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虹霓国の女東宮  作者: 浮田葉子
第一章 空位時代
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 菖蒲(あやめ)家では、当主紫苑(しおん)とその姉雪野(ゆきの)、つまりは紫雲英(げんげ)の伯母が、跡取り息子の紫雲英を前に、懇々(こんこん)と諭していた。


 紫雲英の狩衣は壺菫のかさね。紫と薄緑とが目にも涼やかだ。


「お前の役目は他の家より先んじて女東宮(にょとうぐう)にお認め頂くことだ。わかっているな」


「承知しております」


「我ら菖蒲の悲願でありますよ、紫雲英。しかと心得るように」


「は」


 静かに返しながら、紫雲英は何度も聞いたと言いたいのを堪えた。



 今日だけで五回目だ。



 冷ややかな眼差しをつい、と横に流す。流石に聞き飽きた。


 父も、伯母も、叔母たちもみな。

 紫雲英が生まれるより遥か昔から王家に連なることを夢見ている。

 それは祖父の代より前からのことで。


 気の長い話だ。


 紫雲英は溜め息を吐きたいのを堪え、そっと吐息で誤魔化した。



「近々、女東宮にお目通りする機会を持とうと六家で話し合っている。管弦の宴か、花見の宴か、とにかくだ、そこで必ずお目に止めて頂くのだ。蘇芳に後れをとってはならぬ」


「畏まりました」


 切れ長の目を細めて、丁寧に会釈。

 そしてそのまま退出しようとして、止められる。


「まだ話は終わってはおらぬぞ。紫雲英、お前は菖蒲家次期当主として、」



「父上」



 静かに遮る紫雲英に気圧され、紫苑は一瞬息を呑んだ。


「次期当主たるべく、鍛錬に行きたいのですが宜しゅうございますか」


 疑問の体を取ってはいるが、宣言である。


「う、うむ。励めよ」


「は」


 そして今度こそ。御簾を押し上げ、出て行った。


 まだ十七歳というのに、貫禄で負けている気さえする。

 紫苑は深々と溜息を吐いた。


「我が息子ながら、よくわからん……」


 雪野が眉間に皺を寄せる。


「そなたの妻の教育がなっていないのではないかしら?」


「いやいや姉上、そのようなことは」



 紫苑の子は娘ばかり。それ(ゆえ)一人息子の紫雲英はそれはそれは大切に育てられたのだが、姉妹に揉まれた所為か、はたまた生まれつきの(さが)か、中々気難しいところがある。


 才気煥発(さいきかんぱつ)さ故に、若手の貴族の中では一目も二目も置かれると、周囲の評価も高い。いささか才気走った様子も見られるが情に厚く、職場の式部省(しきぶのしょう)でも好かれているという。


 だが慇懃無礼(いんぎんぶれい)といおうか、口が過ぎるのが玉に(きず)で。



「顔は姉妹たちより一等美しいのだがなあ」


 紫苑はぽつりと零す。


「何ですって?」


「いいえ何も」


 紫雲英の余計な一言は父親譲りなのかもしれない。


「紫苑、そなたにも色々言うことがあります。菖蒲の当主として少々脇が甘いのではないかしら。蘇芳に後れを取ってはなりませぬよ。ましてや他の家になど」


「心得ております、姉上」


 そして雪野の長い説教が始まる。



 逃げ出したい、と紫苑は思った。


 実のところ菖蒲家は当主の紫苑よりも姉の雪野の方が権勢を振るっている。












 一方の(はなだ)家。


 直衣(のうし)の首元を寛げて、当主の苧環(おだまき)がふわりと微笑んだ。

 秘色(ひそく)のかさねが麗しい。

 苧環は中年といえる年齢なのだが全くそうは見えない。


「気が進まなければ、断って良いのだよ」


 寧ろ年を経るごとに、年齢だけでなく性別までも不詳になってきた気がする苧環である。


 兄の笹百合(ささゆり)はそんな父親の台詞に苦笑し、弟の風花(かざはな)は溜め息を吐いた。


「父上は本当に淡白でいらっしゃるから」


「欲が無いですねえ」


 兄弟の言い分に、柔らかく微笑む苧環。


「それはお前たちもだろう。他を押し退けてまで女東宮の婿に納まる気は無い」


 よく似た親子だ。顔立ちはもとより雰囲気がそっくり。

 柔らかく清々しく、掴み所がない。


「まあ、押し退けてまでという気概は、確かに。私はまだ元服して間もないですし。結婚というのはまだ先のことに思えますね」


 風花は肩を竦めてみせる。

 父親そっくりの長い睫毛を瞬いて、笹百合はふと思案顔になった。


榠樝(かりん)さまは、今の有様(ありさま)にさぞお心を痛めておいでだろうね」


 まだ十四歳だというのに、両親は既になく、その上で結婚を迫られ、更に背負っているのは国家の重み。


「お悔やみのお和歌(うた)は差し上げたのでしょう、兄上?」


 うん、と頷いて笹百合は遠い目をした。


「和歌だけだったからね。何か心の慰めになるような、或いは甘いものなど、差し上げたいのだけれど。今時分、下手に動くと勘繰られて、却ってご迷惑をお掛けしないとも限らないからね。どうしたものかと」


「兄上が侍従(じじゅう)でいらした時には、随分とお顔を合わせておられたのでしょう。寂しがっておいでなのでは」


「うん。心細くいらっしゃらなければいいのだけれど」


 憂う兄の美しい横顔を眺め、風花がぽつりと零す。


「兄上こそ、女東宮の婿君に相応しいと思うのに」


 弟の言葉に笹百合は目を(みは)った。


「何を言う」


 だって、と当然のことのように風花は言葉を紡ぐ。


「幼い頃から知っていて、女東宮も兄上を慕っておいででしょう。そして、兄上も大切に思っておられる。比翼連理(ひよくれんり)になれるのではと私は思いますね」


 笹百合は何か言おうとして止め、口を閉じた。

 やがてゆっくりと首を横に振る。


「気持ちだけでは王配は務まらないよ、風花。女東宮をお支えし、何からもお守りする。それだけの才覚は私には無い」


「ご謙遜でしょう」


 聡明で優しく、美しい兄。


「私もそう思うよ、笹百合」


 苧環も頷いた。


「父上まで。買いかぶり過ぎです」


 笹百合はそっと睫毛を伏せる。




 たとえ、世界を敵に回しても。




 守り抜けるだけの自信は笹百合には無かった。


 風花に言ったとしたら、きっとそこまでの度量も覚悟もある男など居て堪るかと答えるだろうが、笹百合は口に出すことも無く。


 苧環は何となく息子の思いを感じ取ってはいたけれど、強いて口を割らせるつもりもなく。




 笹百合を一応の候補と立てて。


 けれど縹は一歩引いたところから、ことの次第を見守ることにした。



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