丈夫でございます。わたくしが百人分頑張ります!」


 一瞬呆気にとられ、そして榠樝は声を立てて笑った。


「心強いわ」










 堅香子が寝込んでいた三日の間、榠樝もただ手を(こまね)いていたわけではない。


 典薬頭(てんやくのかみ)には話を通してある。

 お目付け役の堅香子の意識が無い内に、こっそり足を運んだのだ。


 杜鵑花を供に、事の顛末(てんまつ)とこれからのことを相談しに。




 直接こうして顔を合わせるのは実に数年ぶり。

 榠樝が幼い頃、よく咳が止まらなくなった時などに、世話になっている。

 榠樝にとっては祖父のようにも思う優しい老人である。

 あの幼子が大きくなったと涙を浮かべる典薬頭だったが、話を聞く内にどんどんと顔付きが険しくなった。




「そのような顔ができるのね。驚いた」


「大事な大事な榠樝さまに、なんてことをしやがったのだ、輪切りにして喰ってくれる!」


「いや、毒蛇食べたらまずいでしょう、(じい)、ちょっと落ち着いて」


 突っ込むところが色々違うと杜鵑花は思った。


 そもそも蛇を害そうとする辺りからして不敬だが、それを喰おうなどと普通は思わない。

 不敬此処に極まれり。

 王族と典薬頭の会話ではないだろう。



 いや、そもそもがそういう暢気(のんき)な話ではないのだが。



 怒髪、天を()かんばかりの典薬頭の剣幕に、杜鵑花は恐れ(おのの)いている。


 今すぐにでも逃げ出したい。


「まあ、そういう訳だから、暫く杜鵑花を借り受けたい。備えたいのは毒にばかりではないし」


「無論ですとも。腕のいい医官です。人柄も信用もできる。だがどうにも気が弱い所がありましてな。どうぞ鍛えてやってくださいませ」


「だそうよ、杜鵑花。宜しく頼むわ」


 杜鵑花の意思を無視して阿吽の呼吸。

 簡単に貸し借りされてしまった。

 にこやかな榠樝に対し、今にも昇天しそうな杜鵑花。


「ぎょ、御意……」


 なんとか答だけは返した。




「榠樝さま、いえ女東宮。典薬寮は貴方の味方です」


 心からの誠実な言葉。


「ありがとう、爺」


「とはいえ、典薬寮に政治的な力はほとんどありませぬ故、大したお力にはなれませんことが、残念で無念で……」


 榠樝は涙ぐむ典薬頭の手を取り、言う。


「典薬寮は命綱。生命の危機的状況に陥った時、保証があるのは心底ありがたいわ」


「そのような事態は起こって欲しくないものですが」


「そりゃ私も進んで命の危険に身をさらしたくはないわねえ」


 からりと笑って榠樝は言う。


「直接的な害意に対抗策があるとわかっているだけでも、とても、とても心強いのよ」









 飛香舎まで帰る道々、杜鵑花は不意に足を止め、ぽつりと呟いた。


「正直不安です。私で女東宮をお守りし切ることができるのか」


ちらりと隣に目を遣って、榠樝は前を向き歩き出した。

杜鵑花もそれに従い再び歩き出す。


「お前の役目は私の命を守ることであって、直接的に守ることではないわ。何かの時に力を尽くして頂戴(ちょうだい)


 大内裏を歩いている今でさえ、擦れ違う者が刺客でないかと杜鵑花はびくびくしているというのに、榠樝は平然と歩いている。


「堂々としていれば、意外と発覚(バレ)ないものよ。向こうが勝手に女官の一人と思ってくれるし。捕まった時は女東宮さまのお使いでどこそこへ、と言えばそれで済む」


 実際にやったことがある榠樝である。

 なんと榠樝を女東宮と知らず親しくなった舎人までいるという。


「ご本人がまさか白昼堂々忍び歩いていらっしゃるとは思いませんよね、誰も」


「堅香子の目がある時はできないのだけどね」


「堅香子さまの経過は順調です。明日にも起き上がることができるかと」


「よかった。あのお小言聞かないと調子が狂うのだわ」


 冗談めかした榠樝に、杜鵑花は控えめに笑みを返した。





 そして更に数日。

 大事件が勃発する。

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