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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第三章 重荷に小付け
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 その日、朝から朝廷は大騒ぎだった。


 何とほぼ百年振りに、五雲国(ごうんこく)からの正使(せいし)が都に来るというのだ。


 清涼殿(せいりょうでん)は大いに揺れた。



「南の大宰府(だざいふ)からの報告は確かなのか」


大宰帥(だざいのそち)は何と」


 摂政蘇芳深雪(すおうのみゆき)は厳しい顔で報告を聞いている。


 右大臣菖蒲紫苑(あやめのしおん)は真っ青。


 左右近衛大将さうのこのえのたいしょう蘇芳銀河(すおうのぎんが)藤黄南天(とうおうのなんてん)は厳めしい顔で何やら小声で話している。


 女東宮榠樝(かりん)はこそこそと手元の冊子を捲っている。


 勉強したことを(さら)っておかねば。

 御前定(ごぜんさだめ)迂闊(うかつ)なことをいう訳にはいかない。



「申し上げます。五雲国よりの正使は女東宮への拝謁(はいえつ)を願っております」



 深雪が顔を顰める。


「そのようなこと出来るはずが無かろう」


「仰せの通り。大宰府でもそのように申し伝えた所、せめて親書(しんしょ)は正使の手にて都にお届け参らせたいとのことで」


 榠樝は頭を抱えた。


 ただでさえ手一杯の所へ狙い澄ましたように、とんでもない手を放り込んできた。


「摂政、私が会う訳にはいかぬ」


 そのくらいはわかっていたか、とでも言いたげな深雪だが、勿論口には出さずに頷いた。


「仰せの通り。仮に親書を受け取るにしろ、私が相手を致します」


「頼む」



 何とも頼もしいことよ。



 榠樝は苦々しく思う。こんなにも、私では心許(こころもと)ないのに。

 深雪に任せておけば大丈夫だという確信めいたものがある。


 これが摂政か。これが蘇芳深雪の底力か。


 ぴりりと痛い視線が刺さり、顔を上げれば真っ直ぐ南天と目が合った。


 こうなる前に征討軍(せいとうぐん)を整えて置きたかったのだろう。銀河も検非違使別当(けびいしべっとう)黒鳶野茨(くろとびののいばら)も同じような表情だ。


 三人からの請願(せいがん)に答えを出す前に事が動いてしまった。


 痛恨の極みだ。


 だがまだ、手遅れでは無い筈。そうであってくれ、と榠樝は祈るような気持ちでいた。


「摂政」


 榠樝の低い呼び掛けに深雪が片眉を上げた。


「は」


「征討軍の整備を、左右近衛大将に命じる」


「女東宮!」


 各所から声が上がる。



 歓迎の声と反対の声とは、同じくらい多い。



「できるだけ穏便に、だが急げ」


「御意」


「仰せのままに」


 銀河と南天は揃って(こうべ)を垂れた。


「検非違使別当、そなたは都の警邏(けいら)を増やせ。治安悪化を防ぐのだ」


「承知仕りました」


 野茨は平伏。




 深雪は何とも言い難い表情をしていた。




 榠樝は深雪にそっと視線を遣る。


「そなたにすべて任せていたら、と考えぬこともない」


 深雪に一瞬の動揺が走った。




 本当に。

 敏腕の摂政にすべてを任せていたならば。


 もしかしたら今この時にも動揺せずに対処ができたのかもしれない。


 けれど。


「だが、最善を尽くす。どうか支えてほしい」


 榠樝の言葉に深雪は真っ直ぐに強い眼光を向けた。




 榠樝は目を逸らさない。

 逸らせばきっと、深雪は榠樝を見限る。


 こんなことで揺れているようでは王たるに不足だ。



 暫くの睨み合いの後、深雪はそっと(こうべ)を垂れた。


「仰せの通りに」










 それからの日々は会議会議裁決会議裁決、と目まぐるしく過ぎた。


 百年ぶりの椿事(ちんじ)に都は沸いた。


 皆、五雲国からの正使など昔話にしか聞いたことがないのである。

 それが見られるとあって、大路はまるで祭のよう。いや、それ以上か。


 羽目を外す者たちを片っ端から検非違使が捕えては(ごく)に繋いでいるが、どうにも止まりはしない。


 都職(としき)(都を地区毎に管理する役職)も総動員して検非違使の補佐に当たらせるが、それでも足りない。


 その熱は大内裏(だいだいり)まで届いている。



「別当様、そろそろ獄が溢れそうです」


 野茨は額に青筋を立てて駆け回っては指示を飛ばしていて。


 その喧噪(けんそう)の隙間を縫って、左右近衛大将は征討軍の編成を進めている。


 都だけでは足りない人手を国府や荘園から募り、着々と形になって来ているという。


 幾ら何でも早過ぎないかと榠樝は思うのだが、銀河と南天は(あらかじ)徴発(ちょうはつ)に備えて各々の家の荘園らに使いを出していたという。




「抜かりないな」


 榠樝が悔しそうに顔を歪めた。

 力不足を目の前に突き付けられているのだ。苦い顔にもなる。


 堅香子(かたかご)山桜桃(ゆすら)がそっと慰めてくれた。


「南天どのはそういう方面には異常に鼻が利くのです。あれはもう獣の域です。普通の人間はどうやったって勝てませんわ」


「父上を始め、皆さま日々研鑽を積んでおられるのです。経験の(あたい)がそもそも違うのです。お気を落とされますな」




 その通り。その通りではあるのだ。


 わかっている。それでも。


 何度目だろう。榠樝はその言葉を口にする。




「……足りない」




 いつも、いつも。大事な時にいつも。

 榠樝には時間も経験も力も。


 何もかもが足りないのだ。




「しっかりなさいませ」


 山桜桃が榠樝の肩を揺らした。




「女東宮。榠樝さま。誓約(うけい)は成されました。貴方は王に相応しい。自信をお持ちください」




 榠樝の眼が山桜桃を捉える。


 扁桃(アーモンド)型の眼の中に、泣きそうな自分の顔が映っていて。


 榠樝はぱしんと両頬を叩いた。




「榠樝さま!」


 堅香子が吃驚(びっくり)して榠樝の手を抑える。


「気合入れなきゃね」


 頬を赤く腫らして、榠樝は幾分しっかりした声で応えた。


腑抜(ふぬ)けている場合では無いわ。私は私の役割をしっかりとこなさなくては」


「その意気ですわ」


 山桜桃が嬉しそうに頷き、堅香子が同意を込めて拳を握った。



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