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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第五章 外寇の事
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 ああでもない、こうでもないと埒が明かない議論をしつつ、紫雲英(げんげ)紅雨(こうう)の衝突を()なしつつ、榠樝(かりん)は頭を抱えていた。



「ちっとも話が進まぬな」


 ふん、と吐息すれば堅香子(かたかご)が首を振った。


「やはり月白(つきしろ)は攻めあぐねますね。またも六花(りっか)どのをダシに使う訳にもいきませんし」


 扇を弄んで、榠樝が唸った。


「もう少しなあ、虎杖(いたどり)が私に関心を抱いてくれたら、そこから詰めるのだがなあ……」


「それは頂けませんね」

「それはどうかと思う」

「虎杖どのはいけませんわ」


 紅雨、紫雲英、山桜桃(ゆすら)と口々に止められ、榠樝は苦笑する。


「いや、だから虎杖は私にも王配の地位にも興味が無いのだろうから、どうするかという話だ」


「ですから、敢えて刺激することもありません。恋敵が増えるばかりだ」


 紅雨が鼻息荒く前のめりになった。


「恋敵はともかく、敢えて取り込むことも無いと思うのだ。貴方に関心が無い以上、心強い味方にもなり得ないだろう」


 紫雲英が続け、山桜桃が引き継ぐ。


「そう。意気に欠けるのです。端的に申し上げるなら、腑甲斐無(ふがいな)いのですわ」



 散々な言われように、虎杖がかわいそうになった榠樝だった。


 ごくごく普通の若者なのだ。物腰は丁寧だし、手跡は整っている。

 時候の挨拶も弁えているし、(ふみ)に添える花の趣味も悪くない。


 だが、比べる相手が悪かった。


 女東宮の婿がねとなれば何においても秀でている者が立つのが当たり前。

 紅雨も紫雲英も笹百合(ささゆり)も、群を抜いて素晴らしい若君たちで朝廷でも目立つ存在だ。


 目立つと言えば茅花(つばな)も茅花で目立っているのだけれど、方向性が違う。



 かりこりと、榠樝は檜扇の端でこめかみを掻いた。






 不意に騒がしい気配がした。

 どたどたと走る音が聞こえる。



 皆顔を見合わせた。



 内裏で屋内を走るなど、余程のことが無ければ有り得ない。

 最近は余程のことばかり起きていて、少し感覚が麻痺しているけれど。


 それにしても一大事だろう。




 清涼殿(せいりょうでん)の方から頭中将菖蒲霜野(あやめのそうや)が血相を変えて走って来るのが見えて、榠樝は思わず腰を浮かせた。


 紫雲英は驚いて立ち上がる。

 こんなにも青い顔の叔父を見たことがあっただろうか。




「申し上げます!!」




 跪き、大音声(だいおんじょう)で霜野が叫ぶ。


斑鳩(いかる)郡衙(ぐんが)が陥落致しました!!」


 榠樝は思わず口をぱかりと開けてしまった。


「は?」


 衙とはその地の政務を執る役所のことだ。




 郡衙陥落。




 攻め落とされた。何故?誰が?


 榠樝はただただ混乱するしかない。

 よろめきかけた榠樝を堅香子がしっかりと支える。



「斑鳩郡は、北方だったな。善知鳥国(うとうのくに)の…北の大宰府(だざいふ)の近くの島。そう、北の三島のひとつだ」


 善知鳥は北の大宰府がある、虹霓国本土の最北端の地である。

 呆然と呟く榠樝に、霜野は言葉を続ける。


「善知鳥(さかん)が早馬にて都へ参りました!清涼殿の庭先に控えております!」


「すぐ行く」




 榠樝はすっくと立ちあがり、鮮やかに袴の裾を(さば)いた。


 そのまま脇目も振らず歩き出す。




 先導する霜野が(つまづ)きつつ慌てているのに対し、榠樝は傍目には至極冷静に見えた。


「なんとお美しい……」


 うっとりと見送る紅雨に紫雲英が冷めた視線を投げる。

 堅香子は堅香子で、榠樝さまの仕草が洗練されているのは当然ですわ、とか思っているし。

 山桜桃は榠樝の後を追う万寿麿(まんじゅまろ)を追うのに忙しい。








 当然のこととして摂政、蘇芳深雪(すおうのみゆき)は東庇に既に控えていた。


 清涼殿(せいりょうでん)東庇から庭へ視線を投げれば、ボロボロに草臥(くたび)れた姿の男が畏まっている。


 善知鳥目だろう。

 榠樝は座につくなり前置き無く宣う。


「申せ」


 善知鳥目は一度(こうべ)を垂れてから顔を上げた。



「畏れながら申し上げます。斑鳩郡衙が海賊に攻め落とされましてございます」



経緯(いきさつ)は」


 言葉少なに深雪が促す。


「この程、海賊が暴れ回っておりましたことはご存じでございましょうか」


 深雪が振り返り、榠樝はうむ、と頷いて先を促す。

 善知鳥目は続けた。


「斑鳩は昔より海賊の多い地でございました。此度(こたび)もその(たぐ)いと思い、善知鳥より派遣されておりました国軍を率いて斑鳩郡司(いかるのぐんじ)が場を収めに出陣。しかしながら郡司は捕えられ、軍は敗走致しました」


「なんと」


 霜野が息を呑む。海賊に派遣部隊とはいえ国軍が敗走。

 しかも郡司が攫われたとは。



「一報を受け、そのまま北の大宰府へ(しら)せを。斑鳩の窮地であると認められ、善知鳥国司より斑鳩への本軍の派遣がなされました。その間も海賊は攻撃の手を緩めず、上陸。遂に郡衙にまで至り、本軍の奮戦空しく陥落。敗走致しました」



「海賊が郡衙を襲ったのか。斑鳩島はどうなった」


 榠樝が思わず御簾の向こうに出ようとし、深雪と霜野に制される。



「多くの男女が攫われましてございます。老人と子供は見逃されました。そのまま捨て置く訳にもいかず、本軍が保護、善知鳥に避難させましてございます」



 善知鳥国の配下に、今回襲撃を受けた斑鳩、伯労(はくろう)(にお)の三島三郡がある。



「一島がまるごと海賊の手に落ちました。拠点にする気なのかどうなのかわかりませぬが、とにかく占拠されてございます。そしてそのまま伯労と鳰にも攻めかかっておりますこと、直接に朝廷にご報告せよと、北の大宰帥(だざいのそち)より申し付かって参りました」


 斑鳩目は庭に平伏した。


「もはや北方だけでは手に負えませぬ!どうぞお助けくださいませ!!」



「わかった。即座に対応する」



 榠樝は頷き深雪を見た。深雪も頷き返す。


左右近衛大将さうのこのえのたいしょうをこれへ。善知鳥目、ご苦労であった。まずは疲れを癒すのだ」


 深雪に促され、善知鳥目はほっとしたようにはらはらと涙を流して、庭に崩れ落ちた。

 余程気を張っていたのだろう。

 事切れたかと思ったが、眠っただけのようだ。









 話は少し巻き戻る。


 善知鳥国(うとうのくに)では国司である善知鳥守が引っ切り無しに来る伝令を休みなく(さば)いていた。



「国司さま、お倒れになる前にお休みくださいませ!」


「休んでいる間に敵はどんどん攻めてくるぞ、私が命を下さねば、救える命が一つ減る!」



 斑鳩郡司(いかるのぐんじ)が攫われた。派遣されていた善知鳥軍は敗走。

 村々は襲われ、多くの男女が攫われた。

 幸いにも見逃された老人と子供は、命からがら舟で斑鳩より脱出。


 どうにか態勢を立て直した派遣軍と、残った若者たちで辛うじて防衛しているが、斑鳩郡衙(ぐんが)も海賊の攻撃に晒され風前の灯火だ。


 大宰府軍は大宰府を守るために動かせず、善知鳥国の本軍のみ斑鳩島へ派遣。


 善知鳥守と北の大宰府長官、大宰帥(だざいのそち)との会談の末の苦渋の決断だ。



 万が一にも大宰府を落とすわけにはいかない。



 ただし軍と言っても地方軍。戦に備えてのものではなく、精々が《《普通の》》海賊討伐程度の防備で。


 善知鳥軍はそれなりの精鋭を揃えてはいるが、それは主に威嚇牽制の為のもの。

 訓練こそ受けてはいるが本業は漁業のような有り様である。


 大宰府軍とて同じようなもの。


 しかしそれであってもまさか海賊に後れを取るとは。


 誰もが動揺している。


 前代未聞の大事件である。




「国司さま!斑鳩より伝令!!斑鳩郡衙、落とされましてございます!!」




 ガシャンと何かが割れる音がした。


 善知鳥守は叫んだ。


「善知鳥(すけ)を、大将として本軍を斑鳩へ派遣!(じょう)(さかん)をここへ!すぐにだ!」


 善知鳥国衙がかつてない衝撃に響動(どよ)めいている。







「目、そなたは即座に都へ走れ。一番の駿馬を与える。駅までで使い潰しても構わん。各駅で一番速い馬を使え。一刻も早く朝廷にご報告申し上げるのだ」


 守の言葉に目は目を零れんばかりに見開いた。


「私がですか?!早馬ではなく?!」


 通常は早馬に書状を託して駅ごとに人馬を代え、都まで走らせる。

 だが今回は詳細な書状を(したた)めている時間が惜しい。現状見聞きしたそのままを伝えることが肝要だと判断した。



「直接にこの事態をご報告申し上げろ。未曽有の危機だ!」



 まだ若い善知鳥目はピシッと背筋を伸ばして礼を取る。


「御意!直ちに」


「掾、参りました!」


 走って来た掾と入れ替わりに部屋を出た。


「遅い!何をしていた!」

「斑鳩よりの避難民の、」


 守と掾との叫ぶような遣り取りを後ろに聞きながら、目は(うまや)へと走った。



 厩では既に水筒と携帯食が準備されていて。

 これから都まで不眠不休で走り続けなければいけない。


「お役目ご苦労様です」


 厩番が既に万端整えていてくれた。

 葦毛の駿馬。若く力強く、けれど気が優しい良い馬だ。


「うん」


「道中ご無事で」


「ありがとう」


 幸い、馬を駆るのは慣れている。体力に自信もある。

 だが都までの長い道程を、無事に駆け抜けることができるだろうか。


 善知鳥目はまだ若く、近隣の諸国や諸島しか知らない。

 生きているうちに一度は都に行ってみたいと思ってはいたが、まさかこんな重大な責務を負ってになろうとは思ってもみなかった。


 都までは街道が真っ直ぐ通っているし、要所要所に駅が置かれているので道を間違えることはないだろうが……。


 馬の首を叩いて目はそっと額を寄せた。


「頼むぞ相棒。次の駅までだ。お前を潰したくはない」


 馬はぶるると鳴いて、目の頭に頬を寄せる。


「重大なお役目だ。俺も、お前も。生きて帰って来ような」


 厩番が頭を下げる。


「いってらっしゃいませ」

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