表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第三章 重荷に小付け
28/82

 意外にもすんなりと摂政、蘇芳深雪(すおうのみゆき)の許可は出た。


神泉苑(しんせんえん)ならば民の目にも届きます。人心の慰撫(いぶ)にも宜しいかと」


 なんと参加してくれるだけではなく手伝いまでも申し出た。


「良きお考えかと存じます。臣への心配りが行き届いておられる」


 滅多に無いことに褒められまでして、榠樝(かりん)は始終驚き通しだった。





 葱花輦(そうかれん)(葱坊主形の宝珠の飾りのついた輿)に揺られ神泉苑に着き、榠樝はほう、と溜め息を吐いた。


 見事に整えられている。


 軟障(ぜじょう)(壁代の上等なもの)が張り巡らされ、ゆらゆらと風にそよいでいるのが美しい。


 女東宮(にょとうぐう)の席として大床子(おおしょうじ)(ベンチのような腰掛け)が置かれ、上に(しとね)を敷き、菅円座(わろうだ)を置いてある。


 六家はそれぞれ幄舎(あくしゃ)(テント)を張り兀子(ごっし)(四脚の一人用腰掛け)を並べ、床子も誂えてある。


 池には竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船が二艘。


 大々的にも程がある。




 榠樝は少しばかり呆れを含んで深雪(みゆき)を見た。


「もう少し簡素なものを想像していた」


「女東宮の行幸(ぎょうこう)ともなれば簡素とはいきますまい。それに」


 深雪は警備の者の隙間からこちらを覗き見る民の姿を眺め、頷く。


「虹霓国は揺ぎ無き存在と示さねばなりませぬ(ゆえ)


 ほう、と榠樝は感嘆する。


「やはり流石だな、摂政。私もそなたのようになるにはあと幾年月掛かるやら」


 心からの賛辞に深雪は片眉を上げた。


「女東宮が私のようになられるのは到底無理でしょうな」


 あっさりと告げられ、がくりと肩を落とす榠樝だが、続く言葉に顔を跳ね上げた。



「貴方は私とはあまりにも違う。貴方なりの王を目指されよ」



「摂政、それは」


 勢い込んで聞く榠樝に、深雪は珍しいことにはっきりと笑った。


「まあ、百年早いと申し上げておきますが」


「う……」


 丁寧に礼をして、深雪は去り際に振り返って言う。


「そういえば女東宮も琴を演奏なさるとか。楽しみですな」




 榠樝は頭を抱えたくなった。

 衆人環視の中での演奏。


 とちったらどうしよう。








 六家の当主が入れ代わり立ち代わり挨拶に訪れる。

 外だからなのだろうか。朝廷よりも幾分柔らかく感じる。

 少しは気が緩んでいるのかもしれない。

 だとしたらよかった、と榠樝は表情を和らげる。



 月白凍星(つきしろのいてぼし)が息子の六花(りっか)を連れて挨拶に来た。


此度(こたび)は我が息六花をもお招き頂き、恐悦至極に存じます」


「うむ。そなたが六花か。面を上げよ」


 賢そうな男児がぴょこりと顔を上げた。


御意(ぎょい)を得ます、女東宮」


 にこりと笑う顔がなんとも可愛らしい。

 榠樝もつられて笑顔になった。


「元気になったそうだな。良かった。今日は楽しんで行くといい」


「はい。ありがとう存じます」


 ぺこりと頭を下げる(さま)がまた愛らしい。

 これは凍星が可愛がるのも無理はない。


 礼をして下がる六花に手を振って。

 榠樝は空を仰ぐ。雲一つない蒼穹。


「平穏無事がなによりだ」






 女東宮の婿がねたちの演奏があり、雅楽寮(うたりょう)舞人(まいと)たちによる舞が披露され、歓声があがり、拍手が鳴り止まぬ。


 竜頭鷁首の二対の船で同じく雅楽寮の楽人(がくと)たちが、天にも届きそうな素晴らしい楽を披露する。


 六家当主はそれぞれ得意の楽器を持ち寄り合奏。

 嚙み合わないどころか素晴らしい調和で。


 皆、大興奮だ。


 そして皆が盛り上がれば盛り上がる程、榠樝の緊張は高まっていく。



 堅香子(かたかご)がそっと酌をする。


「榠樝さま。お顔が引き攣っておられます」


「無理なかろ。この後私の演奏だぞ」


「大丈夫でございますよ。ほら、笑顔」


 にこりと引き攣った笑みを無理矢理浮かべてみても、中々面白いことにしかならなくて。


「まあ、神妙なお顔も(おもむき)がございますよ」


 慰めだか何だかわからないことを言って堅香子が下がる。


 榠樝は天を仰いだ。




 琴は王の楽器とも呼ばれる。


 また祭祀に用いられる神降ろしの楽器でもある。

 弾琴(だんきん)と神託には緊密な結び付きがあるとされている。

 とかく琴は虹霓国の王にとって特別な楽器なのだ。


 無我の境地で挑むしかない。



 御仏の教えにもあった。


 琴の糸は強く張り過ぎても、弱く張り過ぎても良い音は出ない。

 本当に良い音を出すためには、強過ぎず、弱過ぎず、丁度良く調整しなければならないのだ。

 力み過ぎても(たる)み過ぎても良い音は鳴らない。



 悶えているうちに出番である。


 榠樝は琴を前に小さく息を吸い、そうっと吐いた。

 手は震えていない。大丈夫、いつも通りに弾けばいい。





 澄み切った繊細な音が響く。


 いつの間にやら静まり返った神泉苑。

 だれもが榠樝の琴の音に耳を澄ましている。


 これでは呼吸(いき)の音さえも聞かれそうだな、と少し思った。


 雑念を捨てねば。榠樝はすっと表情を消した。

 神に届けと、ただそれだけを念じ、弾く。




 (しと)やかに、緩やかに。


 松の間を吹く風にも例えられる琴の音色。

 最初こそ頼り無く思われたが段々と力強く響きだす。



 そよ、と風が吹き始めた。



 まるで琴が風を呼んだかのようで、皆が琴を弾く女東宮、榠樝に注目する。


 榠樝は一心不乱に琴を掻き鳴らしている。


 本来これほど大きく琴の音が響くことは無いだろうに、どうしたことか辺り一面に音色が響き渡って。


 荘厳で怖ろしささえも感じる。




 雲一つなかった空が(にわ)かに曇り、霧雨が舞った。

 涼し気で、夏の空気を一掃するような清々しさ。




 そして、琴が止む。




 雲が晴れ、陽が差し込む。


「虹だ!」


 誰かが叫んだ。


 虹は瑞兆(ずいちょう)。龍神の祝福と(たた)えられるもの。


 (ざわ)めきは瞬く間に広がった。


 そして響動(どよ)めきが神泉苑を支配する。




万年(よろずよ)あられ!」




 誰かが叫んだ。


 いつまでもこの御代が続きますように。

 主に正月の唱言(となえごと)としてよく知られる。



「女東宮さま!」


「万年あられ!」


「龍神さま!」


「万年あられ!」


「虹霓国!」




 万年あられ!




 彼方此方で上がる声に、半ば呆然としながら榠樝は虹を見上げた。


 偶然だろう。


 たまたま霧雨が降って、たまたま虹が出た。


 それだけだ。




 けれど、榠樝は周りを見回す。


 龍神が榠樝を認めた証として虹が現れた。


 それは何よりの瑞兆で。


 跪く重臣らに、手を叩き喜び合う楽人(がくと)たち。

 誇らしげに真っ赤になって歓声を上げている婿がねたち。

 涙を流している堅香子に山桜桃(ゆすら)

 跳ね飛び騒ぎ躍る民。


 摂政が珍しく微笑んでいる。


 榠樝はほっとしたように口元を綻ばせた。


「よかった」


 皆が笑顔なのが、いい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ