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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第一章 空位時代
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 堅香子(かたかご)は足早に清涼殿(せいりょうでん)に向かう。

 案の定、そこにはまだ幾らか公卿(くぎょう)が残っていた。

 堅香子は公卿の中で一際(ひときわ)若く見える男に声を掛ける。


従兄弟(いとこ)殿」


 振り返った顔が柔らかく和んだ。

「堅香子か」

 先日、藤黄(とうおう)家当主に立ったばかりの、(たちばな)中納言(ちゅうなごん)である。

 六家当主の中では一等若い。

「何だ、と聞くのも野暮だな」

 文句を言いに来たのだとあからさまな堅香子の顔付きである。

 こめかみを掻く橘に、堅香子は盛大に溜め息を吐いた。


「女東宮のご即位より先に婿取とは、六家の皆さま方は何をお考えなのです」


 (けん)のある声に、橘はまたこめかみを掻いた。

「仕方なかろうよ。女東宮の後見がどこの家かで政局がだいぶ変わるからな」

 口にしたとて(せん)の無いことと思いながらも堅香子は呟く。

「女東宮のお気持ちよりも政局ですか」

 橘は静かに(うなず)く。


「女東宮であらせられるからな」


 堅香子にもわかっている。


 とある少女の気持ちなど、国の行く末に比べれば小さきことであるのだと。


「それでもわたくし敢えて申しますけれども。従兄弟殿くらい、女東宮のお気持ちを考えて差し上げてくださいませ。まだ十四の、父上を亡くされたばかりの姫君でございます」


「それを言われると辛い」

 橘は顔を顰めた。

 政略結婚である北の方、正妻とはあまり上手くいっていない。

 六家の一角を為す藤黄の次期当主として、恋仲を裂かれたのはそう昔の話でもないのだ。


「せめてもう一人二人、御子(みこ)が居られればなあ。女東宮のお立場とて、というか、そもそも内親王(ひめみこ)が東宮に立つことも無かったのに」


 堅香子が鼻の頭に皺を寄せた。


「それは前王陛下に言ってくださいませ」

「耳にタコであらせられたと思うがな」


 まさしくそれこそ詮無いこと。


 王が一人を寵愛し過ぎれば均衡(バランス)が崩れる。

 だがその辺り、前王の立ち居振る舞いは素晴らしかった。

 中宮を輩出した黒鳶家を殊更に贔屓することもなく、六家全てを丁重に扱った。

 そして重用しすぎることもなかった。


「実に頑固な方であらせられた。遂に一人も入内させなかったのだからな。菖蒲家ですらできなかった」


 代々、数々の王を輩出してきた菖蒲家の専横(せんおう)は鳴りを潜め、今や六家の立場は同等である。


 だが今はそれが却って宜しくない。


 並び立ってしまった六家。どの家も次に上に立つのは自分であろうと手薬煉(てぐすね)引いて待ち構えている。

 菖蒲、(はなだ)蘇芳(すおう)、藤黄、月白(つきしろ)黒鳶(くろとび)。虹霓国建国以来の名家。


「どの家が立ちそうなのです?」


 女東宮の婿がね。後の王配。国の頂に立つ存在。


「どの家も、だろう。抜きん出ているのは左大臣、じゃなかった、摂政さまの居られる蘇芳家だろうが、他はどう出るかまだわからん。だがどこの家も年頃の男子をどうにかして見繕って来るだろうな」


 堅香子は暫く黙考し、やがて嫌そうな顔になった。


「どうした」

「藤黄家は、やはり弟君のいずれかを?」


「その辺はわからん。南天(なんてん)では務まるまいが、茅花(つばな)もなあ……」


 藤黄家直系男子は三名。当主の橘、次男の南天、三男の茅花である。


 南天は現在、右近衛大将(うこのえのたいしょう)。近衛の長として辣腕(らつわん)を振るっている。


 ただし、辣腕なのは武辺(ぶへん)のみ。政治的能力は皆無。直情径行(ちょくじょうけいこう)でこそないものの、思慮に欠けるところがある。暗愚ではない。だが、賢明でもない。


 そして末弟茅花は、優しくはあるが軽薄で、全てにおいて頼りない。


 問題がありすぎる粗忽者(そこつもの)の弟たちを思い、橘は天を仰ぐ。


「まあ……藤黄(うち)は、な。(くら)べに出るには出るだろうがな……」


「無理でしょうね」


 藤黄の若君たちに王配たる器は無い。


 言い難い思いは、堅香子の同意と共にすっぱりと一刀両断された。


「だよなあ……」


 少々年齢差はあるものの、橘に妻子がなければ一番マシな候補の内の一人であっただろうにと、 口には出せぬ台詞を堅香子は溜め息と共に吐き出した。








「兄上、摂政就任おめでとう存じます」

「伯父上、おめでとう存じます」


 蘇芳家本邸では、深雪の弟であり蘇芳家当主である中納言の躑躅(つつじ)と、甥の紅雨(こうう)が深雪に祝杯を献じていた。


 深雪は蘇芳の第一子ではあるが嫡子(ちゃくし)ではなく、だが類い稀なる才覚を以て蘇芳家を導いていた。

 当主の座こそ弟に渡したが、それはもっと大きな目標があったからで。


 亡き王の良き相談相手であり、好敵手でもあった男。

 文武両道、品行方正。なによりも政治家としての才覚が抜きん出ていた。


 蘇芳家の深雪さえ居れば虹霓国は安泰と、誰もが口にする程に。


 若き頃の深雪は虹霓国の姫君たちから熱い視線を注がれ、また誰しもが婿に欲しがった男だった。



 だが、結局妻は娶らず、どこぞに子も作らず。ひたすらに政治一直線。


 噂では故中宮が入内(じゅだい)する前に懸想(けそう)していたとか、入内してからも思い続けていたのだとか、面白おかしく吹聴する者も居た。


 無論、そういった者たちは皆きれいに一掃されたのだが。


 兎に角、蘇芳深雪という男は女性関係において実に清廉潔白であった。


「蘇芳の未来は安泰でございますね」

「そうとも限らん」


 深雪は杯を置き、甥に目を遣った。


「紅雨、お前はいずれ王配となり虹霓国を支配せねばならん」


「はっ。心得ております」


 眉目秀麗。文武両道。若き頃の深雪に似ていると言われる。


 凛々しい面立ちにきびきびとした所作で姫君方の熱い視線を一心に受けている、次期蘇芳家当主でもある。


 どこか優し気な父の躑躅よりも、苛烈な伯父の深雪に似ていると言われる紅雨は、ある意味とても蘇芳家らしい男であった。


 身分は左兵衛権佐さひょうえのごんのすけとまだ高いとは言えないが、いずれは近衛少将(このえのしょうしょう)近衛中将(このえのちゅうじょう)、そして参議へと道は開かれている。


「王配の座、手に入れて御覧に入れます」


 自信に満ちた口調に、深雪は少し、躑躅は思い切り苦笑した。

「だが、女東宮は中々手強いぞ」

 昼御座から感じた強い視線を思い出し、深雪は笑みを深める。


「幼き頃より聡い方とは思っていたが」


 あれは父に似て一筋縄ではいかないだろう。

 そして恐らく母にも似ている。


「ご機嫌ですね、兄上」

「ふふ。面白くなりそうだと思ってな」


 まだ幼い面影の残る少女が、どう化けるか。

 百戦錬磨の六家を相手取り、どのように動くのか。


 どの目に、どの駒を持ってくるだろう。


 落胆させないでほしい気持ちと、苦しまず一息に仕留めてやりたい気持ちとが(せめ)ぎ合う。


 王族はとかく龍に譬えられる虹霓国だが、女東宮はまだ幼龍どころか泳ぐのさえやっとの鯉のようで。

 瀧を昇り切り、鯉が龍になる日が楽しみだ。

 それとも、途中で耐えられずに落ちていくのだろうか。


 鯉のままか。それとも。



 まだ見えぬ未来予想図に、深雪は珍しく上機嫌だった。



 その高揚した空気は弟と甥にも伝播(でんぱ)する。

 紅雨は幾らか酔いが回ってきたようで。


 ふわふわと浮ついた口調で、思わずだろう、常ならば決して口にせぬような台詞を吐いた。


「ですが伯父上とて北の方も居られぬのだし、寧ろ王配に相応しいのは伯父上なのでは?いや、それよりも王座に、」


「紅雨」


 慌てて(いさ)める躑躅だが、深雪は冷たい視線を甥に向ける。


 一瞬で空気が凍り付いた。


 圧迫感に息が詰まる。鼓動さえも止められそうだ。


「口が滑り過ぎたな。(いく)ら何でも十四の娘を妻になどと(たわ)けたことを申すな。そして何より」


 凄みのある重低音。


「王座になどと、二度と、口にするな」


 滅多にない本気の憤怒(ふんぬ)


「ご無礼仕りました」


 一気に酔いが醒めた紅雨は平伏し、許しを請う。

 首筋に冷たい汗が伝っていく。


「どこで間者(うかみ)の耳があることか。(わきま)えよ」


 躑躅が息子の肩を軽く叩いて叱り、取り成す。


「酔いを醒まして参れ」


「はっ。失礼致しまする」


 とっくに酔いなど醒め切っていた紅雨だが、これ以上この場には居られなかった。

 切り刻まれるかと思うくらいに、鋭い視線と口調だった。


 ただただ、圧倒的な威容(いよう)




 そそくさと退出した紅雨と入れ違いに、深雪のもう一人の弟が現れる。


「お邪魔でしたかな」


 木枯らし吹き(すさ)ぶような空気をものともせず、ひょいと首を竦めて見せた。


 衣冠の首元を(くつろ)げ、飄々とした佇まい。

 深雪は表情を幾らか緩め、首を振った。


「いや、そうでもない」


 左近衛大将、蘇芳銀河(ぎんが)



 蘇芳家の三兄弟は皆母親が違う。


 外見だけ見れば似ていない兄弟だ。


 殊更に仲が良い訳でもなく、かといって反目しあっている訳でもなく。

 それぞれに丁度良い距離を保っている。


 そのことが蘇芳家の立ち位置を盤石なものとしているともいえる。




「改めてお祝い申し上げる。摂政就任おめでとうございます」


「口先だけの祝いはいい。どうせめでたいなどとも思っていないだろう」


「ええ、まあ。王が亡くなられてめでたいも何も無い」


 しれっと同意し、銀河は紅雨の居た席に着く。


「それでも酒の一杯くらいは献じましょう、兄上」


 提子(ひさげ)から杯に溢れるほど酒を注ぎ、銀河はそっと目礼する。


 深雪はなんとも言い難い表情で杯を干した。



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