一
五雲国南部に位置する成州の鳴珂県。
この地もやはり旱魃の影響は大きい。
五月の今時分なら、本来雨季の真っ只中のはず。
冬に植えた小麦の収穫、水稲の田植えの始まる季節でもある。
だというのに、雨はほとんど降る様子も無く。
湿潤な筈の空気は乾き、小麦の穂は風にはかなく揺らぐばかりの貧相な有り様で。
水稲の苗も萎れて元気が無い。
これでは税どころか、自分たちが食べていく分さえ危ういというのに。
「せめて今年は見逃してください! 収める麦も無いのです。米を作るにも、若い男たちを連れて行かれては……!」
「決められたことだ。逆らえば捕えるぞ」
苔星河の住む少艾村にも国境警備の防人を徴兵する兵らが訪れ、片っ端から召し取っていく。
「お願い、父ちゃんを連れて行かないで! 母ちゃん病気なんだ! おれとばあちゃんだけじゃ、畑が、」
無理矢理に腕を引っ張られた父親に、子供が追い縋った。
兵は忌々し気に舌打ちする。
「うるさい! あっちへ行ってろ」
「きゃっ!」
子供が突き飛ばされ、転がった。
星河は慌てて子供を助け起こし、兵に食って掛かる。
ついでとばかりに父親を子供の方へ押しやった。
子供は父親にしがみ付く。
「子供に暴力は止めろよ!」
「何だ?逆らう気か!」
「やめろ、星河!」
父親、丹青圭が慌てて星河を止めるが、星河は首を横に振った。
「別に逆らっちゃいないだろ!暴力は止めろって言っただけだ」
「生意気な!」
「星河にいちゃん!」
兵は剣を振り上げると、星河目掛けて躊躇い無く振り下ろした。
星河は難なく避けると兵の腕を取り、逆に地面に押さえつける。
鮮やかな手並みであった。
「怪我したらどうすんだよ」
溜め息を吐く星河に、兵は激昂した。
然もありなん。
兵士が一農民に簡単に取り押さえられてどうする。
呼子の笛を鳴らし仲間を呼ぶと、みっともなく喚き散らした。
「構わん、斬り捨てろ!政府に逆らう不届き者だ!」
そこからは大乱闘。
助けようと、或いは止めようとしたのだろうけれど、もうどうにも手のつけられない状態になってしまっていて。
剣を振るう兵士たちに鍬や鋤で応戦する村人。
鍋をぶん投げるおかみさんに、石を投げる老女。
めちゃくちゃである。
結果として、村人の勝利。
兵士たちを少艾村から追い出して。
そう。追い出してしまって。
村人たちは途方に暮れたのだった。
「どーすんだよ、これ」
「いや、どーすんだよ、じゃねえよ。お前だろう最初に手ェ出したの」
ぱかんと頭を叩かれ、星河はがりがりと髪を掻きむしった。
「やっぱり俺が頭下げに行くしかねえよな。村長に謝って一緒に詫びて貰うわ」
「いや、そうはいかん」
「村長? と、隣村の? あれ、大雲村の爺さんもじゃねえすか」
村長と連れ立って。
隣村どころか近隣の村々の者までが集まって来た。
「皆さんお揃いで。どうしたんすか」
きょとんとした表情の星河に、二緑村の長が溜め息を吐いた。
「どうしたもこうしたもあるかい! お前さんが起こした騒ぎで、こちとら村中大騒ぎだよ!」
「はぁ、すんません。今、それで詫び入れに行こうと思って……」
少艾村の村長、錆潭月は重々しく首を振り、星河の両肩に手を置いた。
深い溜め息。
「無理だな」
「いや、無理ってなんすか」
「お前は斬首だろうよ」
「いくらなんでもいきなりそれは無いんじゃあ……」
顔を引き攣らせる星河に、潭月は首を振る。
「お前が伸した奴な、県令の縁者だ」
しかも権力を笠に着る性質であるという。
おまけに執念深い。
「下手すりゃ村ごと焼き討ちだよ」
流石に星河の顔色が変わった。
「お前の首級ひとつで事ァ収まる。大人しく死んでくれ」
潭月はそう言うと、深々と溜息を吐いた。
それはもう、腹の底から深々と。
「つー訳にもいかんだろ。仕方ねえ。腹括れ」
「……………は?」
潭月は星河の両肩を掴んだ手に、痛いくらいの力を込める。
ぎりぎりと肉に食い込みそうな程だ。
「なあ、星河。俺たちゃ散々我慢してきた。税だってなんとかかんとか収めてきた。今まで、出来る限りのことはしてきたよな?」
「は、あ。そうっすね」
「だがもうお終いだ。これ以上無理難題を押し付けられて堪るかってんだ。青圭ンとこも嫁さんが大変なのに、働き手取られちゃ生きて行けねえ」
潭月は近隣の村々の長らを見回し、少艾村の皆々を見回し、言った。
「お前たちもそうだろう! 俺ァこれ以上は我慢ならねえ!」
そうだ! と、呼応する声がそこかしこから挙がった。
熱気が渦巻いている。
星河は目を瞬いた。
何が起こっているんだ。
自分一人が首級を差し出せば済む話ではないのか。
「星河!」
「はい!」
急に至近距離で怒鳴られ、星河は目を剥く。
潭月はぎらぎらと燃えるような双眸で、力強く、言った。
「お前のおかげで目が覚めた。俺たちゃ、やるぜ!お上に文句のひとつも言ってやろうじゃねえか!」
応!
大地が震えた気がした。
場が一気に高揚する。
それぞれが思い思いに拳を突き上げ、叫ぶ。
星河は呆然と、盛り上がる周囲を見詰める。
これは。
謀叛だ。
朝廷に背いて兵を上げるのは、重罪どころの騒ぎではない。
逆賊として、一族郎党処刑されても仕方がない程の罪だ。
「ちょ、村長、落ち着いて。俺がクビ差し出しゃあ収まる話でしょう!」
潭月は星河の頭を容赦なく拳骨で殴った。
眼から星が飛び出そうだった。
「俺はもう、我慢ならねえって言ったんだよ。そして、お前を殺させるつもりもねえ。お前がやらなきゃ俺がやってた。」
「でも村長、村が全部焼けちまう……!」
「そうさせねえ為にてめえが頑張るんだろうが!」
「はあ?!」
泣きそうな星河に、潭月はもう一度ガツンと拳を喰らわせる。
「この村で一番喧嘩が上手ぇのはお前だ。この郷でも、たぶん県でも、きっとお前が一番強え。だからお前が引っ張ってくんだよ!」
呆然とする星河に、皆が頷いた。
「あんたにならついてくぜ!」
「昔取った杵柄だ。わしもやれるぞ!」
「星河、やってやろうじゃねえか!」
星河は肩を落とした。
「村長……。俺、兵士つっても、前に下っ端やったことあるだけっすよ……」
「大丈夫だ。俺は隊長経験者だ。指揮は補佐なら多少はできらァ」
「じゃあ村長がやりゃあいいじゃねえですか」
「俺じゃ駄目なんだよ!」
潭月は両手でぱんと星河の頬を挟むように叩いた。
とても痛かった。
「いいか、星河。お前はそういう星の元に生まれたんだ。こうなる運命だった。もう、こうなったからには腹ァ据えて、一丁ぶちかませ!」
星河の一件は契機となったに過ぎない。
止まない旱魃。
それでも課される重税に徴発。
民の不満は限界まで溜まっていた。
苔星河は性根が真っ直ぐな若者だった。
人々に慕われ、腕っぷしも強く、弱きを助け強きをくじく。
そういう気質の男だった。
そんな彼を慕い、周囲の村々も呼応する。
五雲国成州、鳴珂県の一角、少艾村。
今ここに、叛乱の烽火が上がる。




