五
飛香舎。今日も皆で額を突き合わせ作戦会議だ。
「菖蒲と黒鳶の結果を見るに、要するに私の欲しいものってそれぞれの家の者ってことなのかしら?」
堅香子が肩を竦める。
「それぞれの家より、榠樝さまのお味方を募って居られると?」
陰陽師、朱鷺賢木は首を振る。
「断定は早計。もっと考えて」
「近頃貴方ますます以て生意気になりましたわね!」
堅香子が激昂し、山桜桃がそれを抑え、紫雲英が眉間を押さえる。
万寿麿は衣の裾にじゃれている。
「人払いしない女東宮が悪い」
「それは、すまぬ」
段々といつもの光景になって来つつあるが、そもそも地下の者を平気で召し上げるのは止めた方がいいと、口に出すべきか出さざるべきか、今日も紫雲英は悩んでいた。
ほぼ榠樝の主治医となった山鳩杜鵑花は賢木と同じく地下だが、別格である。
紫雲英としてはあまり特別扱いを増やさぬ方が良いのではないかと心配している。
それはともかく。
「残るは四家。蘇芳に月白、縹に藤黄か。堅香子、貴方は何か無いのか。藤黄の出だろう」
紫雲英の台詞に堅香子は眉を寄せる。
「わたくしは本家の出でございますとはいえ、他家に嫁した母ですし……。これと言って思い当たる節もございませんし。そもそもからして藤黄の者は代々直情径行が多く、策を弄したり謀を為すには向いていないのでございますわ」
相変わらず身内に点が辛い堅香子に、榠樝は苦笑を隠さなかった。
「しかしそう考えるとやはり藤黄にある私の欲しいものは堅香子、となるのかしらね」
「光栄でございますわ」
賢木が溜め息を吐く。
「だから簡単に答えを出さないで。卜占の答えは必ずしも人ではないよ」
「ですから貴方女東宮に向かってなんて口を聞きますの!」
堅香子が今度こそ激昂した。
賢木は少しだけ声を険しくする。
「短気は損気。藤黄の出なら考えてみて。藤黄の誇るものは何?何があれば女東宮の利益になる?」
堅香子が怯み、山桜桃と紫雲英が顔を見合わせた。
「藤黄の強みと言えば南天どのではないのか?」
「類い稀なる武辺の力ですわね。そもそもからして藤黄は代々優れた武人が多いと聞き及んでおります」
榠樝が草子をぺらぺらと捲って、頷く。
「確かに八〇年前の大戦でも藤黄の者が多く活躍している」
「そんなことまで纏めておられますの?」
「あまり根を詰めない方がいい。貴方は無理をし過ぎる」
「そうですわ。足りない部分は私たちがお支え致しますから、どうぞもう少しお楽になさいませ」
賢木がぼそりと呟く。
「過保護」
「喧しいですわ!」
すかさず堅香子の怒声が飛んだ。
さて、蔵人頭は王の秘書官の様なものである。
朝廷百官からの様々な声を直接に王に届ける役目をも担っている。
今は王では無く女東宮へだ。
政務の時間は清涼殿に居る榠樝だが、私的な時間は飛香舎で寛いでいることが多い。
実際には寛ぐどころか色々頭を悩ませていて、休んでいる訳では無いのだが。
「右大将からの書状にございます」
蔵人頭菖蒲霜野は紫雲英の叔父でもある。
榠樝の側近くで幾らか寛いだ様子の甥をちらりと見、微妙な表情で目を逸らせた。
甥ばかりか地下の陰陽師まで側に置いて、立場上色々と言いたいこともあるのだが、取り敢えずこの場は黙って控えている。
紫雲英が女東宮に重用されれば。若しくは婿となれば。
引いては菖蒲の家の為になる。
ぱらりと書状を開いた榠樝は素早く目を通した。
右大将藤黄南天の文は雑ではあるが読み易い。というか要点しか書いていないともいう。
榠樝は表情を改めた。
「清涼殿へ」
榠樝はすっくと立つと霜野に問う。
「右大将は内裏に?」
「は。まだ居られると」
「すぐ呼べ。話したい」
政務態勢に移行した榠樝は酷く凛々しい。
「賢木、傍に控えていよ。そなたの意見も聞きたい」
「御意」
賢木も仕事状態に移行した。
となれば堅香子らは頭を下げて見送るしかない。
清涼殿の東庇には既に摂政の蘇芳深雪と南天が控えていた。
「書状を読んだ。海のことにも構えたいそうだな」
昼御座から声を掛ければ南天はきりりと答えた。
「御意」
「征討軍の整備は進んでおるか」
「滞りなく」
「それだけでは足りぬか」
榠樝の声に少しの不安を感じたのだろう。南天は顔を上げ、少しだけ表情を和らげた。
「陸の備えは万全でも、我が国は海防が弱い。五雲国と事を構えるとなれば海の備えが要となります。杞憂に終わればそれでよいのですが」
南天の言葉に榠樝はふと引っ掛かりを覚える。
「左大将から何かあったか」
左大将蘇芳銀河は五雲国の正使を南の大宰府へと送り届け、都へ帰還の最中である。
「流石は女東宮。お見通しですか。北の大宰府からの報せでは海賊が暴れているそうです。」
「海賊」
「五雲国のものとも、どこのものとも知れませんが、島々を荒らして回っているらしく、近く我が国に至るかもしれません。無論、来ないかもしれませんが」
深雪が毎度の如く眉間に深い皺を寄せる。
「来るとも来ないともわからぬものに割く余力は無い筈」
だが、と深雪は続ける。
「余力が無くとも割かねばならぬ分だと存じます」
意外な言葉に榠樝も南天も深雪を見た。
「私とて武力を疎んじている訳ではない。無駄に民の不安を煽りたくないだけだ。だが、昨今の様子を見るに、無駄な備えとはならぬだろう。残念なことだがな」
南天も頷いた。
「そう。残念ながら。いつとはわかりません。ですが遅かれ早かれ必ず来る」
確かに過去幾度か、虹霓国は外国の襲撃を受けている。
いずれも退けているが、それが純粋に国軍の力故とは言えない所もある。
曰く、龍神の加護だとか、神風が吹いただとか。
古い話だけに正確な記録が残っていないというか、誇張された記録が正式な歴史として刻まれているので素直に読んでいいものか判断に困る。
沖に陣取った外国船団。そこを丁度よく大嵐が襲った。
大時化に見舞われた敵軍が海に没し大船団が全滅したとか、真とは思えぬような荒唐無稽な文章しか残っていないのだ。
「毎度龍神のご加護に頼るわけにもいかぬな」
榠樝は重々しく溜め息を吐く。
まったく、後から後から問題ばかりよくも湧いて出ることよ。
「海沿いの国府の兵ならば、船の扱いにも慣れていような。その辺りから徴発するのか。海防を手堅くとなれば砦を築くだけでは済むまい」
深雪と南天は顔を見合わせた。
「なんだ」
「いえ、随分と理解がお早いと」
榠樝は苦笑してみせた。
「そなたらの足を引っ張るばかりの女東宮では困るだろう。これでも日々学んでいる。東宮学士だけでは足りぬ故、大学寮にも便宜を図ってもらってな。まあ、そんなことはどうでもよい」
榠樝はきりりと宣言した。
「海の守りのこと、そなたらに任せる。疾く取り掛かれ。必要なものがあれば勅書を出そう。征討軍のこともある。重責だが、頼むぞ」
「御意」
深雪と南天は深く頭を垂れた。