五
そんな折、成州では歴史的珍事が起こった。
大寒波が大雪を齎したのである。
春だ。
他の州に比べ、成州の春は早い。
だというのに。
季節は逆戻りし、嘗てない寒さを運んで来た。
雪など見たことも無い人々が、呆然と立ち尽くす。
寒さに耐えられるだけの衣服も無く、凍死するものが相次いだ。
戦死した者たちを弔う暇もなく、次々と人が死んでいく。
絶望した成州を、更に地震が襲った。
崩れ落ちる家屋。逃げ惑う人々。
このままでは皆、死んでしまう。
此処にあるのは絶望だけだ。
そして成州以外の地でも異常気象が起こり始める。
北方では夏日が続き、井戸が干上がった。
水を求め、各地で諍いが起こっている。
かと思えば西ではかつて無い豪雨が降り注ぐ。
洪水が起こり、人も家も流されて。
途方に暮れる以外に何ができようか。
「これは神々の嘆きです。大地を血に染めたことを、神々が嘆き悲しんでいる」
「即刻祭祀を行うべきです。怨念を浄化し、荒ぶる魂を鎮めねばなりません」
虹霓国の卜部たちが声を上げ、奏上。
国王、玄秋霜にその言葉は届いた。
だが、宰相会議は動かない。
虹霓国使節団の神職たちは、今にも爆発しそうな怒りを抱えていた。
こんなにも神の憤りを身近に感じたことは無い。
いますぐにでも祭祀を行うべきである。
できないのなら虹霓国へと帰国すべきだ。
「このままでは更なる天変地異が五雲国を襲いましょう。王都康安とて壊滅するやもしれません」
卜部の一人、木賊雛菊は真っ青な顔で月白凍星に進言した。
「月白太傅さま、真赭長官さま、浅葱次官さま。手遅れになる前に帰国なさるべきです。ここは危ない。これ以上の穢れは人の身には耐えられません」
神部の淡香久利は、もはや立っているのさえやっとの有様。
皆、ぐったりと顔を曇らせている。
凍星は真赭万由三と浅葱佐々介を見た。
二人共厳しい顔で凍星の決定を待っている。
ここで帰国すれば、虹霓国は五雲国を見捨てたと後ろ指をさされるかもしれない。
だが、いずれ滅びる国に義理立てしても益は無い。
口を開こうとしたその時、巫覡の裏葉小菊が飛び上がるように立ち上がった。
傀儡子めいた動きで、小菊は凍星らの前に踊り出て。
「処刑はならぬ。これ以上の血はいらぬ」
少女の口から零れた声は、低い男のものだった。
神託。
「ならぬ。いらぬ」
神職たちが慌てて跪き、頭を垂れる。
小菊はくるくると舞い踊り、糸が切れたようにぱたりと床に倒れた。
小菊を抱き上げ、濡羽柏が凍星を見上げる。
他の者も皆、凍星を見た。
凍星は瞼を閉じ、ひとつ息を吐く。
腹は決まった。
「五雲国王に、申し上げて来る」
「お供致します」
長官の真赭万由三、神部の狩安宿花を供に、凍星は足早に麟徳殿を飛び出した。
まさに宰相会議は白熱し、今にも苔星河の処刑が決されようとしていた。
止める禁衛を振り切って、凍星らは会議に乱入する。
「無礼であろう。会議中であるぞ」
「実に以て仰せの通り。ですが火急の用件にございまして、どうぞ一時のお目溢しを頂きたく存じます」
その場に膝をつく凍星に、鶯皚雪は眉を寄せた。
普段の凍星なら、このような振る舞いをするはずが無いことは、この場の誰もが知っている。
よくわきまえた虹霓国の大輔。
それが、皆が抱く月白凍星の印象だ。
国王、玄秋霜は一つ咳払いをする。
「許す。申せ。何があった」
凍星は顔を上げ、言上する。
「処刑はなりません」
ただ一言。
だが宰相たちの眉間に深い皺が刻まれた。
「内政干渉であるぞ」
「控えられませ」
「同盟国と謂えど、許されぬことかと」
しかし。
玄秋霜は怪訝そうに眉を寄せる。
「処刑はならぬと言ったな。何故、今処刑の話をしていたとわかった?」
宰相たちが騒めいた。
確かに。
議題はこの場に居る七人と、書類を纏めた数名に、護衛の禁衛しか知らぬこと。
それをどのようにして漏れ聞いたのか。
そう問う前に凍星は告げる。
「神託がございました」
ぞっとしたように宰相の一人が顔を引き攣らせる。
人ならざるものを見るような、悍ましい目付きだった。
神部、狩安宿花が顔を上げ、挑むように宣言する。
「処刑はならぬ。これ以上の血はいらぬ。男神の託宣にございます」
神の名乗りは無かった。
だが、明らかな意志のある声であった。
玄秋霜は眉を寄せ、鶯皚雪は口元を歪める。
鶯宰相は王をまっすぐに見据え、言った。
「反乱の首謀者を生かせば、再びの戦乱の火種となりましょう」
「だが、託宣があったのだぞ」
「苔星河はただの罪人ではございませぬ。国家の大罪人ですぞ!」
宿花は敢えて声を張り上げた。
「しかし、民の無念の象徴でもございます」
この場での弁えぬ発言は、罰されるどころか、即刻の処刑もあり得る。
凍星がひやりと背筋を冷やした。
宿花の双眸は光り、此の世ならぬ所を見ているようだ。
神威。
虹霓国では稀に見る出来事だが、五雲国では奇妙な振る舞いの、頭のおかしい人物としか映るまい。
「ここで彼の者を処すれば、更なる神々の嘆きを招きます。これ以上の血を流せば、神々の嘆きは怒りへと変わる」
静かではあるが、強い言葉。
宰相のひとりが、気圧されたようにごくりと喉を鳴らした。
鶯宰相は忌々し気に袖を振るった。
「神々が怒ったとして、何が起こるというのだ!」
宿花は顔を上げ、宣言した。
「厄災が地を覆い、天は涙を流します。詳細をお望みであれば、卜占を致しましょう」
玄秋霜は考え込み、鶯宰相ら一派はせせら笑う。
宿花の言葉は、世迷言としか捉えられなかった。
「天変地異と反乱の鎮圧に何の関係があると云うのです」
「信じられませぬな」
宰相たちは次々と宿花に言葉をぶつける。
「神々が本当に怒っているというのなら、その証を見せてみよ」
鶯宰相が言い放つ。
そして、その直後。
大地震が康安を襲った。