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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第三章 重荷に小付け
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 五雲国(ごうんこく)の正使の訪問以来、虹霓国(こうげいこく)は大いに騒がしい。


 どこもかしこも蜂の巣をつついたような有り様で。




 陣定(じんのさだめ)も大いに荒れている。


 一刻も早く女東宮(にょとうぐう)の即位を望む声と、それよりも先に王配(おうはい)を決め、後見たる家を六家の何処とすべきかを決すべしとの声と。


 紛糾するだけで進展の無い状況に、誰もが苛立っている。




 市井はお祭り騒ぎで一見楽しげだが、そうでもしないと不安で仕方ないのだろう。


 征討軍(せいとうぐん)の整備は着々と整ってきている。


 検非違使(けびいし)も連日連夜(いとま)なく都を駆け回っている。




 榠樝(かりん)は連日送られて来る左大将蘇芳銀河(すおうのぎんが)からの報告書を何度も読み直しては東宮学士(とうぐうがくし)らに質問攻めだ。


 本当は摂政(せっしょう)である蘇芳深雪(みゆき)に訊くのが一番効率的なのだが、ただでさえきりきり舞いの彼の邪魔をしたくは無かった。




「せめて私がもう少し頼りになる存在だったなら」




 あと十年。父王が健在だったなら。


 何度も繰り返した台詞。


 有り得ぬことを繰り返し願っても時間の無駄だ。少しでも前に進まねば。


 皆が必死で生き残りの道を探っている時に、悠長に夢など見ていられはしない。






 だというのに。


 榠樝は眉間を抑えて溜息を吐いた。




 ここはきっと夢の中。


 辺り一面霧のような乳白色に覆われて、少し風が吹いているだろうか。揺らぎが見える。


 空は鈍い灰青色。星は無い。足下は霧掛かっていて見えない。


 遠くに東屋(あずまや)のようなものが見える。


 人影がある。

 背格好までは判別がつかないが。








 そこまで。


 はっと榠樝は目覚める。


 御帳台の(かたびら)の端から堅香子(かたかご)が心配そうに覗き込んでいた。



「あれ?」


 いつの間に寝ていたのかしら。

 飛香舎(ひぎょうしゃ)に戻った記憶はないのだが。


 杜鵑花(さつき)が薬湯を差し出す。


「お倒れになられたのですよ」


 清涼殿でそのまま休ませるよりは普段の在所の方が良いだろうと運ばれたらしい。


「お気持ちを張り詰めすぎたのです。もう少し気楽に……は無理でございましょうけれど、どうか少しは息抜きなさってくださいませ」



 杜鵑花の薬湯を飲み干して、榠樝はがっくりと項垂(うなだ)れた。


「なんとも情けない。心構えからして足りない」


 涙を滲ませる榠樝に堅香子はぎゅっと手を握った。


「榠樝さまは十分過ぎるほどに頑張っておられます!」


「そうですわ。榠樝さまは少し息抜きをなさるべきですのよ」


 山桜桃(ゆすら)が果物を持って来た。


紫雲英(げんげ)どのからですわ。梨の良いのが手に入ったとか」


「もう仲直りしたの?」



 榠樝の台詞に山桜桃は片眉を上げた。



「あら、別に私紫雲英どのと仲違(なかたが)いなどしておりませんわよ。それより、お呼びしても?」


 ちらりと視線を流す山桜桃に榠樝は目を()く。


「来てるの?」


「お見舞いに飛んで来ましたわよ。ちゃんと土産も持参して」


「女東宮が倒れたと聞いて、若君方も(こぞ)ってお見舞いを」



「文とお品が山ほど」



 堅香子が指した方を見れば、(うずたか)く積まれる見舞いの品と文箱と結び文と他の何か。


「うわー。やらかした」


 倒れたのは清涼殿の昼御座(ひのおまし)。つまりは殿上間(てんじょうのま)のすぐ隣。


 多くの者が控えているその場での失態になる。


 頭を抱える榠樝の肩を堅香子がぽんぽんと優しく叩いて、山桜桃が梨の乗った皿を差し出す。


「お召し上がりください。毒見は私が済ませました」


「わかった。紫雲英を呼んで。礼も言いたい」


「畏まりました」




 山桜桃に呼ばれ、紫雲英が足早に飛んで来た。


「倒れたと聞いたが大丈夫なのですか。頭など打たなかっただろうか」


「痛い所も無いし、平気。ありがとう。梨美味しい」


 紫雲英はほっとしたように微笑む。


「良かった。梨は丁度荘園(しょうえん)から届いたんだ。甘そうなのを選んでもらった。口に合ったなら嬉しい。次は桃を持って来る」


 うんうん、と後ろで山桜桃が頷いている。



 二人を見比べ、榠樝が首を傾げると、紫雲英が顛末を簡潔に述べた。


「山桜桃は味方だ。信用していい。あと、貴方を(おとな)う時は必ず土産を持てと命じられた」


「失礼な。助言ですわよ」


 山桜桃は唇を尖らせると榠樝の前に平伏する。


「浅慮でございました。私の行動で榠樝さまに要らぬご心痛をお掛けしましたこと、心よりお詫び申し上げます。私は榠樝さまの味方です。従姉妹として、また臣としてお支えしたい一心で参りました。どうぞ、お傍に置いてくださいませ」


 榠樝は肩を竦めた。


黒鳶(くろとび)家からの間諜(うかみ)ではなかったのね」


「父上からは何も。伯父上が何やら申しておりましたが聞き流しました」


 山桜桃ははん、と鼻で笑って見せる。



「あー……うん。何となく察した」



 きっと夕菅(ゆうすげ)は山桜桃に遣り込められている。

 かつて榠樝の母がそうだったように、黒鳶もまた女が強い家なのだろう。


「榠樝さまの望まぬ話を実家に、いいえ、他所に漏らすことは致しませぬ。ええ、神掛けて」


 紫雲英が引き継ぐ。


「山桜桃は中々肝が据わっている。貴方の害にはなるまいよ」


 山桜桃が眉を寄せた。


「随分と生意気な物言いですわね」


「的確だと思うが?」



 丁々発止と遣り合う二人を見、次いで榠樝は堅香子と杜鵑花を見、笑う。


「良い取り合わせね。気も合いそう」


「合わん」

「合いませぬ」


 息もぴったりだと、その場の全員が思った。



「ところで、女東宮。気散(きさん)じになるかと思うのだが、管弦の(うたげ)なり開いてはどうだろう」


 紫雲英が良い、山桜桃が(うなず)く。


「皆さま息を詰めてばかりでは参ってしまいます。この際摂政どのをも巻き込んで大々的に気晴らしの宴を開いては?」


 榠樝が流石に苦笑した。


「怒られないかしら」


「摂政どのとて息抜きは必要かと存じますわ」


 堅香子の言葉に杜鵑花も頷く。


「五雲国の一件以来、皆さま気が張り詰めておられます。硬く張り詰めた枝に力を加えれば、簡単に折れてしまう。力を抜く機会が必要と存じます」


(もっと)もな言い分ね。私が言ったとて、軽くあしらわれてしまうかもしれないけど。いいわ。可能な限り人を呼びましょう。まずは何処で開こうか」


神泉苑(しんせんえん)は如何です?」


 堅香子が言う。



行幸(ぎょうこう)か」



 神泉苑は大内裏の外に大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園として造営された。


 節会(せちえ)の幾つかはここで行われ、大内裏の外とはいえ隣り合っているし、気持ちとしてもとても近しい。


「良いのではないか?大々的にしてしまおう。相撲節会(すまひのせちえ)も結局行われないと聞いたし。……小規模には行うのだったか?いや、定かではないが」


 紫雲英の台詞に榠樝が眉を寄せる。大々的にか。


「その場合、叱られるのは私なのだが」




 相撲節会だけでなく、幾つかの公式行事も今年はひどく簡略化された。


 (ひとえ)に五雲国の正使の所為である。




 毎年の行事を楽しみにしていた皆、民を含めての気が消沈しているのは事実だ。


「蘇芳紅雨(こうう)を巻き込んでしまえ。あれは気に喰わぬ男だが、使い勝手が良いと思う」


 使い勝手ときたか。榠樝が鼻の頭に皺を寄せて笑う。


「紫雲英の言い方は棘があるわねえ」


 紫雲英はひょいと肩を竦めてしれっと言ってのける。


「あれを巻き込めば蘇芳当主の躑躅(つつじ)どのが摂政どのに(いなや)を言わせまいよ。大層甘いと聞く」


「良い考えと存じますわ」


「山桜桃まで」


 乗り気である。



「黒鳶は私が動かしましょう。菖蒲家は紫雲英どの」


「承った」


 何とも心地よい速度での遣り取りに榠樝は苦笑する。


 紫雲英と山桜桃はやはりとても気が合いそうだ。指摘したら怒られるだろうけれど。


「堅香子どのは藤黄(とうおう)家を動かしてくださいませ」


「まあ、榠樝さまのお誘いとあらば飛んで来そうなのが二人ばかりおりますので簡単だとは思います」


「では後は(はなだ)月白(つきしろ)ですわね」


 榠樝が難しそうに唇を噛んだ。


「縹は笹百合に頼んでみるとして、月白はどうする。虎杖(いたどり)はどうにも消極的だし……」




「あの、」




 杜鵑花がそうっと挙手をする。


「うん?」


六花(りっか)さまは如何でしょう」


 月白の末子、六花。身体が弱いことと当主の凍星(いてぼし)(こと)(ほか)可愛がっているということで有名である。


「近頃はお出ましになる機会も増えたとかで、だいぶ健康になられたようですよ。典薬寮(てんやくのりょう)で定期的に薬をお届けしているのですが最近はそれも減ってきておりますし」


「六花か。管弦の宴なら楽しめるかしら。舞人(まいと)とか手配して」


「宜しゅうございますね」


「楽しそうになってきた。いっそ船など浮かべてみるか」


竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の?」




 きゃっきゃと楽しそうな皆を見、榠樝は一抹の不安を覚える。


 大丈夫なのだろうか。


 摂政に特大の大目玉を食らう気がひしひしとしている。



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