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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第二章 無知の知
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 それから、菖蒲紫雲英(あやめのげんげ)足繫(あししげ)飛香舎(ひぎょうしゃ)へ通うようになった。


 蘇芳紅雨(すおうのこうう)が一歩抜きん出たかに見えた婿がねの(くら)べは、一気に菖蒲が抜き返し、他の追随(ついずい)を許さぬ速さで先を行く。


 というのが世間の評判である。



 無論堅香子(かたかご)は知っている。


 紫雲英は榠樝(かりん)と碁と(まつりごと)の話がしたくて来るのだ。


 甘い雰囲気など欠片も無い。



「政略結婚ですけれども。もう少しこう、何かないんですか」


 榠樝と紫雲英は顔を見合わせ、同じ角度で首を傾げた。


「仮に紫雲英が王配になっても、遣り易いかなとは思うわね」


「仮に私が選ばれたなら、無論全力を()してお支え申し上げるつもりであるが」


「ただ、そうすると六家でまた菖蒲が専横を図るのかしら?」


 ちらりと榠樝が流し目を遣る。

 紫雲英は真っ向から受け止めて首を振った。


「そのようなことはさせぬ、と断言出来たらよいのですが、そこまでの力はまだ私には」


「正直なのが紫雲英の良い所ね」


「お褒め頂き恐悦至極」


「うむ」



 仲は良い。確かに仲は良いのだが。


 はあ、と堅香子が溜め息を吐く。




「そういえば榠樝さま、紫雲英どの。藤黄(うち)茅花(つばな)どのから提案なのですが、榠樝さまにお出まし頂いて、婿がねで小弓合(こゆみあわせ)など如何かと」


「小弓合。いいじゃない。楽し気で」


 榠樝が肯くのに、紫雲英は少し眉を顰めた。


「茅花どのといえば小弓はかなりお得意の筈。なるほど、点数を稼ぎに来たか」


 榠樝が扇をひらりと返す。


「紫雲英、あなたは他より一歩、先んじてると思ってるかもしれないけれど、まだまだ決定打には欠けるのだということを肝に銘じて置いて」


 紫雲英はふふんと鼻で笑った。


「言われずとも。無論小弓合であっても他の者に負ける気はありません」


 段々態度が図々しくなってきた。本来の紫雲英の性質(さが)なのだろう。


 却って心地良い、と榠樝は言うが堅香子は不満である。

 猫被ってるよりマシ。とは榠樝の談だ。









 そして、大方の予想通り。


 小弓合は藤黄茅花(とうおうのつばな)が一等だった。

 幾度も的のど真ん中を貫いて。


 きゃっきゃとはしゃぐ榠樝を見、嬉し()な茅花と不機嫌な紫雲英。そして蘇芳紅雨。


 縹笹百合(はなだのささゆり)は相変わらず静かに微笑んでいる。


 見る方もなし、となっているのが月白虎杖(つきしろのいたどり)黒鳶花時(くろとびのはなどき)である。


 流石の月白凍星(いてぼし)も黒鳶夕菅(ゆうすげ)も目を覆っていた。


「褒美を取らせる。藤黄茅花、参れ」


「はい!」


 元気よく茅花が進み出て、榠樝は衣を肩に掛けてやる。


 上気した頬ときらきら輝く眸が犬のよう。

 可愛らしいと榠樝は微笑んで、茅花は耳まで赤くなった。


 それを見、紅雨が思い切り顔を顰めた。



 先日の蹴鞠会で蘇芳が一歩、碁で菖蒲が、小弓合で藤黄がそれぞれ一歩ずつ並んだ。


 六家それぞれの当主たちはまずまずの結果と見ているらしいが、縹苧環(おだまき)は息子の笹百合にそっと視線を投げた。


 お前はいいのかい、とでも言いたげに。


 それに気付いた笹百合がそっと肯くように頭を下げた。



 笹百合は、榠樝が笑っていてくれるなら、それでいいのだ。



「昔から欲の無い子であったけれど」


 小さく零れた苧環の言葉に藤黄(たちばな)が少し小首を傾げる。


「笹百合どのですか?見事でしたね。今回ばかりは我が弟の方が一歩勝っていたかもしれませんが、次は笹百合どのかもしれません」


「ふふ、それは分に過ぎたるお言葉を。茅花どのは百発百中ですか。ほぼ真ん中でしたね」


「弟は気分に左右される性質(たち)でして。今は調子に乗り過ぎていて、お恥ずかしい」


「いやいや、元気で宜しい」


 言う側から、茅花と紅雨が小競り合いを始めている。



「では誓約(うけい)をしようではないか!」



「望むところだ!望みを言って矢を射よう」


 ぎょっとしたのは蘇芳躑躅(つつじ)と橘だ。


「何をしている、紅雨!女東宮の御前であるぞ!」


「茅花!調子に乗り過ぎだ!」


 二人慌ててそれぞれ息子と弟を押さえに走る。

 榠樝は面白そうに眺めている。

 六家当主が慌てふためく姿など、到底見られるものでは無い。


「いいえ、父上!今日こそは思い知らせて遣らねばなりません!」


「橘兄上、これは男として退いちゃいけない勝負だよ!」


 鼻息荒く訴える紅雨に、毛を逆立てた猫のような茅花。

 ぎゃあぎゃあと争う(さま)に榠樝は(のたま)う。



「よいぞ。遣って見せよ。そなたらは何を願う?」



 軽く投げた言葉だったが、真っ向から男子二人の熱を帯びた強い視線を浴びて。


 榠樝は目を瞬いた。


 傍らの堅香子に、扇の影でそっと問う。


「もしかして、これ、マズい感じ?」


「火に油注いじゃいましたね」


 堅香子はやれやれと首を振る。


「紫雲英どので完全に油断してましたでしょ。榠樝さま、婿がねとは文字通り婿の候補。婿とは夫君です。榠樝さまを妻にと望んでいる殿御(とのご)たちの争いなのですよ」


 紫雲英(あの方)が例外なのです、と改めて、噛んで含めるように言われて。


 榠樝は血の気が引くのを感じた。



「では」


 と紅雨が狩衣を片肌脱ぐ。

 弓を引き、宣言する。


「我、女東宮の婿たらば、この弓当たれ」


 ひゅっと榠樝が喉を鳴らす。


 矢は真っ直ぐに飛び、けれど的を外れる。


 次は茅花。目を閉じ、すっと表情を消した。

 再び目を開けた時には別人のような真剣な目で。


「俺が女東宮の婿になるなら、この矢当たれ!」


 ビィンと鳴弦のように音を響かせ、矢が放たれる。


 榠樝は目を瞠って、視線を外さない。


 矢は、同じく的を外した。




 ほっとしたように吐息する榠樝に、堅香子が何とも言えない顔を向けた。



「どなただったら、当たって欲しいのですか?」


 榠樝はちらりと流し目をくれるが何も言わず、また前を向いた。


 どきどきと心臓が早鐘のようだ。苦しくて頭がずきずきする。


 気分が悪い。


 ぎり、と榠樝は奥歯を噛みしめる。




 私が男だったなら。


 もしも女東宮などという特殊な立場ではなく、ただの東宮であったなら。




 何とも言い難い感情が胃の腑の辺りに(くすぶ)っている。


 すっくと榠樝は立ち上がり、袴の裾を翻し前に出た。


「女東宮?!」


 止める声に耳も貸さず、榠樝は庭に降りた。


 堅香子が慌てて駆け寄る。


 榠樝は前を、的を見据えて言った。




「弓を。私も誓約を」




 するりと袿を脱ぐ。


 単袴姿で大勢のしかも男性の前に立つなど、正気の沙汰とも思えない。


 だが榠樝はどこまでも本気だった。


「なりません、榠樝さま!」


 笹百合がそっと堅香子を抑える。



「お望みのままに」



 弓矢を差し出し、笹百合はそっと(ひざまず)いて(こうべ)を垂れた。


 笹百合を見つめ、頷いて。

 榠樝は的を見据える。




 近くて遠い距離。見えるのに届かない。




「私が王に足る器ならば」


 皆の視線を一身に集め、榠樝は弓を引いた。




「この矢、当たれ」




 矢が放たれた。


 真っ直ぐに、揺らぎもせずに飛んでいく。




 花時は思う。


 昔幼子の頃、小弓が引けずに地団太踏んで怒っていた女童(めのわらわ)が、今やこんなにも立派に。


 けれどまさか、当たりはすまいと思っていた。




 榠樝がふ、と息を吐く音が聞こえた。


 皆が皆、全員、息を止めて見入っていた。




「誓約はなされた」




 透き通るような声で、榠樝は宣言する。


 矢は的の中心を(たが)わず射抜いていた。



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