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匣ノ中ノ獸  作者: yura.
匣ノ中ノ獸
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case.2「BOX the T-rz」(02)

「……――この前の箱の事だけど」

すでに疲労を滲ませるアニの左横――助手席に腰を落ち着けたオリアは、冷たくも温かくもない常温のお茶で湿らせた唇をゆるりと開く。

ほのかなお茶の香りと、微睡みを感じさせる煙草の残り香がそうさせるのだろうか。

アニは硝子の向こうに広がる前方から目を離さず――けれど聞きたいわけではないその声に耳を貸した。

「アレが何か――というのは一旦置いて、僕は普段からああいった曰くのある物を集めているんだ」

「イワク……?」

「そう――曰く。この置物を飾ると縁起が良いだとか、この壺を買うと幸運が訪れるだとか、逆にこの腕輪をつけると不幸に見舞われる――だとか。そういった伝承や噂話の類がついた物に目がなくてね。アレもその一つだったわけだ」

話は遡り――数日前。

二人が出会うに至ったそもそもの経緯を語る声に、アニは一瞬だけ視線を向ける。

バックミラーごしに見えた紫は何を考えているのか。

どうにも理解の及ばないオリアに、アニはすぐに視線を前に戻した。

それでも胸には疑念が灯り――

「じゃあ何だ?普段からあんなヤバイもん集めてるってのか?」

皮肉気味に尋ねれば、オリアは〝いいや〟と首を振る。

「実のところアレが初めてなんだ――アタリを引いたのはね」

「……は?」

オリアは今何と言ったのか。

紡がれた言葉に、当然アニは耳を疑うわけで、意図せず不機嫌な声が零れ出た。

それを相槌と受け取ったのか。

オリアは悪びれた様子なくニコニコと微笑んだ。

「十か百か……いくつも蒐集してきた中で初めてのアタリを、他でもない君が運んできてくれたというわけだ。それを運が良いと言わずして何と言うか――という話だろう?」

「…………は?」

「だからこそ思ったわけだ。君には〝魔〟を引き寄せる才能があるのではないか――と。それを確かめるためにも、君に同行を頼みたかったというわけなんだ。幸い君は異装[I-sow]にも適合しているからね。本当にアタリが出たとしても問題は――」

「車出すだけっつっただろ」

これ以上聞いても埒が明かない――チカチカと不定期に光を溢す電脳箱[K-hack]の様子からいっても、オリアに口を開かせる意味はないだろう。

頭に入り込んで来る雑念を遮断するように、アニはつらつらと流れ込む音を断ち切った。

無論、それで閑古鳥が鳴く事はない。

煙草を嗜む人間の性か、オリアはいくらか口寂しそうに飴玉を口に放り込んでから、話題を変えて喋り出す。

「それ――着けてくれてるのだね」

「は?」

実際に話題は変わったのか。

オリアは自らの首を、手袋に包まれた指でとんとんと軽く叩いた。

その行為が指し示すものに気付き、アニは思わず絶句する。

「っ……!これは……っ!」

「てっきり捨てたものかと思っていたけれど……存外気に入ってくれたのかな?」

僅かに速度を緩めた車の中、アニは自らの首を飾るチョーカーに意識を奪われる。

理由はなんて事はない。

普段からチョーカーを付けていたせいで、違和感なく付けていただけ――なのだが、思えばこれはオリアに渡された気味の悪い代物なのだ。

気にせず身に着けていた事に気が付いたアニは、しまったという風に顔を顰めた。

「誰が気に入るか、こんなもん!外し忘れてただけだっつーの!」

なんならシャワーの時に外していたし、就寝時にも外していたが――今この場において外し忘れていた事実は嘘ではない。

がなる声が車内に響けば、二人を見守っていた電脳箱[K-hack]がやれやれという様子で二つの点を明滅させた。

瞬きするかのようなその姿にアニはぐっと声を詰まらせ――その横、オリアはどこか遠目に声を溢す。

「――まだ痛むかい?」

チョーカーから溢れる傷痕が目についたのか。

それともあの日、痛ましい傷を見てしまったのか。

オリアはとんと空気を変え、憂うようにぼそりと呟いた。

悲しげな眼差しに目を逸らしたくなるのは何故なのか。

「……別に」

「そう――それは良かった。あまりに酷い傷だからね。痛むなら……さぞ辛いだろうと思っただけさ」

「てめーには関係ねーよ」

アニはきゅっと胸が締め付けられる奇天烈さを感じながら、オリアを視界に入れないように前方を凝視する。

そもそも、何が原因で負った傷かも思い出せないものだ。

時折――本当に時折、傷がジクジクと痛む日もあるが、それだって命に関わる程のものではない。

(……やっぱ調子狂うな)

他人の事などお構いなしで――しかしてアニの身を案じるオリアに、得も言えぬもどかしさばかりを覚えるのだった。


良くも悪くも気に掛かる――そう表現するべきか。


(……シたっても、事故みたいなもんだし……なあ?)

一度――しかも不本意かつ無意識だったとはいえ、関係を持ってしまった事はたしか。

どうにも忘れきれない一夜の出来事を苦々しく振り返っては、アニは自分の中の何もかもを掻き乱す存在にヤキモキとする。

その葛藤がいらぬ思考へと繋がり、普段なら考えもしない惑いがアニの胸に浮かび上がった。

(他の奴ともシてんのか……?)

あの楽観さに加え、助手席に座る姿も随分とこなれた様子だ。

他の誰かと一つのベッドで夜を明かすオリアを想像し――さらには特定の誰かと懇意にしている可能性にハタと気付き、アニは胃が酷く重くなるのを感じとった。

(んなの……コイツの勝手だろ)

それ以前の話、何故オリアを前にすると余計な思考ばかりが生まれてしまうのか。

自分の中の何かが壊れてしまいそうで、アニは目の前に広がる無機質な路面に意識を傾けた。

もっとも、その程度で薄れる雑念ではない。

(だからコイツには会いたくなかったんだよ)

アニは切っても切れない縁を恨むように、やはりバックミラーごしにオリアの姿を盗み見る。

会いたくないのは、こうなるのが何となしに分かっていたからだ。

割に合わない――それが最もたる理由ではあるが、オリアの言う事もまた一つの事実。

得体の知れないモノに惹かれる――そのどうしようもなく抗い難い誘惑に魅せられつつあるアニは、願うならオリアとの再会を果たしたくなかった。

それでも再会してしまったわけで。

(……変な恰好)

少しでも悪い点を探すかのように、アニはチラと盗み見たオリアの服装に苦言を呈す。

運び屋のロゴが入った赤のTシャツに、裾の破れた黒いジーンズ。

年季の入ったライダースにチョーカーを着けたアニの着こなしはハードそのもの。

いささか近づき難い気はあるものの、箱の中では普遍的な装いと言えるだろう。

対してオリアは、黒のハイネックに白いスラックスに薄っすらと緑がかった白のテーラードジャケット――までは良いのだが、問題はそれらを飾り立てる装飾品だ。

ネックレスというには大仰な数珠は、粒が小さく長いものと、遠目にも目立つ粒の大きいものとが一本ずつ。

喧嘩をするように十字架までが下がり、更にはジャケットに隠れるように蛇腹折りになった紙がチラついているのだから、装飾過多と言っても過言ではない。

一緒に歩くのが少々恥ずかしい出で立ちのオリアに、アニは心の中で止めるはずだった苦言を音へと変えてしまう。

「邪魔じゃねーのか、それ」

「ああ、これかい?邪魔じゃない――とは言い切れないけど、一種の魔除けみたいなものだからね」

「マヨ……?」

「不幸を退ける――という願掛けさ。刺青もそう。別段信じていたわけではないけれど……いや、信じていたのか、信じたかったのか。今ではこれが普通になってしまったね」

「よく分かんねーけど、ダサいのはたしかだな」

「ダサい……か。前にもそんな風に言われた覚えがあるよ。もちろん君じゃなくて……その時にはもう少しオブラートに包んでくれていたとは思うけれど」

視線に気付いたオリアがさらりと答え――アニは細やかな刺青を思い出すと共に、再び胸の内に重い影を落とした。


たった一度――事故でしかないその一度で、相手を所有した気になるのはあまりに――そう、あまりにおかしい話だろう。


それでもアニは、自分以外にオリアを知る誰かの存在にもやもやとする。

(ほんと……調子狂うな)

何も考えず、電脳箱[K-hack]が示すままに進めば良かったはずなのに、どうしてこうも意識が揺れるのか。

すぐそこに居るのに掴む事が出来ずにいるオリアに、アニはただただ心を惑わせるのだった。

その戸惑いを正すかのように、置物に徹していた電脳箱[K-hack]が無機質な声で口を挟む。

『お話し中失礼します――このまま直進――次の十字路で左折――海岸沿いに進めば目的地です』

どこか安寧をもたらすその声に従って、アニは残る道をひた進むのだった。


そうして刻一刻と日が沈んでいく海岸を進み――一面の茜色。


緋色に染まる空の下、二人と一体を乗せた車はコンテナを横に並べたかのような屋敷へと辿り着いた。

アニの住む箱が小屋だとすれば、こちらは豪邸も豪邸。

海を背に抱く、見渡す限りのコンテナを前に、アニは感嘆の声を漏らす。

「でけぇ……」

『家主はSir.ワギリ――第三十九地区では名の知れた土地持ちで漁業を中心に花卉栽培を統括――Sir.オリアが目的とする一帯の海岸は氏の保有する土地となっています』

オリアからも聞いてはいたが、実際に目にするのとでは話が別だ。

車を降りたアニは、水平線を埋め尽くしかねない大量のコンテナで出来た屋敷を仰ぎ見た。


余談だが――

中心地店[S-pot C(サポートセンター)]が鎮座するのが第零地区。

紛う事なき箱の中心で、第零地区の全てを中心地店[S-pot C(サポートセンター)]の建造物が占めている。

その周囲に一番以降の区画が広がり、中心地店[S-pot C(サポートセンター)]から最も離れた場所が第九十九地区――全部で百に上る区画が箱の中には敷かれている。

その中でアニが暮らすのは第九地区。

そしてオリアが研究所を構えるのは第十八地区だ。

もっともこの数字は何の指標にもならない。

中心地店[S-pot C(サポートセンター)]に近いからと栄えているわけでもなし、まして貴位が高いというわけでもなし。

富めるも貧しきも、賢きも愚かしきも全てが全て――電脳箱[K-hack]の手の上なのである。

とはいえ、誰にも電脳箱[K-hack]の真意は分からない。

電脳箱[K-hack]を疑う事もなく、彼らはただ電脳箱[K-hack]に言われるがまま道を選ぶだけだ。


その一人だったアニは広大な屋敷を前にふと思う。

(これが普通なのか――?)

目に見える範囲全てがワギリという人物の持つ私有地なのだと言うのだから、まったくもって不条理だ。

同じく電脳箱[K-hack]に従っているだけだというのに、何故こうまでも差が生じるというのだろうか。

今まで当然として受け入れていた事に疑念を抱いてしまうのは――

「運転ご苦労様、アニ。僕は挨拶に行くけど……君はどうする?」

「……行く」

「そう――じゃあ行こうか」

やはり、電脳箱[K-hack]に従わずに生きるこの男に出会ってしまったからに違いない。

何となしにオリアを一人――正確には依頼人でもあるワギリと二人きりにさせたくないという意識が働いたアニはオリアの後ろに続き、コンテナ屋敷へと入っていく。

そこにあるのは、オリアが気になるという引っ掛かりか、単純にオリアが暴走しないようにという心配か。

『オ待チシテオリマシタ――Sir.オリア並ビニ運ビ屋ノ方デゴザイマスネ』

「ワギリ様の元へご案内します。どうぞこちらに」

出迎えてくれた電脳箱[K-hack]と――ワギリに仕える家政婦か何かなのだろう。

簾をくぐった二人は、随分と年若く見える娘に従って、床板の軋む廊下を歩いていく。

変容なく続くのは長く伸びた床板だけで、ワギリの居城は目にも鮮やかなもの。

いくらか横幅のある長方形のコンテナごとに内装が立ち替わり入れ替わり、緑の和室、真紅の後宮、青の竜宮、白の神殿――果ては漆黒の穴蔵カタコンベと、時代も場所もない内装が通り過ぎていくのだった。

(目ぇ疲れんな……)

(来客を楽しませるための構造なのだろうけど……いかにも道楽という感じだからね)

(っても、ああいうの興味あんじゃねーのか?)

アルカイックスマイル――とでも言うべきか。

終始笑顔の使用人に薄気味悪さを覚えながらも、アニはコンテナの中を飾る絵画や皿に目を向ける。

見るからに年季の入った骨董品はオリアが好みそうなもので――しかしオリアはそちらをチラと見る事もなく首を振った。

(生憎、ただの美術品には興味がなくてね。僕が心惹かれるのはいつだって――そう。異物と呼ばれるものだけだよ)

(それが意味分かんねーんだけどな)

(端から理解は求めていないからね。知る事と理解する事と許容する事は似て非なるもの――という事だよ)

(…………はぁ)

何がどう違うのか――やはり理解に苦しむアニは呆れを隠さず、これまた理解の及ばない芸術品の数々を見送っていく。

その先に待ち構える、一際大きな正方形のコンテナ。

黄金に輝いているのかと思いきや、箱の中は一面、淡い桃色の花で飾られているのだった。

(……花がどうとか言ってたな)

これはこれで棺のようなのだが――実際、家主のワギリはいつ死が訪れても良いよう準備を整えているらしい。

花々に囲まれた老人は、花とよく似た白装束を纏い、まるで景色に溶け込むかのようにアニとオリアの事を見つめていた。

「お主が例の……オリアだったか」

「そう――僕がオリア。こっちは案内を請け負ってくれたアニ。数日程、ここでの滞在をする事になってる――あとは浜の掃除だね」

「ああ、そうだったな。好きに過ごすと良い。部屋も好きに使って貰って構わんが、浜で何があっても……儂は責任を取らんからな」

膝に電脳箱[K-hack]を抱いた老人は、もはや人形か何かのようだ。

使用人の娘と同じ、どうにも作り物めいた笑みを浮かべる様は死人のようにさえ思え、アニはすぐにでも花で満ちたコンテナを抜け出したくて仕方がなかった。

その願いを知ってか――あるいは電脳箱[K-hack]の方で話がついているからか。

「ご挨拶は済みましたね。ワギリ様も仰っておりましたが、どうぞご自由にお過ごしください」

『留意点ハSir.アニノ電脳箱ニ同期シテオキマス。何カアレバオ尋ネクダサイマセ』

半ば放り出される形で、二人は葬儀場の如きコンテナを後にする。

白い髪に生気の抜けた肌にと、いつ倒れてもおかしくない老翁だけに、長話はしたくないという事だろう。

深海を思わせる紺色のコンテナに追いやられたアニは、これからどうするんだとオリアの顔をじっと見た。

(いや――何でだよ)

電脳箱[K-hack]ではなく、自然とオリアを見てしまった事に一瞬ハッとするが、よくよく考えれば主導権を握るのはオリアの方だ。

(あ……?おかしくねー……のか?)

混乱から目をパチクリとさせつつ、アニはオリアの返事を待つ。

もっともオリアは呑気――否、他人の家でも自分勝手なもので。

「それじゃ早速、浜に行こうか!」

もう日が傾いているというのに、ウキウキとした様子でコンテナ屋敷の裏に広がる海岸に出ようとする。

『…………』

「…………」

効率的には程遠く、かといって理知的とも言い難い選択にアニと電脳箱[K-hack]は顔を見合わせ――だが電脳箱[K-hack]に従う気のないオリアを止める事は無理だろう。

アニは口をヘの字に曲げるも、その腕を掴まえる事は出来なかった。

代わりに――

「今からか?」

ジャケットを脱ぐオリアの背に、短く問いかける。

前開きのジャケットから覗いていた黒のハイネックは半袖だったらしい。

魔法陣やら百足の半身やら。

雰囲気に比べて華奢とは言い難い腕に刻まれた紋様を目で追えば、やがてその視線は白い輪を浮かばせる紫へと辿り着いた。

黒い瞳孔を包む光輪がそう魅せるのだろう。

フローライトにも似た眼差しに魅入るのも束の間、アニはまた理想と現実の乖離を突きつけられる。

「今行かずして――だよ」

喋らなければ――もしくは動かなければ。

しかして、ただの芸術としてそこに在るものに、興味を惹かれる事はあるのかないのか。

(ほっときゃ良い……ってのは分かるんだけどな)

電脳箱[K-hack]に言われずとも、それくらいの事は分かる。

さりとて目に止まってしまうオリアの存在に、アニは自分の中で渦巻く感情も分からないまま、もう一度その背中に問いかけた。

「別に……止めはしねーけどよ。明るくなってからじゃ駄目なのか?」

「そりゃ……幽霊船が目的だからね。船が沈んでる――という事は、その船が夜な夜な浮上すると見るべきだろう?」

「は?ユーレイ……何だって?」

「幽霊船――もしくは船幽霊。古びた船が霧と共に現れ、避けようとした船が座礁する――だとか。海で死んだ人間の怨念が船ないし船頭として現れ、犠牲者を増やそうとする――だとか。生者を海に引きずり込もうとする海の怪奇現象と言えるだろうね」

「…………おう」

「行方の知れない人たち――彼らが人目につく時間から私有地に入り込むとは思えないし、そも怪異が活発に動くのは夜の時間だ。ピークは丑三つ時だろうけどね。あの世とこの世とを分ける逢魔ヶ時――黄昏のその時間をもって黄泉への扉は開かれ、彼らはこちらに侵入してくるというわけだ。であれば、やはり夜に動くのが筋――というものじゃないかな?」

「…………あー……うん」

幽霊船も、丑三つ時も、逢魔ヶ時も、アニどころか電脳箱[K-hack]にとっても一体何の事なのやら。

話の半分も理解出来なかったアニは雑に相槌を打ち――ふよふよと頭の周りを飛に回る電脳箱[K-hack]をテーブルの上にそっと置いた。

『おや――?』

「また壊れても困るからな。コハクはここで待ってろ」

『それは構いませんが――電脳箱ワタクシなしに大丈夫ですか?』

「まあ……アイツがいるしな。たぶん大丈夫だろ」

『……ソウデスカ』

僅かに拗ねたように聞こえるのも、オリアと出会ったが故の変化というものか。

アニは電脳箱[K-hack]を背に、オリアと共に砂の上へと舞い降りる。

コンテナを出た目と鼻の先はもう一面の海岸で、どこか寒々とした潮の香りが鼻を抜けていった。

まだは温かさが残っていると言っても、季節は秋を迎え――遠からず冬が訪れようというのだ。

海に行くからとはいえ、腕を露わにしたオリアに、アニはソワソワと声をかける。

「寒くねーのか?」

「そういうかん――ああいや、違うな。気候の差には強いんだ」

「何でいま言い直したんだよ」

「言葉選びを間違えただけだよ。君相手じゃ伝わらない事も多いからね」

「……コハクに頼り切りで悪かったな」

思えば、電脳箱[K-hack]を介さずに他者と言葉を交わすのは初めての事だ。

初めてばかりのオリアとの応酬に、どうしてかアニの方も浮足立ってしまう。

冷たい夜風とは裏腹に軽い足取りの二人が浜に立つまでに時間は要さず――岩礁を叩きつける波の音が、付かず離れずの距離を保つ二人を出迎えるのだった。

「本当に船なんてあんのか?」

「さて……どうだろうね」

遠くに見える沖合には何艘かの漁船が確認出来るものの、オリアが言うような怪しい船影は見当たらない。

細やかな砂が靴の中に入るのを煩わしく思いながら、アニは薄明かりが照らす海岸を練り歩く。

靴先が蹴るのは汚れた瓶に、へこんだ冠に、濡れそぼったビニール袋に、原型を留めていないプラスチックの破片に――何かも分からない箱の群れ。

この中にオリアの求める異物があるんだろうかと、ゴミ漁りを始めるオリアをぼんやりと見守った。

「掃除はすんだな」

「掃除というかは宝探し――かな。掘り出し物があるかもしれないからね」

「ふーん……例えばどんな?」

「そうだね。海岸である事を考えると……虐げられている亀とか、開けてはいけない化粧箱とか?ああ、もし海から女性の声が聞こえたとしても――……」

「しても?」

「海には入らない方が良い。人魚かセルシーかセイレーンかは知らないが……きっと連れて逝かれてしまうからね。まあ、君がそういう趣味なのならば、あえて止めもし――」

「待て――待て待て!!そういう趣味って何だ!?」

やはりオリアは意味の分からない事を言う。

虐げられている亀がいるわけないし、先日のような箱がそう何個もあるわけがないし、海に住む女がいるわけもないし――と、話を聞き流すこと幾許。

アニは矛先を変えた話題に、思わずといった風に狼狽をみせた。


認めたくはないが、強いて言えば〝オリアが気になっている〟のが現状だ。


誤解を招く――どころか、あらぬ方に突き進んでしまいそうな話に待ったをかけるも、しかしてオリアは真面目腐って首を捻った。

「所謂――異形性愛《ディスモーフォフィリア 》というやつかな。歌と関連深い海の怪異は半人半魚である事が多いからね。もし君が彼女たちと良い関係を築けるなら――」

「全っ然!!趣味じゃねえ!!趣味じゃねーから、てめーもさっさと何か見つけろ!!どうせ何か見つけるまで帰らねぇとか言うんだろ!?手伝ってやっから早く帰んぞ!!」

その頓珍漢な声を跳ね除け、アニは自棄気味に浜に押し寄せるゴミを掻き分ける。

(あーもう、何なんだよ……!)

あまりに眼中にない事が腹立たしいのか。

自分だけあの日の交わりを意識しているのが虚しいのか。

苛立ちをゴミに乗せては投げ飛ばし、ゴミに乗せては掘り起こし、ゴミに乗せては手に掴み――ふと白い靄が視界を過る。

「オリア……?」

名を呼ぶが返事はなく。

水っぽい――それどころか腐敗した匂いが鼻を撫でた時にはもう、オリアの姿は霧に呑まれ見えなくなっていた。

突如として現れた深い霧。

その白に蘇るのは――


「っ……おいおい、嘘だろ?」


――何故浮いているかも分からない、穴だらけの古びた船体。

おどろおどろしい空気を纏った船の出現に、アニは嫌な汗を滲ませる。

これが夢なら、どれだけ良い事か。

だがこれが夢ではない事は、オリアとの再会が示してくれている。

その当事者は大方――否、十中八九、あの悍ましい船に乗り込んでしまっているだろう。

「オリア……ッ!!」

報酬が手に入らない可能性が頭を掠めたからか。

それとも体が勝手に動いたからか。

アニはゴミを放り出した手で、いやに重みとぬめりのある霧を掻き分けていくのだった。

03に続く。

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