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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第二章 無知の知
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 蹴鞠会(けまりえ)から少し経って、縹笹百合(はなだのささゆり)から(ふみ)が届いた。


 内容はなんということもない。



 久し振りにお目に掛れたけれど、どうやら健やかそうで安心した、と。

 当たり障りのないこと。

 添えられた花は(おうち)。文に焚き染められた香と合わせて、(しと)やかで涼し気だ。



 堅香子(かたかご)が嬉しそうに文箱を渡す。


「ようございましたね、榠樝(かりん)さま。恋文ですか?」


「そんなんじゃないわよ」


 呆れたように笑う榠樝に、堅香子は唇を尖らせた。


「蹴鞠会でおめもじが叶ったのですから、皆さまどんどんばんばん恋文を送って来て(しか)るべきだと思うのですよ」


「なにそれ」


「積極的に恋心を訴えて榠樝さまに対する想いをですね」



「堅香子、これ、政略結婚。恋心とか無い」



「なんて味気ないことを仰いますやら!恋に落としてこそです!落としましょう!積極的に!」


 榠樝は思い切り苦笑した。


「味方に取り込むのに、恋心は確かに有効かもしれないけど、私そんなに手練手管(てれんてくだ)()けてるわけじゃないのよ」


「味方に、というだけでは無くて」


 堅香子はそっと吐息する。


「榠樝さまが心から頼りにできる方ができることを祈っているのです」


 脇息(きょうそく)に持たれて、榠樝は少し意地悪く目を細めた。


「恋に落ちて、よ?貴方しか見えないわ。すべて摂政(せっしょう)に任せて、私たちは好きに暮らしましょう。とか、そんな展開嫌よ」


「まあ、そこまで榠樝さまをめろめろにできる殿方が居るとも思えませんけど」


何気(なにげ)にひどいこと言ってる」


 お互い顔を見合わせて肩を竦めて。




女東宮(にょとうぐう)。文が参りました」


 淡い藤色の薄様(うすよう)紙の結び文を杜鵑花(ほととぎす)の綻びかけの蕾に沿えて。


 女官がそっと捧げ持ち、堅香子に渡す。




「まあまあ榠樝さま、菖蒲紫雲英(あやめのげんげ)どのからですわ」




 ぱらりと開くと、整った几帳面な文字が並んでいた。

 思わず笑みが零れる。字は人となりを表すもの。


 きっと本人も割と堅苦しいのだろう。


「恋のお歌ですか?」


「ううん、果たし状」


「まあ、果たし……果たし状?!」


 目を()く堅香子にぺらりと文を掲げて見せる。

 ざっと目を通した堅香子はどんどん険しい表情になっていく。


「これは……まあ、果たし状と申しましょうか、挑戦状?」



 要約するなら、貴方と碁の手合わせがしたいので都合の良い時を教えてください。伺いたい。



 直球勝負。


 くすくすと榠樝は笑った。楽し気である。


「蹴鞠会で蘇芳紅雨(すおうのこうう)が一歩抜きん出たからね。菖蒲としては見過ごせないのでしょう」


 堅香子は文に目を通し、溜め息を吐く。


「紫雲英どのは榠樝さまと勝負したいと」


「そういうことらしい」


「駄目です、だめ。そんな気安く女東宮の御許(おもと)へ参ろうだなんて許せませんわ」


「そお?いいんじゃないかと思うけど」


「榠樝さま!そんな気軽に男性の(おとな)いを許すなどあるまじきことですわ!」


南天(なんてん)は呼んだのに?」


 堅香子がぐっと唸った。


「碁の勝負など、御簾(みす)越しどころか、几帳(きちょう)も隔てぬではありませんか!」


 榠樝が肩を竦める。

 南天もそうだった、と言っても堅香子は承知しないだろう。


「下心とか無いと思うわよ。たぶん私の見る目が無いって怒ってる感じ」


 蘇芳が被け物を賜ったのが、菖蒲は余程腹に据えかねたのだろう。

 紫雲英も確かに素晴らしい鞠足(まりあし)であった。


 ただ、紅雨がそれよりも抜きん出ていたというだけ。


 けれどあの場において、蘇芳が菖蒲に差をつけたという事実は消せない。



 二番手では駄目なのだ。



「まあ、わたくしの知る限り、菖蒲紫雲英どのはそういう卑怯であったり狡猾であったりするような手段は用いぬ方ではありますけれど」


 例えば榠樝に近付いて、力尽くで想いを遂げるとか、(はずかし)めて言うことを聞かせるとか。そういうことは絶対にない。清廉潔白な人。


 誰に聞いてもそういう答が返って来るだろう人だった。


 榠樝は面白そうに文台(ぶんだい)に頬杖をつく。


「いいじゃない。受けましょう、勝負」


 堅香子は眉を下げた。



「榠樝さまは確かにお強いですが、紫雲英どのは向かう所敵無しの腕前と聞きますよ」



 榠樝は目を瞬く。


「そんなに強いの?」


大凡(おおよそ)、負けたことが無いとまで」


「まあ。それは是非戦いたいわね」


 楽し気な榠樝に堅香子は溜め息を吐く。


「わたくしに負ける事すらある榠樝さまが勝てるとは思えぬお相手ですが、宜しいので?」


「いいのよ。別に私が負けたら紫雲英を選ばなければいけないとかいう約束は無いのだし」


 今にも返事を書きそうな榠樝を何とか留め、堅香子は提案した。


「まずは練習を致しませんと。負けるにも完膚(かんぷ)なきまでに負けてはなりません」


「それはそうね。誰ぞ囲碁の上手を呼びましょうか」



「縹笹百合どのにお願いなさいませ」



 榠樝は半眼になった。


「堅香子は縹贔屓(びいき)ね」


 乗り気ではない榠樝に堅香子は言い募る。


「笹百合どのも碁上手だと聞き及んでおりますわ」


「私よりは強いわ。昔の話だけど」


 たぶん、五年くらい笹百合と碁はしていない。双六はあったが。


「折角の機会です。お会いすべきです」


「紫雲英との対応と正反対のこと言ってる自覚ある?」


「お相手が違いますから」




 榠樝は困ったように視線を揺らす。


 会いたいけれど、会いたくない。

 きっと甘えてしまうから。



「甘えておしまいなさい」


 心を読んだような堅香子の台詞に榠樝はぎょっと目を剥いた。


「兄君のようにも、思ってらしたと先日仰せになられました」


 何度か言葉を選んで、唇を開いたり閉じたり。


 榠樝は迷いながらも口にした。


「兄上としてなら。妹として碁の相手をお願いするなら、贔屓にならないかしら」


「なりません」


 ならなくはない。


 が、堅香子はなんとしても榠樝の幸せを手に入れたかった。

 多少小狡い手段を用いても、だ。



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