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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第三章 重荷に小付け
30/116

 またあの白い夢。


 三度目である。




 榠樝(かりん)は深く溜息を吐いた。


 乳白色のゆらめく霧に灰青色の星の無い空。

 足元はふわふわと覚束(おぼつか)ない。



「なんなのよ」


 何か意味があるとでもいうのだろうか。


陰陽寮(おんみょうのりょう)に夢占頼んだ方が良いのかしら」



「頼んでも無駄だ。奴らにはわかるまいよ」



 急に降ってきた声に榠樝は驚いて飛び退こうとして失敗。

 後ろ向きに倒れそうになった所を支えられた。


「おっと。驚かせるつもりは、無くはなかったが、まあ、許せ」



 顔を上げれば至近距離に見覚えの無い男。



 年の頃は笹百合(ささゆり)と変わらないくらいだろうか。

 何よりも目を惹くのがその髪だった。


「珍しい色の髪ね。きれい」


 真珠色、とでもいうのだろうか。

 見方によって微妙に色が変わって見える、銀とも白ともつかぬ不思議な色合い。


 男はきょとんとした顔をした後、豪快に笑った。


「ははは!この髪が綺麗か!それはいい」


 何かおかしなことを言っただろうか。

 目を瞬く榠樝に男はまた笑った。



「ここは何処?そしてあなたは誰?」


「ここは夢の中。そして私は……」


 男は暫し考え、にかっと笑った。


夏彦(なつひこ)とでも呼ぶといい」


「夏彦……七夕の彦星?」


(さと)いな。賢い女子は好きだ」


 屈託なく頬に手を伸ばされ、榠樝は目を()いて今度こそ飛び退いた。


「な、な、なにをする!」


「つれないな、織姫」


「誰が織姫か!」



「私が夏彦。お前が織姫。丁度良かろう」



 む、と榠樝が眉を寄せる。


「勝手に決めるな。私にはちゃんと名が……」


 宣言しようとして榠樝は口を噤んだ。


 真名を明かすのはよくないとかなんとか、そんな感じのことを陰陽頭(おんみょうのかみ)が言っていたのを唐突に思い出したのだ。



「私をお前と呼ぶなら、私もあなたをお前と呼ぶが、宜しいか?」



「これは失礼」


 見たことの無い仕草をして見せる夏彦。

 きょとんとする榠樝に夏彦は簡潔に述べる。


「詫びの挨拶だ」


「ん。了解した。それと、織姫と呼んでも、まあ、いい」


「いいのか?」


「ここは夢の中なのでしょう。なら、今の私は私でなくてもいい」


 ふうん、と夏彦は目を細める。意地の悪い表情だった。



「琴を弾いただろう」



 唐突に言われ、榠樝は目を瞬く。


「琴?ああ、この前の夢。笛の音はあなた?」


「そうだ。あれで道が繋がった」


 よくわからない、と首を傾げると夏彦は笑う。


此方(こちら)の話だ。気にしなくていい。ただ、こうして話ができるとは思わなかったな。存外私とそなたは相性がいいのかもしれないぞ」


 ちょいちょいと手招く夏彦に近付くと隣に座らされた。

 甘い香りが鼻を突いて、榠樝は少し距離を開ける。


「どうした?」


「あなた、麝香(じゃこう)の香りが強いから。少し苦手なの」


 くん、と自分の匂いを嗅いで、夏彦は首を傾げた。


「鼻が良いな、織姫。私はあまり感じないぞ。だが確かに術式に麝香を使った覚えがある」


「あなたの術なの?」



夢渡(ゆめわたり)の法という。会いたい者と夢を繋ぐのだ」



「あなた、巫覡(ふげき)?」


 夏彦は目を細める。


「いや違う。が、似たようなものでもあるか。しかし、そこは私に会いたかったのかとでも聞くべきところだぞ織姫」


 榠樝は半眼になった。


「どこの世界にこんな小娘に会いたがって術まで使う人がいるのよ。誰かと間違えたのではなくて?」


「過小評価だぞ、織姫。そなたになら会いたい男の一人や二人や十人や二十人居るだろう」


「居ません。そんなに居たら困ります」


 夏彦ははははと笑った。


「そなたのような姫君は男に(かしず)かれているのが似合いかと思ったが、我が織姫はそうでもないのか」


「我がって何よ我がって」


「私の織姫。私のものだろう。夏彦なのだし」


「異議あり。私は私のものであって、誰のものでもありません」


 夏彦はまた笑った。




 ふと世界が揺らいだ。


「ん?ああ、頃合(ころあ)いか。そろそろ術が解ける。だがコツは掴んだ。また会おう」


 一方的に宣言し、夏彦は榠樝を抱き締めた。


「ぎゃあ!」


「ははは、なんとも色気の無い悲鳴だ。次は可愛らしくきゃあとでも言ってくれ」


「次は無い!!」


 視界が白んでぼやける。乳白色に染められて。








 目を開ければそこは飛香舎(ひぎょうしゃ)

 見慣れた自身の御帳台の天井だった。



「変な夢」



 身を起こせばふわりと麝香が香る。


 榠樝は顔を顰めた。

 夢の残り香にしてはやけにはっきりとし過ぎている。



 格子を上げに来た堅香子(かたかご)に不機嫌そうに榠樝は問うた。


「朝早くから麝香焚き染めた客でも来た?もしくは誰か泊っていった?」


 堅香子は目をぱちくり。


「いいえ。どうなさいました?……あら、麝香」


 すんすんと鼻を鳴らして堅香子が首を傾げた。


「あ、やっぱり気の所為じゃないわね」



「榠樝さまのご寝所に麝香を近付けたり致しませんとも。主人の嫌いな薫物(たきもの)をわざわざ焚くものですか」



 それはそう。榠樝も首を傾げる。


「何か変な夢を見たのよ。麝香の所為かしら」


 どこで付いたのだろう。覚えがない。


「陰陽寮に夢占をしてもらいましょうか」


「いや、そんな大層なことではないから」


 山桜桃(ゆすら)が文箱を抱えてやってきて、やはり首を傾げる。


「麝香?だけではないですわね。まさかと思いますが榠樝さま、誰ぞ忍んで参りませんでしたわね?」


「ないない。流石にそんなことがあったら真剣に身を守る(すべ)を考えるわ」


「ですわね……」




 榠樝の場合、夜這いの心配より刺客の心配である。

 別段武芸を修めたわけでもないただの少女である榠樝など、簡単に命を奪えるだろう。


 それでなくとも寝込みを襲われてはひとたまりもない。



 となれば、やはり夢の残り香か?



 どうにも腑に落ちない感じだが、そんなことは簡単に吹き飛ぶ。


 山桜桃が文箱を差し出したのだ。


左大将(さだいしょう)どのよりにございます」


「早いな」


 早速手に取る榠樝に、堅香子はめっと文箱を取り上げる。


「まずはお着換えなさってくださいまし」


「急ぎの案件だったら困るでしょう!」


「着替える(いとま)もないお話でしたらきっと直に使いを立てていらっしゃいます。それにもしもそうなら摂政(せっしょう)どのからも何かございましょう」


 む、と唇を尖らせたが、榠樝は大人しく従った。

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