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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第一章 空位時代
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 一方の飛香舎(ひぎょうしゃ)榠樝(かりん)は寝転がったまま天井を見つめている。


 堅香子(かたかご)が帰って来てからかれこれ四半刻だろうか、ずっと上を睨み付けるようにして動かない。


 流石に心配になった堅香子が声を掛けようとした瞬間、榠樝が飛び起きた。


「作戦を練ろう」


「は」


 脈絡不明な一言だったが、優秀な女房である堅香子はすぐさま文台(ぶんだい)を整え、紙と硯箱(すずりばこ)を用意し、碁盤を運ばせた。


「本当、よく気の利くよい女房だわ、堅香子」


 堅香子はにこりと笑って(こうべ)を垂れる。


「畏れ入ります」


 碁石を幾つか並べ、榠樝は紙に名前を記していく。


蘇芳(すおう)摂政(せっしょう)深雪(みゆき)左大将(さだいしょう)銀河(ぎんが)、当主の躑躅(つつじ)中納言(ちゅうなごん)よね」


「然様にございます。躑躅どののご子息が紅雨(こうう)どの、二郎どの。銀河どののご子息が太郎どの。お二人はご元服前でございますわね」


「流石にそこを持ってくるとは思えないけど、蘇芳の二郎はそろそろ元服してもいい年だったか……いや、でもたぶん紅雨が来るでしょうね。妻はまだ居なかった……わね?」


「はい。婿君としては順当ですわね」


「たぶん一番厄介な相手になると思うのよ」


「おそらくは一番婿の座に近い御方でございましょうね」


 摂政を頂く蘇芳家は着々と力を伸ばしている。


 今や虹霓国(こうげいこく)の一の家は菖蒲(あやめ)ではなく蘇芳であろう。





「次は、菖蒲か。ええと、当主紫苑(しおん)のところは娘ばかりで、息子は紫雲英(げんげ)のみだったわね」


 菖蒲家の直系は女性が多い。紫苑の兄弟姉妹も確か女ばかりだった。

 どの姫も父王への入内を願い、叶わなかった。

 いわば因縁の対決になる。


「仰せの通り。やはり直系の紫雲英どのが立たれるかと存じます。確かわたくしと一つ二つしか変わらぬ年頃だったと」


 菖蒲の紫雲英もその才気煥発(さいきかんぱつ)さ故に、若手の貴族の中では一目も二目も置かれる存在である。


 若さの為か、それとも蘇芳家に負けまいとする気概の為か、いささか才気走った様子も見られるが、情に厚く好かれているという評判だ。






(はなだ)笹百合(ささゆり)


 すんなりと出てきた当主の嫡子の名に堅香子は少し目を瞬く。


「笹百合どのとはご昵懇(じっこん)であらせられましたっけ」


 少しだけ榠樝の目が泳いだ。


「そういう訳でもないけれど、和歌(うた)のやり取りくらいはしているし……。ああ、でも弟の風花(かざはな)かしら。どう思う?」


 堅香子は少し考えた。


「御年は確か風花どのは榠樝さまの一つ上、笹百合どのが五つ上でしたわね。釣り合いを考えますと、どうでしょう。その辺はお父上の苧環(おだまき)どのの采配次第では」


 笹百合は物静かで慎ましやか。その名の表す通り清らかで美しく、物腰柔らかな青年である。


 榠樝とは幼い頃から文を遣り取りし、他の六家の若君たちと比べると確かに親しい間柄ではある。侍従(じじゅう)であった頃は父王がよく供に連れ、飛香舎へ来ていた。


 昇進し、五位蔵人(ごいのくろうど)左少弁(さしょうべん)を兼任するようになってからは、多忙故に顔を合わせる回数は目に見えて減ったが、和歌の遣り取りは続いている。


 優しい、兄のような人。

 恋ではなくとも慕わしい人ではある。


 無論、婿にするのは知らない人より、親しい人の方が良いに決まっている。


 けれど、それを決めるのは榠樝の心ではなく。




 俯いたままの榠樝の肩がそっとそっと、揺れた。


 溜め息ともつかない微かな吐息。


「榠樝さまのお気持ちが、一番大切でございますよ」


 そっと囁くように言われた堅香子の言葉を笑おうとして、できなかった。




「東宮位にある者は、大局を見極めなくてはならないわ」




 女東宮に相応しい立場にある者を選ばなくてはならない。

 家格、身分、地位。そしてそれに相応しい品性、人柄。


 たとえそれが、榠樝の気に沿わぬ相手であったとしても。


 重ねて何事かを言おうとし、けれど堅香子はきゅっと唇を噛んで頭を下げた。


 自身の立場を(いや)というほど理解している榠樝に、一体何が言えるというのだろう。






「さて、次は藤黄(とうおう)ね」


 筆を()った榠樝に、堅香子は打って変わって投げ遣りな様子で言う。


藤黄(うち)は除外しても宜しいのでは?」


 あまりに雑な物言いに、思わず変な顔をしてしまう。


「何でよ」


 堅香子は溜め息を吐くと、諭すように榠樝を見詰める。


「ご存じでしょう、榠樝さま。うちはアレですよ。独立不羈(どくりつふき)と言えば聞こえが良いですが暴走する次男の南天(なんてん)どのに、優しいだけが取り柄、軽佻浮薄(けいちょうふはく)の三男、茅花(つばな)どの」


 辛辣な言い様に、流石に榠樝も苦笑した。


「従兄弟に対して随分と点が(から)いわね」


「身内だからこそでございます。つい先程当主の(たちばな)どのともお話し致しましたけれど、藤黄を選ぶようでは女東宮の見る目が問われます。王たる器とは思われぬでしょうね」


 悪口雑言ではないが、かなり酷い内容に榠樝は思い切り苦笑した。


「そこまで言うか」


「見目が良いのだけが救いでしょうか。或いはもっと悪いのかもしれませんが」




 どこまでも本気の堅香子だった。




 行儀悪く頬杖をつき、榠樝は少し笑う。


「婿には確かにどうかと思うけど、南天の気性は嫌いではないわ」


 雁字搦(がんじがら)めで動けない状況も、面倒臭い(しがらみ)も全部。力尽くでどうにかしてしまう南天は確かに厄介だが、ある種清々しい。


「嵐というか疾風(はやて)というか、風のような人よね」


 堅香子がまあ、と目を(みは)る。


「勿体なきお言葉を頂戴しまして、従兄弟に代わりお礼申し上げます。そんな風にお考えでいらしたなんて」


「まあ、本当に婿には向いてないと思うけども。ていうかそういう話無かったかしら。一年だか二年だか前に、どこぞの姫と結婚するって」


「有ったとして、大人しく収まる人ではありませぬので……ええ、()ち壊しまして」


 言い難そうにした堅香子を見て、榠樝は膝を叩いた。


「あー。なんだか思い出した。有ったわねそんなことも」


 気に入らぬ宴席、実質の見合いの場を打ち壊してめちゃくちゃにした挙句、騎馬で走り去ったとかなんとかかんとか。


 うんうんと頷く榠樝に、先を促す。






「次は月白(つきしろ)家でございましょう」


「月白の当主は大納言(だいなごん)凍星(いてぼし)


「月白家は末のご子息が病弱であることしか、わたくしは存じあげませんが」


 頷いて、榠樝は碁石を四つ置く。


 月白家の直系四兄弟。


 他の追随を許さないほど素晴らしい所は特にない。


 良くも悪くも普通の貴族らしい貴族の子息たちである。


「月白の四郎ね。元服して六花(りっか)と名乗るようになったわ」


「まだ十かそこらではございませんでした?」


 驚いて平衡を崩した堅香子に頷いて、榠樝は筆を執る。


(はら)いやら(まじな)いやら、渡来の薬やらなにやら試したけれどなかなか効果が出なくてね。陰陽師(おんみょうじ)何某(なにがし)とやらが占いにとびぬけて秀でているとかで、卜占(ぼくせん)の結果、早々に元服するのが良いのでは、となったらしく。つい先日のことよ」


「お詳しいですね」


「ちょっとね」


 曖昧に誤魔化した榠樝に、堅香子は胡乱(うろん)な視線を向けた。


「陰陽寮に何かご用事が?」


「ん-ん。なんでもないわ」




 白々しい素振りの榠樝に、堅香子はますます不審な顔付きになる。




「わたくしに隠れて、何かなさいました?」


「ええと最後は黒鳶(くろとび)ね」


「榠樝さま」


「母上の実家だから、気安いといえば一番気安く近しいのだけれども」




 堅香子は追及を諦めた。




「ご当主は榠樝さまの御叔父上の夕菅(ゆうすげ)さまであらせられますね。御母上の弟君、黒鳶の大納言さま」


 榠樝は黒鳶の従兄弟たち三人の名を連ねていく。


「黒鳶の本家の者たちは幼い頃は遣り取りもあったけど、最近は縁も絶えてしまったわね」


 堅香子が苦笑した。


「なによ」


 コホンと白々しく咳払いして、堅香子が重々しく言う。


「幼い榠樝さまのあまりの闊達(かったつ)さに、音を上げてしまわれたと聞き及んでおりますが」


 多少気まずげに榠樝は視線を泳がせた。


「浅学を指摘したのが痛かったのでしょう。私のことを怖がっているわ。自分の勉強不足を棚に上げて」


 偏継(パズル)をやらせれば榠樝の圧勝。囲碁も、貝覆(かいおおい)もなぞなぞも、すべて榠樝の一人勝ちだった。


「挙句、詩歌も管弦も私に劣るのでは仕方ないでしょう。相手にもならないのだもの。でも流石に小弓(こゆみ)は負けたわよ」


「蹴鞠までなさったとか」


「蹴鞠は流石に数回よ。難しかったわ。私何度も失敗したもの。毬打(ぎっちょう)はやらせてもらえなかったし」


 しかし周囲が止めなければ、蹴鞠どころか馬にまで乗ろうとしたというから恐ろしい。


 姫君のするところではない。




 だがしかし、榠樝は女東宮。




 前例の無い立場の者が前例の無いことをして何が悪い、と(のたま)われると誰も何も言い返せぬ訳で。


「そこらの若君ではとても太刀打ちできませんわね」


 婿たる者は相当な器の持ち主で無ければ、榠樝に遣り込められてしまうだろう。




「当たり前でしょう。私は女東宮なのだから。そこらの若君に負けているようでは務まらないのよ」




虹霓国を率いていくのだ。


それくらいの気概は当然に必要である。



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