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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第十章 多事多端
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 大明宮(たいめいきゅう)の第三正殿である紫宸殿。

 つまりは王の座所にて。

 玄秋霜(げんしゅうそう)は悩んでいた。


 雨乞いのことだ。


 一ヶ所だけでは到底足りはしない。旱魃は五雲国(ごうんこく)全土に広がっている。

 川が干上がったという報告もある。

 だが、虹霓国(こうげいこく)の者にばかり頼るのは良くないと、朝廷の貴族派からは不満が出ている。


「効果のある雨乞いなぞ、できる者が五雲国に居るというのか」


 居る訳が無い。

 神の声を聞くことのできる虹霓国の者あってこその御業だ。

 それでもすんなりと雨が降った訳ではない。


 ただでさえ貴族派は、自分たちには無い異能(ちから)を毛嫌いする者が多いのだ。

 得体の知れない迷信とまで言う者さえ居る。


 だが、それは王族をもを否定する言葉でもあると、わかっているのかいないのか。


 五雲国において、神の加護を得た者は滅多に存在しない。

 自称するものや神秘の家系の者は居らぬわけでは無いが、その力を使いこなせるのは、ほぼ王族のみ。


 秋霜は二二人の兄弟姉妹が居るが、必ずしも全員が神秘の力を使えるわけでも無い。


 今現在の五雲国で、最も神秘に近い王族は秋霜の異母妹、花魁(かかい)である。

 それでも虹霓国の巫覡にすら敵わないだろう。


 花魁を長に立て、天霄殿(てんしょうでん)、大明宮に於いての神殿にあたるが、そこで雨乞いを行わせるか。

 いや、雨が降らなかった場合、王族の評判が地に落ちかねない。

 秋霜はいらついていた。

 机をトントンと指先で叩く音が徐々に大きくなっていく。


 それを掻き消すように扉が叩かれた。


「入れ」


 現れたのは曙草(しょそう)。兄弟姉妹の中ではそれなりに気心の知れた異母弟だ。


 裏を返せば兄弟姉妹といえども信頼が置けるわけでは無い。

 何しろ秋霜自身、兄に殺されかかった身だ。

 返り討ったからこそ、今こうして王座についているわけだが。


「兄上、菘藍湖(すうらんこ)が干上がりそうです」

 

 曙草の言葉に秋霜は耳を疑った。

 菘藍湖は康安の西、以州(ししゅう)にある湖だ。

 風光明媚で、また涸れない湖として知られている。

 底無しであるとか、竜宮に続いているとか、湖底で海に繋がっているとか。

 理由は不明だが、とにかくどんな旱魃でも涸れない湖のはずであった。

 少なくとも五百年は涸れたことが無いと名高い湖であった。


 その菘藍湖が。


「干上がるだと?」


 曙草の引き攣った顔を見れば、冗談で無いことはわかる。


「やはり虹霓国の者たちを派遣して、雨乞いをさせるべきかと」


鶯皚雪(おうがいせつ)が良い顔をしないだろう」


 鶯皚雪は虹霓国排斥派の領袖(りょうしゅう)であり、異能を毛嫌いする筆頭でもある。

 その上、六人居る宰相の一人だ。


 五雲国において重要政策は宰相の合議によって決定される。

 細かいことはさて置き、鶯皚雪は重鎮であり、国王派と対立する貴族派の旗頭だ。

 事あるごとに秋霜と対立している。


「でしたら花魁を長に立てればよいのです。名目上でも王族が長とした部隊であれば嫌とは言いますまい」


「似たようなことを考えていた。考えてはいたが……」


「とにかく未曾有の出来事です。菘藍湖が涸れれば天命に背く王として、革命が起きかねませんよ」


 秋霜は鼻の頭に皺を寄せる。


「そんな時ばかり神秘を引き合いに出すのだろうな」


「ええ。普段は顧みもしないでしょうにね。とにかく虹霓国を頼みにしましょう。他に誰が頼れましょうか」


「そう簡単なものでもない。ただでさえ虹霓国の厚遇には風当たりが強い」


 曙草はなんでもないことのようにさらりと、その言葉を口にした。


「属国にしてしまえば命令し放題ですのに」


 秋霜は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる。


「それができないからの同盟だろう。本末転倒なことを言うな」


 曙草は不満気に唇を尖らせるが、本当は彼もわかっている。


 虹霓国に下手な手出しをしてはならない。


「まさか本物の神秘の国だったとは。私は話半分でございましたよ。雨乞いどころか、王が祈れば、雨が降らぬことも止まぬことも無いのだとか」


 ですが、と曙草は続ける。


「であればこそ、使えるものは使うべきです」


 曙草が力説する中、秘書省の長官である秘書監(ひしょかん)が山ほど書類を抱えて現れた。


「陛下、州公たちからも不満が寄せられております。旱魃が想定よりも酷く、収穫が見込めぬ田畑も多いようで。農民たちの不満が鬱屈しております。反乱が起きかねません。というか、もう起こっております」


「何処だ」


(とう)吉量(きつりょう)県某郷のとある里だそうで、既に県令によって鎮圧された模様」


「やはりすべきです。雨乞い」


「雨乞いですか。此度(こたび)彼らが赴いたのは椒房(しょうぼう)郷でしたか。効果は有ったようですね」


 曙草が力説し、秘書監も頷く。

 秋霜は口元を歪めた。


「簡単に言いおって。宰相会議をすんなり通ると思うか」


「なんとかなさるのが陛下のお役目かと」


 にこりと笑う秘書監、茘白月(れいはくげつ)


「いっそのこと三省六部に加えて雨部など作ってしまえば良いのでは。尚書に花魁殿下、侍郎に虹霓国の月白凍星を据えるとか」


「白月、お前相当に無茶苦茶言うのだな」

「良いと存じます。雨部」


 秋霜と曙草の声が重なった。

 秋霜はこめかみを揉み解し、曙草と白月とを交互に見、長く長く溜め息を吐いた。


「言うは易く行うは難しだぞ。わかって言ってるだろうお前たち」


「鶯宰相は否を唱えるでしょうが、他の五宰相も追随すると決めてかからなくともよいのでは?」


 白月はにこりと笑う。

 その横で曙草も同じような表情で笑った。

 秋霜は深く溜息を吐き、顔を上げ、指を組んで顎を乗せた。


「では根回しを頼めるか」


 白月と曙草は揃って拱手(きょうしゅ)礼をとった。


「お任せを」

「早速取り掛かります」




 二人が去った部屋で、秋霜は書状を放り投げたい気持ちになった。

 一斉に降り注ぐ紙の束は、さぞや優美に舞い散るだろう。

 やらないけど。


「雨乞いのことは榠樝に訊くか……」


 今夜、夢渡の術を使おう。

 椅子に凭れ天井を仰ぎ、秋霜は呟く。


「榠樝……」


 仕事のことも(しがらみ)のことも何もかも放り出して。

 逢いたい。触れたい。


 抱き締めたい。




 霧のような乳白色。空は鈍い灰青色。

 星は無く、少し風がある。

 いつもの東屋(あずまや)にて。


 榠樝(かりん)は目を瞬き、不思議そうに訊いた。


「どうした。疲れているのか」


 秋霜(しゅうそう)はどこか迷い子のような表情で榠樝を見上げる。


「抱き締めていいか?」

「駄目だ」


 榠樝の即答に苦笑して。


「だと思った」


 秋霜は(きざはし)から脚を放り出す。

 いつになく雑な所作に、榠樝がおっかなびっくり横に座る。


「何があった」

「何かあったか、じゃないんだな」


「何かあったのはわかる。どうした。困りごとか」


 重ねて問う榠樝に、秋霜は小首を傾げる。


「報告は行ってるか?雨乞いのことだ」

「うん。王都の近くの農村だろう。旱魃が酷いらしいな」


 秋霜は少し言葉に迷う。

 どこまで話すべきか、計りかねているのだろう。

 榠樝も榠樝で、どこまで話すか迷っている。


「今年の旱魃は(けた)外れに酷くてな」

「うん」


 秋霜が話し出して。

 榠樝は向き直り、真剣に聞く体制を取った。


「国家祭祀として雨乞いをすべきではないかという話も出ている。出ているが……」


 榠樝が頷いて先を促す。

 秋霜はぺろりと唇を湿らせた。


「虹霓国の力を借りぬと成せぬ。だが、虹霓国を厚遇することに不満を持つ者も多い。少なくないどころか、朝廷を二分する程だ」


「そんなにか」


 流石に驚いた。


「いや、それもそうか。唯一の同盟国だものな」


 虹霓国の他はすべて属国。

 五雲国は支配する側であらねばならない。


「そこだけではない。神秘の力を毛嫌いする者が、朝廷内にこれまた多い」


「そうなのか?!こちらでは尊ばれこそするが……いや、そうでもないか。己が見えぬモノに、人は恐怖を抱くからな。神威は畏怖される存在だ」


「そちらでも偏見があるのか」


「尊ばれるからこそ恐れもされる。触らぬ神に祟りなしとか言うぞ」


「そうか。だが、五雲国はそれ以上だろう。王族以外は霊力の類いを行使してはならぬという考えが一般的だ。異能(ちから)を顕現した者は、ほぼ例外なく神殿に入れられる。そして解放されることは無い。籠の鳥だな」


 榠樝が顔を顰めた。


「まあ、そんな具合でな。雨乞いをするにも不都合が多い。いっそ雨乞いをする職を作ってしまえという意見もある」


 榠樝が苦笑した。


「それはまた、極端から極端に走ったな」


「私もそう思う。そしてだ、仮に雨部と呼ぶが、雨部の長官に私の妹を任じ、副官に月白凍星を据えてはどうかという案もある」


 思いもよらぬことに、榠樝は声も出せぬほど驚いた。



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