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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第七章 対決の時
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 そして朝。


 けたたましい足音に起こされる。




「一大事でございます!!」




 摂政、蘇芳深雪(すおうのみゆき)が冠を揺らして飛香舎(ひぎょうしゃ)に走って来た。


 まだ格子も上げていない早朝。あの折り目正しい男が、走ってやって来た。




 非常事態に他ならない。




 慌てて場を設える堅香子(かたかご)山桜桃(ゆすら)もきちんと装束を着られていない。

 取り敢えず引っ掛けて来た状態なのだろう。




「どうした。何があった」




 榠樝(かりん)は取り敢えず(ふすま)(掛け布団)を引っ掛けて御帳台から這い出す。




「お出まし頂かなくて結構。早朝より大変ご無礼仕ります。用件のみ申し上げます。五雲国(ごうんこく)より使節が参りました。昨夜南の大宰府(だざいふ)に到着した模様」




 御簾(みす)の向こう深雪が平伏する。




「詳細はいまだ不明。ですが恐らくは前回と同じような書状を持ち来たかと存じます」




「来たか」




 榠樝は低く呻く。




「十日と少ししか猶予は無いな」




 南の大宰府から都までは片道十四日程かかる。

 緊急時の早馬で四日から七日と幅があるがその程度の距離である。




「足止め致しましょうか」




「いや、下手に藪をつついて蛇を出すのもまずかろう。先日と同じような書状ならばよし、そのまま返そう。しかしもしも更に威圧的なものだった場合の対応を図らねばならぬ。御前定の用意を」




「御意」




 呼び出した月白凍星(つきしろのいてぼし)と会うのはその後だ。




 榠樝は寝癖の付いた髪を掻き乱し、唸る。




「ええい、なんでこういう時に限って出て来ない」




 夏彦が夢に現れる兆しはない。

 いっそ麝香を焚き染めて寝てみるか。


 榠樝の腹の上で寝ていた万寿麿は、放り出されてご立腹だ。

 がりがりと御帳台の柱を引っ搔いている。




 荒んだ心が洗われていくような可愛らしい仕草だが、今日は別の所で寝てもらおう。
















 五雲国からの無理難題に備えるようにと深雪の言葉で御前定は終わる。




 凍星は静かに飛香舎に向かい、廊下の端に控えた。




「入るが良い」




 榠樝が促し、堅香子がそっと席を設けた。


 榠樝と凍星と、控えるのは堅香子だけ。

 他の者は下がらせた。



「お心遣い痛み入ります」



 凍星が平伏し、榠樝は静かに頷いた。



「すべて、承知した」



「は」




「その上でそなたに申し付ける」



 榠樝は檜扇(ひおうぎ)を開き畏まった声で告げた。



「すべて忘れた、と心得よ」



 凍星は弾かれたように顔を上げた。



「し、しかし女東宮」


「読んだが忘れてしまったのだから仕方が無いな。どうにもできぬ」



 堅香子は目を細め、凍星の一挙手一投足を見逃さぬように息を詰めた。



「全て書き連ねてございますれば、そのようなこと、決して許される訳には」



 榠樝はぱらりと火桶に紙を投じる。


 それは凍星の書いた文で。




 パチパチと音を立てて炎が上がった。






「証拠など、無いな」






 脆く崩れ去るかつて紙だったもの。

 燃え滓が僅かに黒く舞い上がり、灰に落ちる。




「さて置き月白大納言凍星。五雲国より使節が来たからには、これまで以上の働きを期待しているぞ」




 ざくざくと火桶に箸を突き刺して、榠樝は跡形もなく痕跡を消し去った。


 榠樝はまだ狼狽(うろた)えている凍星にそっと語り掛けた。



「父上も、同じことをすると思う。理由が私と同じかは、わからないけれど」



 凍星の顔を真っ直ぐに見て、榠樝は言った。



「私は許さないし、赦せない。だが()()()()()()()()だろう」


「それは、」



「国益を考えて、その方が得だと思うからな。六家の一角を今、この不安定な時期に失う訳にはいかない。それと同時に得難い力を削ぐのも愚かだ」



 堅香子がそっと凍星に囁いた。



浅沙(あさざ)棕晨星(しゅしんせい)共に見逃すと仰せです」



「有能な人物を二人も失うのは損失が大き過ぎる。見逃すべきだ。……と、ただの榠樝ならば申すだろう。なにしろただの小娘だからな」



 凍星は泣き笑いのような表情で声を絞り出した。



「あなたは、甘過ぎる」



「これでも損得で考えた結果だ。感情に走れば虹霓国そのものが揺らぐ。恩を売っているのだぞ。精々励め」



 凍星は平伏し、暫く額づいたままだった。



「ああ、もう。泣くな。二人には堅香子を使いに出す。伝えてくれ。月白邸に居るのだろう?」



 堅香子は嫌そうに口を歪めたが、御意、とのみ言い頭を垂れた。
















 使いには朱鷺賢木(ときのさかき)も連れて行けとのことで、呼び出された賢木は面倒くさそうに頭を掻く。




「僕は何でもできる訳じゃないって言ったよね」

「無礼者!」



 堅香子が投げた檜扇を華麗に避け、賢木は首を捻る。



「それに、上手く行く保証も無いよ」



 榠樝は頷き、真っ直ぐに賢木を見据えた。



「それでも賢木、私は誰にも死んでほしくないの。誰も死なせたくないの」




 傲慢でも自己満足でも。

 生きていてほしい。




 道が無いなら作るしかない。

 壁があるなら迂回するなり壊すなりする。



 それもできないのならよじ登るまでだ。




「仕方ないな」


 面倒くさそうに、けれどどこか嬉しそうに、賢木は笑って見せた。


「それじゃあ腕の見せ所だね」




 賢木が何を頼まれたかは月白邸で明らかになる。
















 女東宮の文を託され、堅香子、山桜桃(ゆすら)杜鵑花(さつき)、賢木とが月白邸へ向かった。



「女東宮のお使いで参りました」




 堅香子が宣言し、文箱を恭しく掲げ廊下を進む。

 凍星は平伏し、一行を待っていた。


 その脇には棕晨星と浅沙が同じく平伏し、控えている。



「お待ちしておりました」



 凍星が顔を上げ、堅香子を見上げた。

 堅香子は上座につき、文箱の紐を解く。



「女東宮よりのお言葉を申し伝えます」



 はらりと雪が一つ舞った。





 堅香子は粛々と文を取り上げ、目を落とし、吐息を零した。



「誰も死ぬな。との仰せです」



 その場は暫し沈黙に包まれた。




 ふわり、ふわりと天から雪が降りて来る。

 棕晨星は目を閉じ、浅沙は眉間を押さえている。



「堅香子どの……?」



 なんとも表現しがたい微妙な表情の浅沙に、堅香子は溜め息を堪えて再度告げる。



「申し伝えた通りです。誰も死ぬな。ついては良い策を思い付いたのでそれを送る。良きに計らえ。とのことでございます」



 杜鵑花が苦笑を堪えた。


 堅香子は、正直怒鳴り散らしたい気持ちを力の限りの自制心で抑え込んでいるのだろう。

 眼の下が引き攣っているのが見て取れる。



 後で気分が落ち着く薬湯を淹れて差し上げねば。

 そんな杜鵑花を背に、賢木がひとつ膝を進めた。



「良い策って言うのは僕が説明するよ。耳の穴かっぽじってよく聞いてね」



 浅沙が眉間の皺を深くし、堅香子を見る。

 堅香子は肯いた。



「態度に問題はありますけれど、これで間違いなく女東宮の腹心ですから御安心なさい」



 流石の浅沙も声を荒げる。



「そういうこと以前の問題ではありませんか?」




 堅香子が鼻の頭に皺を寄せた。

 そろそろ堪忍袋の緒も限界のようだ。


 堅香子は一つ息を吸うと、キッと(まなじり)を吊り上げ一気に捲くし立てる。



「わたくしだってそう思いましてよ!そもそもわたくしは貴方が許せませんわ!(くだん)の騒ぎの後に女房が一人、頓死(とんし)致しましたでしょう。あれも手を下したのは貴方ではありませんの?!」



「あ、あれは私とは一切関係ございませんわ!本当に頓死ですもの。驚いたのはこちらですわよ」


「何ですって、虚譚(うそ)ではございませんわよね?!」



 言い合いを始めてしまった堅香子と浅沙を尻目に、杜鵑花が棕晨星の側まで膝を進めた。



「棕先生。不可思議な五雲国の術のこと、女東宮はきちんと考えておいでです。賢木どのが取り計らってくださいます。大丈夫ですよ」


「杜鵑花どの、しかしわたくしは人を殺めて、」



 言い募る棕晨星に、杜鵑花は首を振る。



「悪いのは全て五雲国の王なのだと女東宮は仰せです」



 唖然とした棕晨星を見、いまだに言い争う堅香子と浅沙を見、遂に凍星が笑い出した。



「ざっくりだな。流石は陛下の娘御だ」



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