三
「まあ、要するに、呪詛返しの応用だね。棕晨星どのに術を掛ける。そうすると夢渡の法が効かなくなって、向こうからは死んだように見えるワケ。外見もね。変装しちゃえば完全に別人だよ。付け髭でもしてさ。この護符を襟に縫い付けて肌身離さずにいてね」
仕組みを説明してもわからぬだろうと賢木は言った。
陰陽道の技と神仏の御業を組み合わせてどうにかするのだそうだ。
「ですが賢木どの、わたくしは前王を殺めたも同然。女東宮の仇にあたるのですぞ」
「私だって女東宮に毒を盛った張本人ですのよ」
堅香子が鋭く冷たい視線を浅沙に突き刺した。
「わたくしは島流しにでもするのがよいと申し上げたのですわ。摂政どのも死罪を復古するのもやぶさかではないと仰いますし。ですが女東宮が、誰にも死んでほしくないと頑なに仰るから」
今まで黙っていた山桜桃が、そっと口を開いた。
後から知らされたことに怒ってはいたが、納得はした。
堅香子だけを使いに走らせると、すべて台無しにしかねないと思ったのもある。
「女東宮は皆さまが抜けた後をもお考えです。月白家が没落するのはしのびないというだけではなく、六家の一角が落ち、国力が衰退することをご心配なさっております。また、浅沙どのが抜けた内侍所の運営も」
堅香子がつん、と顎を反らせる。
「不本意ながら、貴方は結構使える掌侍ですわ。貴方が抜けた後、胡乱な者が入り込んできては困るのです。それこそ五雲国の息の掛かった者が入らぬとも限りませんしね」
「となれば、改心した浅沙どのに引き続き掌侍を務めて頂いた方が安心」
「改心しなければ六花どのを人質に取ると仰せでしたわ」
凍星と浅沙、棕晨星が皆ぎょっと目を剥いた。
山桜桃は嫣然と微笑んだ。
「ね、言うことを聞いておいた方が良いでしょう?」
凍星が今度こそ涙を堪えて笑い出す。
「傑作だ。御父上以上なのではないか?」
堅香子がつんと顎を上げて胸を張る。
「当然です。榠樝さまは素晴らしい御方なのですわ」
ひと悶着はあった。
が、浅沙も棕晨星も受け入れ、改めて榠樝への忠誠を誓った。
山桜桃は思う。
こんなにも多くの者に知られて、秘密が守られる筈もない。
きっと遠からず、摂政蘇芳深雪の耳には届く。
けれど、と山桜桃は睫毛を伏せた。
深雪はきっと見て見ぬふりをしてくれるだろうと、榠樝は考えているに違いない。
山桜桃は溜め息を吐いた。
甘過ぎる。
甘過ぎて吐き気がしそうだ。
誰かが口を滑らせればすべて終わるのに。
自身の首をも絞めるというのに。
榠樝は、彼女は、信じていると言うのだろう。
皆を。
山桜桃を含めた腹心を。
そして深雪を。
甘過ぎる。
「だからこそ私がしっかりと守って差し上げなくてはならないのだわ」
堅香子が振り返る。
「何か仰って?」
山桜桃は首を振る。
「いいえ、何も」
そして、間も無く。
五雲国からの使節が再び都に到着する。
五雲国からの書状の内容は最後通牒であった。
曰く、女東宮を差し出さねば攻め込む。
使者は前回と同じ菱雪渓。
返答の期限は特に設けられてはいなかったが可能な限り早く、とのことだ。
もう二段階くらい踏んでも良いだろうに、と榠樝は思うが様々な事情もあるのだろう。
当然のこと、御前定は大いに荒れた。
受け入れる訳にはいかない。
だが戦をしても勝ち目はない。
下手をすれば虹霓国は焦土と化す。
「万が一に賭けて龍神さまのご加護を願ってはどうだろう」
そう口にした公卿は摂政蘇芳深雪の鋭い視線に撃沈。
確かに榠樝に加護はある。
この度、御前定の場で明かしたため、やはり場は大きく揺れた。
勿論歓喜の声でだ。
「確かに我が身に龍神の加護は宿っているが、思い通りに嵐を呼んだりできる訳ではないのでな。五雲国からの戦船を大昔の伝承のように沈めるのは無理ではないかな」
ただ、と榠樝は言葉を続ける。
「龍神の加護を盾に強く出ることはできよう。万が一五雲国から戦船が押し寄せたならば、加護の力を以て一隻残らず沈めてみせると嘯く」
「なるほど。はったりとしては悪くないですな」
深雪の同意を取り付け、鬼の首を取ったような気持ちになる榠樝だった。
つ、と月白凍星が手を挙げた。
「まずは外交的解決策を模索すべきでしょう。虹霓国として最初にすべきは、戦を避けるための外交的交渉です。女東宮を直接差し出すことなく、代替案を提示することで、五雲国の要求を和らげる可能性を探るべきです」
尤もなことだ。黒鳶夕菅が続ける。
「代替案の提示が肝要ですな。例えば、婚姻以外の同盟条件を提案するとか。または経済的な利益や領土譲渡など、五雲国の欲求を満たす別の取引を提案致します」
公卿の一人が首を振る。
「そうは仰るが、代替案など簡単には思い付きますまい。領土と言っても我が国は五雲国より遥かに狭く、差し出せるとしても地方の島くらい。経済的にもそれほど旨味があるとは思えませぬ」
夕菅は声を張った。
「ですが女東宮を差し出すなど、天地が引っ繰り返ったとしても有り得ませぬ!」
榠樝は少し首を傾げる。
「そもそも、五雲国が我が虹霓国を欲する理由はなんだ。龍神の加護か」
「単に領土の拡大を図って居るのではないでしょうか。世界征服とか」
藤黄南天が呟いた。
「そういや霄漢国は世界を従えていたんだっけ」
霄漢国は五雲国の前の前に栄えた王国で、当時世界の中心であったと言われている。
現在もその影響は大きく、霄漢国の文字である漢字を使っている国は数多い。
「霄漢国の再来を図っていると?」
黒鳶野茨が問い返し、南天が頷く。
「かもしれないってことです」
菖蒲紫苑が発言する。
「戦の準備のための時間を稼ぐために、五雲国との交渉を長引かせることも一つの戦術ではございます。その間に国防を強化し、連携できる他国と同盟を結ぶことができれば、五雲国も容易に攻め込めなくなるかもしれません」
蘇芳銀河が冷たい視線を投げた。
「連携できる他国などどこに。光環国は滅びましたぞ」
だが、と榠樝が続けた。
「光環国の力の一部はそのまま我が国に組み込めたと主張はできる。亡国の王女自ら協力すると申し出てくれた」
ソナムは現在北の大宰府に戻り、北部の復興と海防の両方に力を注いでいる。
軍事力に弱みがある虹霓国としては大きな利点となった。
縹苧環が発言した。
「再検討をお願いしたいとして、交渉を少しでも引き延ばすのが肝要かと。女東宮を差し出すにしても、五雲国に対して非常に厳しい条件を要求し、実現が困難な状況を作り出すなど、小細工も効果を出しましょう」
「口先だけであっても女東宮を差し出すなど、こちらが提示してはならぬと思います」
藤黄橘が厳しい表情で止める。
「それに厳しい条件といっても具体的にどのような?領土割譲の要求とかですか?」
段々と喧嘩腰になっていく議論に、榠樝が頭中将菖蒲霜野にちらちらと目配せをする。
霜野はひとつ咳払いをし、注目を集めた。
「皆さま、ひとまずは冷静になるため、一旦休憩と致しませぬか」
「時間は無いのだぞ!」
叫んだ公卿に深雪が一喝した。
「なればこそ、冷静にならねばならぬ。一旦休憩。皆下がれ。一刻後に再開とする」