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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第三章 重荷に小付け
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 逢ふまではゆめゆめ死なずと思へども燃えむ心にこの身は焦げなむ


 貴方にお逢いするまでは決して死ねないと思ったけれど、燃え盛る心にこの身は焦げてしまうでしょう。



 蛍のごとく燃えたる心が目に見えば君もあはれと少しや思はむ


 蛍のように燃えているこの恋心が目に見えたならば、貴方も少しは憐れとおもってくれるでしょうか。



 君思ひ恋に燃えたる我がさまを思ふ心をいかで見せむや


 貴方を思って恋に燃えているこの私の姿を、思う心を、どうやって貴方に見せたらよいのでしょうか。どうしたらこの恋心が貴方に伝わるのでしょう。




「いや、伝わってるのよ。伝わってるから困ってるのよ」


 榠樝(かりん)は頭を抱えている。


 三首とも蘇芳紅雨(すおうのこうう)からの恋歌である。最後の歌は中々良い、などと思い始めている自分に喝を入れたい榠樝であった。


 (ほだ)されるな。必要なのは恋心ではなく、共に立てる存在だ。



 とはいえ榠樝も十四の乙女。恋歌を贈られれば少なからず心は揺れ動くのである。


 しかも連日凝った薄様(うすよう)紙で流麗な文字で書かれた恋歌を季節の花に添えて。


 ときめかないはずがあろうか。いやない。






 そんな夏のある日。飛香舎(ひぎょうしゃ)にて。


 榠樝(かりん)の前に(ぬか)づくのは黒鳶山桜桃(くろとびのゆすら)。黒鳶家当主夕菅(ゆうすげ)の姪、野茨(のいばら)の娘。


 早い話が榠樝の母方の従姉妹である。



 杜若(かきつばた)のかさねの女房装束がとても鮮やかに似合っている。


女東宮(にょとうぐう)におかれましてはご機嫌麗しく」


 やや低めの声におや、と榠樝は思った。


「久しいな、山桜桃。何年振りであろうか」


 記憶にあったのは、確かにお互い女童(めのわらわ)の頃のことで。


 今は昔となってしまった日々。


「私が十の頃でございましたので、ざっと八年ほどでございましょうか」


「そんなになるか」


 山桜桃は扁桃(アーモンド)の実のような丸い目を細めて笑う。


 年上だが猫のようで可愛らしい人だ。


「あの頃の女東宮はようやく笑顔を見せてくださるようになられて」


 そう。母を亡くしてまだ二年。

 あの頃はまだ前のようには笑えなかった。


 それに比べて今は強くなったものだ。

 父を亡くしてまだ数か月だというのに。


 ふっと榠樝の瞳に影が差す。


 それでも。

 もっともっと強くならねばならない。



「先日の小弓合(こゆみあわせ)のことを耳にしました」


 山桜桃の言葉に榠樝は意識を過去から引き戻した。


誓約(うけい)をなされたとか」


「うむ」


 少々やってしまった感があるのだが、何にせよ。


 榠樝の願いは龍神に届いた。

 王たる器であると神に認められた。


 それはこの上ない強みである。



「つきましては私、女東宮にお仕えしたいと思いまして」



「はあ?」


 思わず品の無い返事をしてしまい、榠樝は咳払いして誤魔化した。


「本気か?六家の姫が宮仕えなどと」


 堅香子は母親が藤黄(とうおう)の姫だが父親は受領であり参議ですらない。

 黒鳶本家次男の娘、山桜桃とは格が違う。


「前例が無い訳では御座いませんでしょう?」


「いや、妃がねでなければ無かったと思うが……」


 山桜桃はくすりと笑った。やはり猫のようで可愛らしい。


「何故、と思われますか」


「それはそうだろう」


 頷く榠樝に山桜桃がすっと(こうべ)を垂れた。


「いずれ王たる榠樝さまのお役に立ちたいと思います。何といっても当家は花時(はなどき)どのを筆頭に、男子が(ことごと)く頼りなくございますれば」


 (ぬか)づき、山桜桃は言う。


「黒鳶家にどうか御慈悲を」






 ともかく帰らないと言う山桜桃に慌てて(つぼね)(しつら)えて。

 堅香子(かたかご)杜鵑花(さつき)は額を突き合わせてひそひそ話。


 杜鵑花は飛香舎へ向かう途中を捕獲されたのである。



「どう思う?」


「どうってやっぱり怪しいと申しましょうか、普通ではありませんよね」


「そうよねえ」


 山桜桃に聞かれてはまずいので渡殿(わたどの)での秘密会議だ。


 流石に妙齢の男子を自身の局に引っ張り込むのは控えた堅香子である。


 とはいえ、渡殿に人の往来が無い訳がない。

 通り掛かった浅沙(あさざ)に怪訝な顔をされてしまった。


「お二人で何をなさっておいでなのです」


 堅香子は眉を跳ね上げる。


「そういうあなたこそ、何処へ」



 自分の倒れていた間に榠樝に取り入った女官ということで、堅香子は若干浅沙を目の敵にしている節があるのだ。



 杜鵑花が苦笑を堪えた。まるで猫の威嚇の様相だ。


尚侍(ないしのかみ)さまの命で女東宮へ削り()を」


 浅沙の台詞に堅香子が目を()く。


「では早く参りましょう。溶けてしまっては大変!」




 削り氷とは、文字通り削り砕いた氷を銀の器に盛り、その上から甘葛煎(あまずらせん)や蜂蜜を掛けて食すものである。いわゆるかき氷だ。


 この頃、貴族であっても滅多に口にできるものでは無い。




「女東宮へ、尚侍より削り氷でございます。銀器でございますれば、毒の心配は無いかと」


 榠樝に高坏(たかつき)を差し出し、浅沙はちらりと杜鵑花を見る。

 杜鵑花も頷いた。


「銀ですから、毒がありましたらば反応して黒くなります」


 あの毒殺未遂事件以来、榠樝の食器は銀器が使われている。

 献上される品も毒見を経て、銀器に盛られる。更に使うのは銀の(はし)、銀の(さじ)だ。



「さ、さ。榠樝さま召し上がれ」


 榠樝は促されるままに削り氷を口に含んだ。

 さぁっと溶けてなくなる冷たさと甘さはたまらない。

 にっこりと笑みの形を作った唇に、三人は視線を交わしてにこにこと頷き合う。



「ところで黒鳶の姫君が女東宮の御側(おそば)に上がられたというのは(まこと)ですか」


 堅香子が目を細める。


「相変わらず早耳(はやみみ)ですわー。何処から仕入れましたの。つい先程の事ですわよ」


(じゃ)の道は(へび)と申しますでしょう」


 ほほほほほと牽制(けんせい)し合う女二人に、榠樝と杜鵑花はやれやれと首を振った。


「相変わらず仲が悪いのだな」


「はい」


「いいえ」


 榠樝の言葉に同時に正反対の答えを返す。

 そして二人顔を見合わせて、また逸らす。


「私は別に。ですが堅香子どのが私を気に入らぬようですね」


「あら、全然自分は悪くないみたいな言い方なさならないで。わたくしを悪者になさりたいの?」



 割と相性は良いのではないかと榠樝などは思うのだが。

 二人は年齢差もあるので、確かに合わない所も多かろうけれど。



 しゃくしゃくと氷を()んでいる間も、言い争いは続いている。


「だいたいまだお仕えすると決まった訳ではありませんのよ。帰らないと(おっしゃ)るから仕方なしに局を設えただけで」


「おや、そうなのですか」


 まんまと乗せられて情報を渡してしまっている。

 歳の分だけ浅沙が上手(うわて)だ。


「まあ、よい。大方(おおかた)私が誰を選ぶか探りに来たのだろう」


 それは確かに誰もが気になる所ではある。


「実際どうなのです?」


 堅香子が水を向けると榠樝は匙を(くわ)えたまま首を振る。


「はしたのうございますよ」


「食べてる途中で()くのが悪い」


「ご(もっと)も」


 堅香子は平伏した。




 最後の一滴まで飲み干して。

 榠樝は満足げに匙を置いた。



「美味しかった」


「ようございました。尚侍も喜びましょう」


 浅沙が優しく微笑む。


「何かと気忙(きぜわ)しい女東宮の御心が少しでも安らげばと申しておりました」


「尚侍にありがとうと伝えておいて」


「畏まりました」


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