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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第六章 月白の闇
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 月白(つきしろ)邸は今宵も静かだ。

 当主凍星(いてぼし)が騒がしいのを好まぬ為、滅多に酒宴など開かれないし、病弱な六花(りっか)の為、西の対はいつも穏やかな気配に包まれている。



 六花の脈を取り、棕晨星(しゅしんせい)は優しく頷く。


「うん。落ち着いておりますな。よいことです」


 六花はにこにこと棕晨星を仰ぎ見る。


「棕先生、先生の所に女東宮のお使いの方が来たのでしょう?僕もお会いしたかったな」


 棕晨星は少しだけ眉を下げた。


「若君は女東宮が大好きでいらっしゃいますね」

「うん。僕、先生と同じくらい、女東宮も好きだと思うの」


 棕晨星が目尻の皺を深くする。

 なんとも可愛らしいことだ。


「僕も早く元気になって、兄上方のようにあの方にお仕えしたいな。神泉苑での宴、すごかったんだよ。女東宮は光り輝いて見えたんだから」


「はいはい。何度もお聞きしました。あまり興奮なさいませぬよう」


「あのお方のご使者が、先生に何のご用だったの?」

「六花さまがお飲みになられているお薬のことですよ」


 六花は胸をそっと押さえた。


「僕、ご心配かけちゃったのかしら」


「そうかもしれませんね。六花さま、早くお元気になられませんと。憧れの女東宮も貴方をお気に 掛けていらっしゃるのだから。良いお顔を見せて差し上げませんとね」


「はぁい。お薬苦いけど、僕がんばる」







 棕晨星は六花の部屋を退出すると、いつものように凍星の元へ出向いた。


「棕晨星、参上致しました」

「入れ」


 凍星はいつも不機嫌そうに見える。

 無理もない、と棕晨星は思った。

 息子のこと、国のこと。背負う責に肩はいつも重かろう。


「女東宮はお前のことを疑ってはおらぬそうだ。一応ではあるが、そういう態度でいるという。これからも尻尾を出すことなく振舞えよ」


 棕晨星は眉を下げる。


「貴方さまが早く手を下しておられれば、わたくしのことなど知られることも無く片が付きましたでしょうに」


 穏やかで優しい物言いのまま、けれど声が硬質で冷たい。凍星は嫌そうに顔を顰める。


「六花の具合は」

「宜しゅうございます。このままお続けになられれば、健康におなりでしょう」


 ですが、と棕晨星は言葉を続ける。


「少々まずいことになって参りました。天恵人参が不作だそうで、入って来る量が極端に減りました。また、値段も高騰しております。このままでは福徳延寿丸を作成するに、不足するかもしれませぬ」


「金なら出す」

「そもそもの量が無いのでございますよ。女東宮なら、比較的容易に手に入れられるやもしれませぬが」


 凍星の眉根が深く皺を刻んだ。


「お父上と同じことをすればよいだけです。何も毒を盛れと申している訳ではございませぬ。ただ呪具を、それとわからずお渡しすれば良いだけのこと。貴方さまならば簡単でございましょう」


 飄々とした棕晨星と対照的に、凍星は酷く顔を歪めている。


「お前はかつて二度も、私を騙したからな」



「騙したわけではございませぬ。ただすべてをお話し致さなかっただけにございます」



 一度目は前王の死。

 二度目は女東宮の毒殺未遂。

 いずれも棕晨星が間接的にではあるが関わっている。



(たばか)ったのと同じだろう」

「貴方さまがそう思われるなら、それで構いませぬ」


 凍星は片手で顔を覆って俯くと、指の隙間から鋭い視線を棕晨星に向けて投げた。


「王家を何とかせねば、お前の故郷が消されるというのも虚譚(うそ)ではあるまいな」



「そう思われるならば、それで結構でございます。ただ、わたくしは命懸けでわたくしの役目を果たすだけ。何ら変わることはございませぬ」



 凍星は細く長く、息を吐いた。


「お前が命懸けなのは知っている。六花を救おうと力を尽くしているのも知っている。どちらも本心なのだろう。ならば、故郷のことも本当なのだろう。そう思う」


棕晨星はただ沈黙し目礼する。


「わたくしは、五雲国(ごうんこく)の王にすべてを握られております故、()の王が望むように動かねばなりませぬ」



 ただその上で、できる限り人を救いたいのも本当のこと。



 十余年前、棕晨星は五雲国の王命に従って虹霓国へ来た。

 今は代替わりし、次の王になったが、命令そのものは続いている。


 虹霓国の王を篭絡せよ。

 できなければ排除せよ。


 一介の薬師にそのようなことができる訳が無い。

 そう言う棕晨星に、五雲国の前王は傲然と微笑んだ。


「出来ねばお前の村が地図から消えるだけだ」


 そして棕晨星は虹霓国へ送り出されたのだ。



 それがもう、十余年も前のこと。



 見知らぬ人々が害されても、見知った者たちが傷付けられるよりは良い。

 そう思った筈だった。そう思い込んで来た。

 だが虹霓国に来て(しがらみ)も増えた。

 今や自分を先生と慕ってくれる者たちのなんと多いことか。


 誰も傷つかぬ方が良い。

 できないのならば、傷つく者は少ない方が良い。


 女東宮がまだ幼い少女で、王と認められようと努力を重ねているのは伝え聞いている。


 それでも。


 故郷の村ひとつと引き換えならば、棕晨星は村を選ぶ。

 そこに住む懐かしい人々の生を選ぶ。


 仕方の無いことなのだ。

 何かを選ぶというのは何かを捨てるということ。


 棕晨星は既に選んだ。



 後は望まれたように動くしかない。




 二人は無言で見つめ合う。


 静々と衣擦れの音がした。

 御簾(みす)が上がり、凍星の長子、虎杖(いたどり)がそっと顔を覗かせる。


「お邪魔でしょうか」

「いや、いい。話は終わった」


 凍星が言う。

 棕晨星は二人に礼をし、部屋を出た。







 天恵人参の不作と値段高騰の余波は瞬く間に広がり、激震が走った。

 天恵人参は医薬品や健康食品として、貴族の間でも高い需要がある。

 当然のこととして、手に入らなければその偽物や、品質の低い代替品が数多く出回ることになる。



「困ったことになりましたね」


 典薬寮(てんやくりょう)では典薬頭(てんやくのかみ)杜鵑花(さつき)が頭を突き合わせて難しい顔をしていた。


「王家の倉には少しは蓄えもあるし、女東宮のお薬湯に影響はしないだろうが、他の貴族の方々は中々困難なことになりそうじゃな」


「市井の者には手の届かない存在になります。粗悪品が出回らないと良いのですが」

「典薬寮でも盗難に備えねばな」

「転売する者が出ないとも限りませんからね。警備を厚くするようお願いして参ります」

「そうしてくれ」






 六花の病状が悪化したのはそれから程無くのことだった。



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