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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第六章 月白の闇
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 清涼殿(せいりょうでん)殿上間(てんじょうのま)

 月白凍星(つきしろのいてぼしが)数日振りに殿上した。

 その姿はやつれ果てて見る影もない。


 皆がひそひそと囁き合う。

 凍星は聞こえないふりをして凝と目を閉じていた。




 昼御座(ひのおまし)榠樝(かりん)が凍星を召した。

 平伏する凍星に榠樝は優しく声を掛ける。


「月白大納言、六花の様子はどうだ」

「畏れ多いことにございます。未だ熱は下がりませぬ」


「心配であろうな。天恵人参(てんけいにんじん)は足りているか?福徳延寿丸(ふくとくえんじゅがん)には欠かせぬのであろう。少しであれば余剰があるというから、当座必要な分を授けよう。典薬頭(てんやくのかみ)には話を通してある。私の薬湯の分だから、特に他には負担を掛けぬ故、遠慮はするな。国庫の分に手を付けたわけでは無いからな。月白だけの贔屓にも当たらぬ。心配無いぞ」


 びくりと震えたかと思うと、凍星は涙を零し平伏した。


「勿体なき、お言葉を賜り……」


 榠樝が慌てた。

 御簾から転がり出て来そうな様子だった。


「泣くな泣くな。家族は大切にせねば。幼子なら猶更だ。早く持って行ってやるといい。回復を祈って居るぞ」


 このように心優しい少女に、自分は何を言おうとしたのだろう。


 凍星は酷く自分を恥じた。

 ほんの少し前まで、心など凍らせたつもりでいたのに。


 感情など無いものとして、榠樝に五雲国へ嫁すよう話を持って行くつもりだったのに。






 天恵人参を大事に抱え、凍星は邸へと戻った。

 あらましを伝え天恵人参を渡すと、棕晨星は即座に薬を煎じ始めた。


「暫くはこれで安心でございます」


 福徳延寿丸のおかげで六花の呼吸も落ち着き、やがて熱も下がるだろうことが見て取れる。

 棕晨星はほっと丸く息を吐いた。



「女東宮の説得は、できぬ」


 凍星は酷く消耗した表情で棕晨星を見た。

 棕晨星も静かに凍星の視線を受ける。


「徳の高い方でございますね。下の者に大切な薬種を、しかも自分の分を分け与えるなど……」


 凍星は頷いた。


「あの方は、前王と同じだ。己の身を削っても、他者を助けようとなさる。私はもう、これ以上あの方を裏切れぬ」


 凍星を見、己の手を見、棕晨星は深く長く、息を吐く。


「そろそろ観念のし時かもしれませぬな」


 凍星は驚きはしたがどこか納得もしていた。棕晨星ならばそうするだろうと、心のどこかで思っていた。いや、願っていたのかもしれない。




 その夜から、月白凍星は書を(したた)め始める。

 それは何日も続き、とても長いものになった。







 薬湯の種類を変え、榠樝は今日もまた眉を顰めてそれを飲み干す。


杜鵑花(さつき)、苦いのは天恵人参だと言ったじゃない。まだ苦いわ。寧ろ前より苦いわ」


 涙目の榠樝に杜鵑花が苦笑して頭を下げた。


「申し訳ございません。薬種としては甘いものに入るのですが、女東宮がお感じになる味は苦いかもしれませんね」


「なにそれ。酷い」

「やはり蜂蜜か甘葛煎(あまづらせん)かご用意致しましょうか」


 不満そうに首を振る榠樝に、堅香子が苦笑する。


「意地をお張りになると、後でお辛い思いをしても知りませんよ」

「だって私は童ではないもの」

「はいはい。そうでございますね。榠樝さまは甘いものが好きなだけでございました」


 む、と榠樝は唇を尖らせる。


「ところで杜鵑花、六花の薬なんだけど、天恵人参も無限にあるわけじゃないし、何か他の、ほら、この前話した霊芝延命湯(れいしえんめいとう)。あれどうなの?」


 杜鵑花は少し首を傾げた。


「月白の若君の体質によりますので、私は何とも。ただ、もしも代替品として効果があるなら、棕先生が当に気付いておられるとおもうのです」


「それもそうか。でも意外と抜けてることってあるじゃない。大事なことに一点集中しすぎて、当たり前のことを忘れちゃうような」


「何か忘れていらっしゃいました?」


 堅香子の台詞に榠樝は思い出さなくてもいいことを思い出し、頬を染めた。


「……思い出した。うん。もう少し、忘れておくことにする」

「なんですのそれ」


 堅香子と杜鵑花の軽やかな笑い声に少しだけほっとして、榠樝は一つ伸びをする。


「じゃあ、寝るとするわ。おやすみなさい」

「おやすみなさいませ」

「おやすみなさいませ」






 次の日。

 霊芝延命湯に必要な薬種を手に、杜鵑花は月白邸を訪れた。


「という訳で、福徳延寿丸の代わりに霊芝延命湯を処方しては如何でしょうか。天恵人参の代わりに黄精を使用すれば、可能かと思うのです。棕先生ならもう思い付いておられるかもしれぬと、出過ぎた真似とは思ったのですが、女東宮(にょとうぐう)に背中を押されまして」


 棕晨星は目を(みは)る。


「女東宮に」

「渦中の者は己が足元さえ見えぬ程焦っているかもしれぬから、外からの助言は有難いものだと」


 杜鵑花は頭を掻いて少し眉を下げた。


「天恵人参の代わりになるものを、女東宮は探しておいででした。いざという時に代わりになるものが無いと、命取りになるとの仰せで。勿論、天恵人参の栽培方法も継続して模索なさるそうです。土壌開発からですから、何年かかるかもわかりませんが。私たち薬師や医官がその折々に代替品を提示できたなら、きっと道は開けると思うのです。例えば今回の天恵人参と黄精(おうせい)のような」


 棕晨星は暫く黙考し、深く頷いた。


「全く以て仰せの通りですな。霊芝延命湯、良い考えと存じます。使ってみましょう。そうか、天恵人参の代わりに黄精を。確かに。確かに」


 杜鵑花はほっとしたように微笑み、頷いて。

 二人手を取って固く握り合った。


「ありがとうございます、杜鵑花どの。福徳延寿丸にのみ目が行っておりました。霊芝延命湯という選択肢があったことにすら気付かぬ有り様で。本当に何とお礼申し上げたらよいか」


「いえ、まだ若君のお身体に適応するかわかりません。その後にございますよ」


 棕晨星は六花の体質を知り尽くしている。

 幾らかの配分を変えれば、霊芝延命湯はきっと良い効果を生むだろう。




 六花の体調は程無く安定したという。



 そして。


 凍星は数日を掛けて書き上げた長い長い文を読み直し、折り畳み、立て文にした。

 そして、そっと文箱に仕舞い紐を掛ける。


 月明かりが、細く白く文箱を照らしていた。








「月白凍星さまより文が参りました」


 山桜桃(ゆすら)が恭しく文箱を捧げ持ち、榠樝(かりん)に差し出す。

 飛香舎(ひぎょうしゃ)

 どんよりと重い雲が空を覆っている。

 今日は雪が降りそうな天気だ。


 文箱を開け、榠樝は少し眉を寄せた。

 封を切る前から緊張感のようなものが漂っている。


「暫し、一人にしてくれ」


 人払いをし、榠樝は文を広げ、読み始めた。



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