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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第五章 外寇の事
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 左右近衛大将さうのこのえのたいしょうが揃う。


 蘇芳銀河(すおうのぎんが)藤黄南天(とうおうのなんてん)。二人が榠樝(かりん)の前に畏まる。



「海防の備えは少し遅かったか」


 苦々しく榠樝が唸る。


「予想より早かったですね」


「まさか斑鳩(いかる)島の郡衙が落ちるとは」


 摂政(せっしょう)蘇芳深雪(すおうのみゆき)が眉間に深い皺を刻む。


「海賊は五雲国(ごうんこく)の者なのか?」


「そう、何所(どこ)の者なのだ?」


 南天はがりがりと首を掻き、答える。



「わかりません、としか今の所言い様が無いですね。海賊はもともと何処の国にも属さず、まつろわぬ存在。虹霓(我が)国の者も居るかもしれませんし、五雲国の者も、或いは光環国(こうかんこく)の出身者も居るかもしれません」



 銀河が頷き補足する。


「ですが通常の海賊は、海上交通の保護と引き換えに金品を要求するくらいの筈。(おか)にまで攻め上るなど聞いたこともございませぬ」


「確かに。陸の拠点が欲しかったにしても、郡衙を落とす程の武力を持つものなど、今まで耳にしたことはございませんな」


 深雪が聞いたことがないというのだから、間違いなく前例の無い事態なのだろう。


 榠樝が首を捻る。


「しかし斑鳩郡司(ぐんじ)をはじめ多くの男女が攫われたというが、攫ってどうするのだ?」


「労力の確保でしょうな。また、何処ぞに奴婢(ぬひ)として売りつけるのかもしれません」


 榠樝の眼が零れ落ちそうに見開かれた。


「人を売るのか!?」


「売買は禁止されておりますが、都の(いち)でもたまにあります。大抵が検非違使(けびいし)に捕えられ、地元に返されるか、そのまま都で働くかしています。食うに困って自分から身を売る者も居ますね」


 南天が何と言うことも無い調子で言い、榠樝は衝撃を受けた。



 銀河が南天を肘で小突く。


 余計なことを言って女東宮を惑わせるなと、鋭い眼が語っている。



「……何処の者かはわからずとも、我が民を傷付け奪い、また郡衙までをも陥落させし存在をそのままにはしておけぬ」


 動揺したままだが、榠樝はまだ冷静な判断ができる。

 深雪が頷き銀河を見る。


「征討軍の準備は」


 銀河が答える。


「万端とは参りませぬが、すぐにも()てます。女東宮、ご命令を」


 南天が割って入った。



「おっと、左大将どのはこのまま都の守備を固めてください。北へは俺が、じゃねーわ、私が」



 ぎらぎらと輝く双眸は肉食獣のそれに似て、少し怖い。


「南天、そなたが行くのか」


「御意。敵が誰だかまだわかりませんが、海賊と同時に五雲国も攻め入らないとも限りません。左大将にはこのまま女東宮の警護と、残った征討軍の整備をお願い致したく」


 深雪が頷く。


「確かに五雲国への備えは変わらず必要でしょう。現在整っている征討軍の半数を北へ、半数を都に残されては」


「北の大宰府軍とも合流すれば、それなりの戦力になります。一度ならずも敗走しているそうですが、将が変われば戦も変わる。私が行きます」


 榠樝は逡巡(しゅんじゅん)し、だが頷いた。


「わかった。藤黄南天に征討軍の半数を任せる。北の海賊らを討ち、見事平定せよ」


「はっ」








 深雪が榠樝を振り返る。次にやるべきことは心得ている。


「祭祀の準備であろう?」


 榠樝は力強く頷いた。


「御意」


 時間的余裕があるのならば、南天も儀式に参加させた後、出立という手順を取りたかったが、ことは一刻を争う。


「右大将に征討軍のことは一任。我らは戦勝祈願をせねばなるまい」


 文書でしか知らないこと。戦。その為の祭祀。儀式。やるべきこと。


「まずは精進潔斎だったな」


 記憶を手繰り寄せ、榠樝が訊く。蔵人頭(くろうどのとう)菖蒲霜野(あやめのそうや)が準備に走る。彼にとっても初めての儀式だ。勝手がわからない。

 摂政として蘇芳深雪もやらねばならないことが多い。


神祇官(じんぎかん)陰陽寮(おんみょうりょう)に伝達。儀式の準備を。縫殿寮(ぬいどのりょう)には女東宮の白衣を整えさせよ」



 祭祀に纏う白一色の装束は、その度毎に新調するものとされている。

 清められた白絹と白糸を使い、精進潔斎した女官たちが縫わねばならない。



 かつて使用されたのは恐らくは八〇年は前のこと。

 皆、勝手がわからない。


 右往左往する者たちに深雪が一喝した。



「狼狽えるな!内記(ないき)に記録が残っている。その通りに遣れば良いのだ。不明な点は図書寮(ずしょりょう)を当たれ。まごついている時間は無いと思え!」



 的確な指示に安堵しつつ、榠樝は飛香舎に戻る。既に堅香子(かたかご)(みそぎ)の準備を済ませていた。


「この時期に水風呂など全く以て許し難いのですが、禊では致し方ありません。どうぞお風邪を召しませぬよう」


 禊を水風呂と言う堅香子に榠樝は思わず吹き出した。


「こら堅香子。神聖な儀式ぞ。女東宮の大事な役目だ」


「失礼致しました」


 禊は祈祷した浄水を湯船に注ぎ、単衣のみを纏ってその水を浴び、身を清めるものだ。


 夏に川で身を清めるのとは違う。この時期に行えば確かに風邪を引きかねない。


 だが虹霓国の王の大切な役目の一つは、時に荒ぶり時に和む神々を、祟られぬ為に彼是(あれこれ)と祭祀をし、鎮魂慰撫(ちんこんいぶ)し、感謝し祈ること。



 王が不在の今、女東宮が行わなければならない。



 (まつりごと)だけでなく、王が為すべき大切な役目だ。

 征討軍の勝利を祈り、犠牲者が少ないことを願い、一刻も早い収束を念じる。



「禊の後は白湯と白粥をお召し上がりください」


 それも潔斎の内だ。


「ん。では参るぞ」


「御意」






 潔斎を済ませた白装束の一団が祭壇に向かって一礼。


 神祇伯(じんぎはく)が榊葉に浄水を含ませ、参列者に向かい振るった。


 清らかな水飛沫がきらきらと飛び散る。


 そして祭壇の前に進み出て榊葉を献じ、祝詞を奏上。龍神を祭壇に迎え入れる。



 続いて榠樝が進み出た。新しい装束は、縫い上げられたばかりの艶やかな白絹である。

 戦勝を願う祝詞を奏上し、加護を願う為の祈りを捧げる。



 巫女が勝利を象徴する鏑矢を祭壇に捧げ、次いで舎人たちが米や酒、魚や果物などの供物を捧げた。


 供物を捧げた舎人らが下がり、神楽が奏される。


 奉納舞は五人。巫女四人と、中央に榠樝だ。

 静々と舞う巫女たちに、平静を装って榠樝が続く。


 正直間違えていないか不安だ。


 しかも中央。一番目立つ位置である。努めて冷静に、沈着に。厳かに。榠樝は舞う。


 これで大丈夫なのだろうか。龍神さま、努力は認めてください。


 などと余計なことを考えながら、なんとか奉納舞を終えた。


 著しい間違いは無かったはずだ。




 たぶん。




 神祇伯が再び祝詞を奏上。龍神に天への帰還を願い、儀式は終了する。


 山桜桃(ゆすら)がそっと囁いた。


「舞の半ばで、上げる御手が反対でしたわ」


 榠樝はそっと首を振る。


「気持ちが大事。心は込めた」


 自身に言い聞かせるような榠樝に山桜桃は頷いたが、堅香子はこっそり思った。


 最後の拍子もズレていた。




(まあでも従兄弟どのなら何があっても大丈夫でしょう。きっと)




 絶大なる信頼を寄せ、堅香子は南天の無事を祈った。



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